秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる  藤原敏行

この歌が詠まれたのは立秋、旧暦の7月1日です。今の暦でいうなら8月8日ごろだから、昔の人の季節に対する敏感さときたらまぁ、ブティックのショーウィンドウなみだわよね。我々現代人の感覚では9月に入ってからのほうがピタりとハマる歌かも、というワケで今回のオススメにしました。
この歌は古今和歌集、秋上から。作者の藤原敏行は平安時代前半の人です。この歌の他に「住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ」というのが百人一首18番にあります。三十六歌仙の一人です。

 

月見れば千々にものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど  大江千里

秋、といえば月が美しい季節。宮廷人たちは湖水に映る名月を愛でながら歌を詠み、管弦の遊びに興じていたことでしょう。
小倉百人一首でお馴染のこの歌は、白氏文集の「燕子楼中霜月夜 秋来唯為一人長」を翻案したものだといわれています。作者の大江千里(そんな名前のアーティストがいたよーな・・・でも本家のこちらは「おおえのちさと」と読んでね)は漢学者で、そして歌よみでもありましたから、“かたい”漢詩を“やわらかい”和歌に美しく訳せたのでしょうか。

古今和歌集、秋上より

 

昨日といひ今日と暮らして明日香川流れてはやき月日なりけり  春道列樹

「年のはてによめる」、つまりは大晦日に詠まれた歌です。昨日、今日、そして明日・・・年の瀬を迎えるこの時期、ああもう一年が過ぎたのかと、今も昔も人々は流れ去る月日の早さに驚くようです。
この「はるみちのつらき」なんぞという売れない演歌歌手のような名前の歌人は、百人一首の中にも「山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり」という歌を残しています。平安時代前期(紫式部や清少納言が活躍する前ね)の人です。

古今和歌集 冬より

 

雪のうちに春は来にけり鶯の凍れる涙いまやとくらん  二条后

古今和歌集にこの美しい一首を残した二条后こと藤原高子といえば、伊勢物語のヒロインとして有名です。平安の色男、在原業平がモデルとされる「むかし男」は、清和天皇の後宮に入内すべき深窓の姫君(高子)と恋に落ち、ついには姫君を盗み出してしまう・・・二人の関係を「史実ではない」という説もありますが、それはそれ。古来から人々に愛され、語られてきたこのロマンスは、ひとつの物語りとして純粋に楽しめば、と思います。

 

月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして  在原業平

高子に続いて、業平の絶唱を紹介いたしましょう。
伊勢物語第四段。正月の十日過ぎ、突如恋しい人(高子)と引き裂かれた男(業平)は、その1年後、もと女が住んでいた邸に行き、ひとけのない荒れた板敷きに身を横たえ、追憶にふけり、この歌を詠んだ・・・
季節は梅の花の盛りのころ。十日過ぎとあるから、ここでいう月は望、満月に近いまんまるお月さまです。春の月夜、闇に香る梅の花、そして荒廃した邸で独り嘆く美しい殿方・・・絵巻物のような光景が目に浮かぶ一首です。

 

さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする  よみ人しらず

旧暦の五月は梅雨の季節。雨が続き、あれこれ物思いにふける時間も多いことでしょう。湿度を含んだ重い空気の中、ふと、低く漂うように香る柑橘系のさわやかで甘酸っぱい香り・・・懐かしい香りは「昔の人」ーかつての恋人でしょかーその人の記憶を鮮やかに思い出させる・・・
古今和歌集<夏>に「よみ人しらず」とあるこの歌ですが、伊勢物語では主人公(在原業平だと言われている)が別れた妻へ詠んだ歌として登場してます。

 

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