GPz400の一生

SAVE0204.gif

昭和58(1983)年3月7日購入の400ccバイク、カワサキGPz400。
バイク屋さんの話が正しければ、富士市で一番乗りだったと
いいます。これが当時の中型免許で許される最大排気量でし
た。又も身内自慢になりますが、先の250ccが昭和54年6月23
日、この400ccは、昭和58年3月7日の購入でした。無論、まめ
に家計簿をつけていた母のおかげで、正確な記録が出来たわ
けです。

死期を悟っていた呪いのオートバイ・・・!?   ghostfire3.gif

ナゾのエンジントラブル多発


既に申しましたように、私のバイクの知識・技術は無きに等しく、四つ輪に例えれば、ようやく免許を取った拙いドライバーというのと同じです。ですから、バイク用語もほとんど知らず、単に乗って走り、無事帰って来ればよしという程度でした。ハイ・スピードでコーナリングを繰り返して、上達しようという考えも一切ありませんでした。

オートバイを単なる交通手段と考えないことでは、多くの皆さんと同じだと思いますが、私は集団であれ、一人であれ、ツーリングを必ずするという発想も又なかったのです。

せっかくの400ccバイク、カワサキGPz400を手中にしながら、ついにこれでツーリングをしたことはありませんでした。完全にちょい乗りの足でした。Z250FTの時は、短距離ながら二度も所沢の兄の家を訪れるために、一度は中央高速を利用、二度目は一般道をひた走って、トラックの排ガスで顔を真っ黒にするほど、徹底してソロ・ツーリングを楽しんだことがあったのに。

400ccはもっぱらちょい乗りと書きましたが、ほかに、当時の家庭教師の仕事の足として、よく使いました。
それでも、さすがに自分でやるべき最低限のメインテナンス作業として、チェーン調整と、プラグ点検・交換は欠かさずやっていました。

私は今でも、再び乗れるなら、カワサキGPz400と同型のオートバイに乗りたいと思っています。どうしても現存するバイク中から選べと言われたら、いわゆるニンジャというタイプのなら、乗る気になれるかもしれません。

腕の未熟はもちろんのことでしたでしょうが、GPz400に乗り換えたとたん、急速にこのバイクは私の操縦になじむようになって行きました。そろそろ無理な走行でない限り、バイクで安全に走れるという自信がつき始めていました。


ところが、ごく無難に走ってしばらくした頃から、このオートバイに異変が目立ち始めました。無論私のバイクはそろそろ400ccクラスの主流となり始めていた4気筒エンジンを搭載していましたので、気筒(シリンダー)4つが首尾よく作動して初めてスムーズかつ安全な走行が望めるものです。4つもあれば2つぐらいダメになっても、事実上2気筒だから走ることは走るだろうと思いたいのですが、実際はそんな単純には行かぬどころか、エンジン全体が妙にボソボソ言いながら頼りなげな走りかたをしていると思うまもなく、プツンとエンストしてしまうことがほとんどとなったのです。

この頃家庭教師をしているお宅が教習所ということもあり、両親にもそろそろいざという時の足として、車を運転できるよう免許取得を勧められ、30才にしてようやく、この教習所にお世話になることにしました。
行きは無事だったGPzが、帰りの途中でボソボソさえない音となり、遂に帰宅前に動かなくなることがしょっちゅうになり、家庭教師はもちろん、教習所へ通うのも不安になりました。プラグが悪いのかと思って、ほとんど無知な私は、実はきれいそのものの点火プラグを四つすべて交換したこともありましたが、効果なし。


結局バイク屋さんに来てもらって、工場で徹底してみてもらうことになりましたが、数日もすると連絡があって「今からバイク持ってくけど、異常なしだったよ」と、信じられぬ返事。
確かに乗ってしばらくは息を吹き返したかのようにまずまずのエンジンの調子で走ったけれど、又同じ故障が出て、走らなくなる。そしてバイク屋さんに連絡。私の運転が疑われ出しました。「村松君、時には思い切り回して、バイクを生き生き走らせてやってる? 余り低速ばかり使うと、かぶり気味になって、不調になることもあるよ」

私のスピード違反はすべてバイク乗車中です。つまり、例えば信号スタートと共に、一速でいきなりフルスロットルで発進するほど、エンジンはむやみではないけれど、そこそこに回して走っていました。

遂に、5,6回目の工場行きの時、さすがに妙に思ったバイク屋さんは、プラグの一本をはずして、エンジンをかけてみました。その本人が顔色を変えました。「何、このバイク!? ガソリンを吹き上げているよ」
言う通り、スロットルを動かすそのたびに、プラグを抜き取ったところから、ガソリンの液体そのものが、ピュッと噴水のように勢い良く噴き出しているのです。「これは確かに変だな」
ようやく異変を認めた彼は、又もトラックにGPzを積んで走り去りました。


結果、「確かに点火しない異常が認められるが、原因は不明」との工場側の返事。私は医者で言えばやぶだと思いました。幾たびかの故障で行って帰って来たのは、シリンダーヘッドと呼ばれる部分をそっくりそのまま新品に交換したまるで改造バイクみたいな妙な色具合のエンジンと化したGPz。
ご覧のように、GPzのエンジンはほぼ全部が黒です。その上の一部がまぶしい銀色に輝いて、いかにもちぐはぐな整形手術したばかりの感じ。「いいじゃん。こういうカラーリングもいいよ」と、バイク屋さん。そのうち、マフラーの劣化により、既に黒のものがないとのことで、マフラーも銀色になりました。これで私のGPzへの、当初の執着が半減しました。私は機械物との相性が昔から悪く、その代わりなぜかその製品に購入まもない頃の愛着をなくすか減らすかしたとたん、その機械物は、従前より快調に働くようになったものです。「形あるものにはすべて魂が宿る」。そんな漠然たる思いを持つようになったのはこの頃です。以後、GPzは機械部分のトラブルを一回も起こさなくなりました。もちろん、そんな愛車に決して飽きたりしたわけではありませんでした。ただ、購入当初の私は、機械にある種の不自然な感情を以て乗る傾向がありました。GPzに感情があったら「よせやい、気持ち悪い。ごく普通に軽い気持ちで乗ってくれよ」と言ったかもしれません。
でも、あながち私だけに原因あっての事とも思えぬ一大事が、しばらくのちに起こりました。


既にお話しした平成4年正月明けのある日、GPz400で街の本屋へ行きました。私にははっきりした超感覚的知覚能力、つまり超能力あるいは霊能力はありませんが、この世のものでない何物かを垣間見た経験は少しあります。又、ユングによって唱えられた「共時性」、シンクロニシティを経験したこともあります。

この朝、本屋に行ったものの、なぜか目的を忘れ、買う気のなかった「一枚の絵」というようなタイトルの雑誌を買って帰途につきました。いえ、私は写実の優れた画家の先生の絵を見ることは好きです。現にこのあと何回かこの雑誌を買いました。

しばらく走らすと、前を速度制限きっちり守って走るスーパーカブタイプのバイクの老人に次第に追いつきましたが、なぜか私は同じ二輪が走っていると、四つ輪が必ずやる追い越しをする気がしなくなります。たとえ50ccのいわゆる原付バイクでもそうです。スクーターの兄ちゃんが、ビュンビュン飛ばして遠ざかって行く時など、むきになって追い越すことはまずしません。

その時も、なぜか順法運転するバイクの老人に親近感を持ち、私も速度を下げました。やがて三叉路にさしかかり、老人のバイクは一番左へ曲がって行きました。その時視界に飛び込んだのが、信号スタートと共に明らかにアクセルを全開にしてぐんぐんスピードを上げてゆく日産マーチでした。はたちそこそこの若造が飛ばしていることはすぐわかりました。距離数十メートル。「楽に抜ける!」考えるよりスロットル全開が早いほど、四つ輪への闘争心が爆発しました。「マーチなぞ敵ではないが、獅子はウサギをも全力で倒すのだ」などという愚かな本能が、自制心を奪っていました。ところが四気筒がフルパワーを発揮しないまま、ある回転域になったとたん、ターボが効いたように、よみがえりました。眼前にマーチの安っぽい車体が迫った刹那、急停止と共にいきなりの右ウインカーが目に飛び込みました。

時速90kmほど出ていましたので、左回避の余裕もなく、追突、私はハンドルだけ握って、道路を右端へとスライディングして止まりました。
悔しいことではありますが、法的に私に分がなく、屈辱の結果と終わりました。
ただ、誘うような猛加速と急停止・急ウインカーは、この若造に見事にワナにかけられたと、今でもほぼ確信しています。


さて、単なるこじつけと思われるかもしれませんが、この朝、高いギアのまま老人のバイクに合わせて速度を下げた時、GPzは、あの原因不明の燃焼異常を少し出したと仮定すると、その時先行していたマーチを抜こうと始めた加速は、本来の性能を出せないものだったため、ようやく回転を上げて、追い越し可能速度に達するのが遅くなったと考えると、何か不思議な気持ちにとらわれるのです。そして、これこそこじつけになるかもしれませんが、事故の年は平成四年、つまり四の年、それも正月三が日を過ぎて間もない頃です。書店での妙な物忘れも不吉の前兆だったのか?バイク屋さんが大破したGPzの処理に来てくれて、無論このバイクはフレームが凄まじい「くの字型」に曲がって、即日廃車決定。
その後バイク屋さんは、お店がつぶれて、本人は行き方知れずとなりました。

先に書いたように、今、GPzに最もスタイルが近い好きなバイクは、GPzのNinja(ニンジャ)と呼ばれるロングセラーのシリーズです。

塾オジンのバイクページへ戻る