王朝和歌に登場する夏歌は少ない。あのすさまじい京都の猛暑を思えば、とても雅びに歌など詠んでる心境ではない、というわけでしょうか。 そんないにしえの夏歌には、炎天だの灼熱だのというような、いかにも「暑い」歌はなく、心理的効果を狙ったのか、ほとんどが「ほととぎす」に代表されるような涼やかな歌ばかりです。 平家物語の時代を生きた式子内親王のこの歌は、和漢朗詠集にある白楽天の詩の一部「風竹生夜窓間臥 月松照時台上行」を踏まえたといいます。この「すさぶ」は「弄ぶ」、もてあそぶの意でしょうか。 時にはこまやかに、そして時には「荒む」夏の風が竹郡を駆けてゆきます。 |
さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする よみ人しらず月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして 在原業平 昨日といひ今日と暮らして明日香川流れてはやき月日なりけり 春道列樹 |