Z250FTの一生

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中型免許(現・普通二輪免許)取得後の最初の愛車と

同型のZ250FT、二台目。

初めの所有バイク一覧ページに掲載の画像は、同型車でも、初期型です。色がわかりにくいでしょうが、初期型が薄めの青、そして、上記のバイクは二台目で、色が灰色がかっています。

ご紹介した通り、昭和54(1979)年、当時の中型免許を取得後、早速購入したカワサキの250ccバイクです。

当時家庭教師で糊口をしのいでいました。その頃の仕事の足は原付バイク(下の画像)でした。

そして250cc購入後ほとんど、このZ250FTで仕事に出かけていました。

四輪と比べて、バイクは凄まじい高回転エンジンを搭載していますし、勢い瞬発力を発揮して、疾走したくなるようにバイク自体が造られています。

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車種を正確には覚えてませんが、スズキの
ランディーといって、奥様バイクの一つで
した。今でこそ奥様向け50ccはスクーター
一色の感がありますが、当時は、左右の足
をそれぞれ横に張り出したステップという、
ゴムでカバーしたバイク独特の物にしっか
り置いて主婦の皆さんなど走ったものです。

一晩数件の家庭教師をやる日程で、その夜も一件終えて、急ぎ次のお宅へと走り出してしばらくたった頃でした。街灯一つない真っ暗な細い道路を、バイクの心もとないヘッドライトの光が照らすのをにらみながら疾走していたその時、前方から恐らく原付バイクと思われるヘッドライトのやけにまばゆい光芒が、視野いっぱいをさえぎって接近して来ました。一瞬ライトを上向きにしてると思ったのは間違いで、どうやら、向こうが上り坂にさしかかったところで、いやおうなく上向きになるライトを浴びて、幻惑されたようです。

次の仕事先へのはやる気持ちと、幻惑を逃れたい本能とが頭を混乱させ、次の瞬間、乏しいライトの光が目の前の歩行者を照らし出した時は遅すぎました。今思えば充分速度を加減すれば済んだことです。私のように未熟なライダーは、とっさに前後いずれのブレーキをかけたのかもわからぬ程破れかぶれの急制動をします。まず、仕事帰りの年配のご婦人を突き飛ばすようにはね、私は、バイクと共に道路を左から右へとスライディングのように横断して、溶接のような火花を散らしていました。

もちろん人身事故ですし、すぐ相応の処置をし、何とか乗れる状態にとどまったバイクで、指呼の間の自宅へすごすごと帰りました。初のバイク事故が、人様に大変な迷惑をかける人身事故となりました。失礼ながら不幸中の幸い、ご婦人にはかなりのケガを負わせてしまいましたが、何とか入院治療で旧に復するようになっていただきました。


事故を起こしたのは、昭和55年が明けてしばらくした冬でしたが、その6月初め、今度はスーパーから帰る出口のところで、やって来たカローラと出合い頭の衝突事故を経験しました。バチが当たったのかもしれません。人をはねてケガの回復までのつらい思いを味わわせた報いです。「因果はめぐる小車」ということわざを聞いたことがありますが、そうかもしれません。眼前にカローラの左前の部分が迫ったと見た瞬間、私は意識を失いました。いえ、意識が戻ったのでわかったまでのことです。しかも、未だに出来ない空中回転を、その一瞬の間にどうやら行なっていたらしく、無残にフレームがくの字に曲がってほぼ大破して転がっている愛車を前に、私は一瞬の失神と空中回転から目覚めていました。
ここで愚かしくも、少しく自分をほめておきますと、事故処理のあとすぐその足で病院へ向かい、頭部レントゲンなど撮って簡単な手当てをしていただいたその日の夕方、何と数件の家庭教師に、上掲画像の原付バイクで出かけて済ませました。
ただし、その夜寝床へ入ってから、あれはあとから襲い来るものですね、かなりの痛みと発熱で悶々とし、なかなか眠りにおちることがかないませんでした。


これだけの事故を立て続けにやると、若い人なら、自分からこりごりして降りるとも聞きました。でも私は内心再び乗りたくてうずうずしていました。

ところが、ありがたくも不思議なものです。自転車も乗れない昭和2年生まれの母に、意外にバイクへの理解がありました。身内自慢というのでもありますまい。我が子の無事息災を祈るなら、バイクへの視線が冷ややかになっても不思議ではないと思います。
どうやら母は、オートバイでさっそうと走るライダーたちの姿に、目を細めていたようです。加えて父も、若い頃、ポインターエースという250ccバイクで配達などの仕事をした経験があったせいか、バイク厳禁という顔つきではありませんでした。

6月に四輪に激突、哀れ初期型Z250FTは廃車処分となりましたが、当時の母の家計簿から推して、7月ごろには再びZ250FTに乗り始めていました。それが一番上の画像のバイクです。
そして、何とかこれは劣化で不具合箇所が出るまで、無事に乗り続けました。この頃から、バイクライディングへの自信が少し出て来ました。

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