ほっぽさんの過去の滑走記録



ここでは、ほっぽさんがスキーデビューしてからの全日数の記録を記載してみました。

2022〜2023シーズン
このシーズンは19回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティナイターを最大限活用しました。早いもので私がイエティに通いだして20年が経過したのでした。

このシーズン最大のトピックスは準指動員を受検し合格したことです。
昨シーズン八千穂で2級、1級と加点合格し長野県の1級レベルにあることが分かったので、次のステップとして指導員系の資格を取得しようと考え、県内のクラブに入れてもらって受検したのでした。

クリスマスの養成講習1、年明け五竜での養成講習2、1月末の菅平での養成講習3、2月の養成講習4、そして小海での日帰り補習に2月末の特別補習と合格のために出来ることは全てやって臨んだ検定会、3月最初の週末に菅平で開催された検定会は無事一発合格出来ました。
更に翌週車山で開催されたC級検定員検定会も無事合格し、このシーズン最大の目標を達成することが出来ました。
その翌日には静岡県連主催のテククラ検定にも参加しましたが、こちらはオール79で不合格、指導員系とテククラに求められる技術の違いを実感しました。

他には年末年始、遅い夏休み、フリーの週末は志賀高原を滑り倒しつつも準指検定の練習は欠かさず、志賀高原の色々な斜面、バーンコンディションで練習して技術の幅を持たせることも忘れずに実施しました。

例年通り志賀高原のシーズン券は購入し、八千穂高原の半額シーズン券もGETして、ズン券3枚持ちという贅沢な環境でスキーが出来ました。

春に天候が悪い日が多かったこと、雪も少なかったこと、何より準指合格という目標を達成したことから、3月26日でシーズン終了、滑走日数は71日でした。
イエティナイターに34日、志賀高原に20日、八千穂高原に3日、シャトレーゼ小海に2日、白馬五竜に2日、菅平に8日、車山に2日と滑りました。

このシーズンもイエティで準指検定の練習をし、志賀で滑り込む、八千穂、菅平、五竜、小海では準指合格に向けたレッスンを受ける、それぞれのスキー場で何等かの目的意識を持って滑ることが出来ました。

遅い夏休みでは1日八千穂、5日間志賀高原、最後は養成講習で菅平2日と休暇をフルにスキーで満喫出来ました。

このシーズンの合計リフト&ゴンドラ乗車本数は1516本と、検定練習がメインだったことから、近年にしては少な目の本数で終わりました。

このシーズンも同期の友人との泊まりの志賀高原ツアーは2回開催することができました。


志賀高原乗車リフト本数:632本
志賀高原滑走ポイント:3557P

志賀高原平均リフト乗車本数:30本
志賀高原平均滑走ポイント:169P
志賀高原平均滑走標高差:8647m(公式パンフレット記載の標高差より算出)

全シーズン乗車リフト本数:1516本
全シーズン平均リフト乗車本数:21本
2021〜2022シーズン
このシーズンは18回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティナイターを最大限活用しました。早いもので私がイエティに通いだして19年が経過したのでした。
最初の1シーズンはナイターシーズン券買わずに通ったからね。
例年通り志賀高原のシーズン券を購入し、志賀高原を満喫することが出来ました。
更には経営の変わった八千穂高原のシーズン券もGETして、ズン券3枚持ちという贅沢な環境でスキーが出来ました。

滑走日数は71日で、GW前半まで滑ってシーズン終了しました。
イエティナイターに30日、志賀高原に33日、八千穂高原に7日、サンメドウズ清里に1日、滑りました。

このシーズンもイエティで練習し、志賀で滑り込む、八千穂ではレッスンとコブを中心に滑る、とそれぞれのスキー場で何等かの目的意識を持って滑ることが出来ました。
八千穂で2級、1級と受検して加点合格できたことは、一応長野県の1級は加点合格レベルにあると確認出来て自分的には納得できました。

遅い夏休みでは1日八千穂、6日間志賀高原と、休暇をフルにスキーで満喫出来ました。

このシーズンの合計リフト&ゴンドラ乗車本数は1789本と残念ながら2000本には到達しませんでした。

このシーズンも同期の友人との泊まりの志賀高原ツアーは3回、開催することができました。


志賀高原乗車リフト本数:956本
志賀高原滑走ポイント:5478P

志賀高原平均リフト乗車本数:29本
志賀高原平均滑走ポイント:166P
志賀高原平均滑走標高差:8519m(公式パンフレット記載の標高差より算出)

全シーズン乗車リフト本数:1789本
全シーズン平均リフト乗車本数:25本


2020〜2021シーズン
このシーズンは17回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティナイターを最大限活用しました。早いもので私がイエティに通いだして17年が経過したのでした。
併せて、この年またまた当選した長野券を購入し、志賀高原を中心に長野県のスキー場を滑りました。
更には経営の変わった八千穂高原のシーズン券もGETして、ズン券3枚持ちという贅沢な環境でスキーが出来ました。

滑走日数は79日で、最後はケガで強制終了となりましたが、それが無ければ80日は滑れていたと思います。
イエティナイターに37日、志賀高原に21日、八千穂高原に12日、富士見パノラマに1日、ブランシュ鷹山に3日、モンデウスに2日、野沢温泉に1日、菅平高原に1日、ASAMA2000はアルペン試乗会で1日、滑りました。

この年はイエティナイターシーズン券と長野券で幾つかの長野県内のスキー場と週末の楽しいレジャースキーと基礎スキーレッスンが満喫できました。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、八千穂ではレッスンとコブを中心に滑る、とそれぞれのスキー場で何等かの目的意識を持って滑ることが出来ました。
残念ながらクラウンはモンデウス、ブランシュ鷹山、八千穂高原と3回受験し、いずれもオール79点以下で不合格でしたが、来シーズンへの課題になりました。また来シーズン、レッスン&自己練習を重ねてチャレンジしたいと思います。

遅い夏休みでは1日八千穂、8日間志賀高原と、休暇をフルにスキーで満喫出来ました。

このシーズンの合計リフト&ゴンドラ乗車本数は1840本と残念ながら2000本には到達しませんでした。

このシーズンも同期の友人との泊まりの志賀高原ツアーは1回、開催することができました。


志賀高原乗車リフト本数:628本
志賀高原滑走ポイント:3388P

志賀高原平均リフト乗車本数:30本
志賀高原平均滑走ポイント:161P
志賀高原平均滑走標高差:8517m(公式パンフレット記載の標高差より算出)

全シーズン乗車リフト本数:1840本
全シーズン平均リフト乗車本数:23本

2019〜2020シーズン
このシーズンは16回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティナイターを最大限活用しました。早いもので私がイエティに通いだして16年が経過したのだとしみじみ思いました。
併せて、これも毎年恒例?の志賀高原のシーズン券を購入し、遠征スキーは志賀高原を中心に滑りました。
更には経営の変わった八千穂高原のシーズン券もGETして、ズン券3枚持ちという贅沢な環境でスキーが出来ました。

滑走日数は74日で、最後はコロナ禍で強制終了となりましたが、それが無ければ80日は滑れていたと思います。
イエティナイターに35日、志賀高原に34日、八千穂高原に4日、小海リエックスに八千穂とセットで2時間ほど、ASAMA2000はアルペン試乗会で1日、滑りました。
試乗会はこの後コロナ禍で中止になりましたので、ギリギリ参加できた感じになりました。

この年もイエティナイターシーズン券と志賀高原シーズン券、更にはリニューアルした八千穂高原で滑ったりと、週末の楽しいレジャースキーが満喫できました。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、八千穂では基礎練習とコブを中心に滑る、とそれぞれのスキー場で何等かの目的意識を持って滑ることが出来ました。
残念ながらクラウンはコロナ禍で受験機会がありませんでしたが、今の実力では到底無理、練習を重ねて来シーズンにチャレンジしたいと思います。

遅い夏休みでは1日八千穂、8日間志賀高原と、休暇をフルにスキーで満喫出来ました。
シーズン終盤の4/4(土)には、奥志賀エキスパート早朝から始まって、奥志賀ダウンヒルをひたすら滑り、志賀高原20000m倶楽部ゴールドも達成しました。
奥志賀第二高速10本、第三高速2本、奥志賀ゴンドラ41本、合計で23178mの標高差でした。


このシーズンの合計リフト&ゴンドラ乗車本数は2032本と2000本オーバーも達成しました。

このシーズンも同期の友人との泊まりの志賀高原ツアーを3回、会社後輩との日帰り志賀高原ツアーを1回、別の会社後輩との泊まりの志賀高原ツアーを2回、開催することができました。


志賀高原乗車リフト本数:1217本
志賀高原滑走ポイント:6691P

志賀高原平均リフト乗車本数:36本
志賀高原平均滑走ポイント:197P
志賀高原平均滑走標高差:10382m(公式パンフレット記載の標高差より算出)

志賀高原最高リフト乗車本数:54本/日(2020年4月4日)
志賀高原最高乗車ポイント:433P/日(2020年4月4日)
志賀高原最高滑走標高差:23178m(2020年4月4日)
志賀高原20000mゴールド達成しました。

全シーズン乗車リフト本数:2032本
全シーズン平均リフト乗車本数:27本

2018〜2019シーズン
このシーズンは15回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティナイターを最大限活用しました。
併せて、これも毎年恒例?の志賀高原のシーズン券を購入し、遠征スキーは志賀高原を中心に滑りました。

滑走日数は84日でシーズン滑走日数の記録更新。
イエティナイターに44日、志賀高原に34日、八千穂高原に2日、小海リエックスに1日、ASAMA2000はアルペン試乗会で1日、アルコピアはクラウン事前講習と検定で2日でした。

この年もイエティナイターシーズン券と志賀高原シーズン券、更には久しぶりに八千穂高原で滑ったりと、週末の楽しいレジャースキーが満喫できました。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、そして今シーズンもクラウンを受験する、というスタイルでスキーを楽しみながら練習することができました。
結果的にクラウンは惨敗で、楽しく滑っているだけじゃダメだと痛感しました。今後、検定受験を続けるかは思案中です。
遅い夏休みを使って3日間+4日間の合計7日間滑った志賀高原では、ハイシーズンの志賀を満喫することが出来ました。

このシーズンは、3/25の平日にASAMA2000でのアルペン試乗会にも参加できました。
そしてラストはGW前半の志賀高原に一人で4日間滑って終了しました。

このシーズンも同期の友人との志賀高原ツアーを2回、会社後輩との日帰り志賀高原を1回、実施することができました。

志賀高原乗車リフト本数:1136本
志賀高原滑走ポイント:6165P

志賀高原平均リフト乗車本数:33本
志賀高原平均滑走ポイント:181P

志賀高原最高リフト乗車本数:44本/日(2019年1月19日)
志賀高原最高乗車ポイント:237P/日(2019年4月28日)

クラウン検定:316点(−4点) アルコピアスキー場

全シーズン乗車リフト本数:2149本
全シーズン平均リフト乗車本数:26本

2017〜2018シーズン
このシーズンは14回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティナイターを最大限活用しました。
併せて、志賀高原のシーズン券を購入し、遠征スキーは志賀高原を中心に滑りました。
更に、このシーズンから富士見パノラマスキー場で新たな活動を始めたこともあり、富士見パノラマにも数日通い、今までとは違ったスキーとの付き合い方を学んだシーズンでした。
東京勤務3年目、2018年4月で異動により地元に戻ってきたこともあり、イエティナイターの滑走日数は維持でき、滑走日数は75日と、東京への新幹線通勤の環境にも関わらず、滑走日数は過去2番目に多いシーズンになりました。

このシーズンは一部地域では大雪だったり、寒かったシーズンでしたが、志賀高原には2月以降雪が殆ど降らず、且つ3月以降急激に気温が上がったこともあり、GW前半でシーズンを終えることになりました。志賀高原中央エリアはGWに営業出来ず、ヤケビは4/29で終了、奥志賀も5/3で終了と、最後が残念な終わり方になってしまいました。
その内訳を具体的数字で纏めてみます。

滑走日数:75日(家族スキーは無し)
滑走エリア:イエティ37日、志賀高原29日、富士見パノラマ6日(フリー滑走は無し、活動がメイン)、八千穂高原3日(コブレッスン、事前講習&検定)、

この年もイエティナイターシーズン券と志賀高原シーズン券、更には富士見パノラマでの活動を加え、週末の楽しいレジャースキーが満喫できました。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、そして今シーズンもクラウンを受験する、というスタイルでスキーを楽しみながら練習することができました。
遅い夏休みを使って5日間滑った志賀高原では、ハイシーズンの志賀を満喫することが出来ました。

このシーズンはイエティと志賀高原以外にも、富士見パノラマでの活動、八千穂高原でのレッスンと検定と久しぶりに八千穂高原を楽しむことも出来ました。八千穂高原はスキー場存続が危惧されているようです。かつて私が熱心に通ったスキー場でもあり、何とか存続して欲しいと思っています。

また、滑りこみの集大成として恒例のクラウン検定は八千穂高原で山梨県スキー連盟主催の検定を受験し、結果は78点が3種目、79点が1種目の313点と残念でしたが検定の緊張感を味わうことも出来ました。
このシーズンは、4/21〜22のアルペン試乗会にも参加できました。
そしてラストはGW前半の志賀高原に一人で2日間滑って終了しました。

このシーズンも同期の友人との志賀高原ツアーを2回、会社後輩との日帰り志賀高原を1回、実施することができました。

志賀高原乗車リフト本数:906本
志賀高原滑走ポイント:4898P
志賀高原平均リフト乗車本数:31本
志賀高原平均滑走ポイント:169P
志賀高原最高リフト乗車本数:40本/日(2016年1月20日)
志賀高原最高乗車ポイント:224P/日(2017年1月13日)
クラウン検定:313点(−7点) 八千穂高原スキー場(山梨県スキー連盟主催)

全シーズン乗車リフト本数:1703本
全シーズン平均リフト乗車本数:23本

2016〜2017シーズン
このシーズンは13回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティナイターを最大限活用しました。
併せて、通算3回目の当選になる、長野県全県シーズン券に当選したので、これも活用してハイシーズンから春スキーまで、志賀高原を中心とした長野県のスキー場に通ったシーズンでした。
東京勤務2年目で様子が分かってきたことと、所管する職場が東京と富士と2箇所に増えたことあり、イエティナイターの滑走日数も増え、滑走日数は75日と、東京に転勤になったにも関わらず、滑走日数は過去2番目に多いシーズンになりました。
このシーズンは私がスキーを始めてから最も雪の多いシーズンとなり、志賀高原も成人の日の3連休の翌週からは毎週大雪で、2月のリフレッシュ休暇中も半分以上がパウダー滑走という、パウダーに恵まれたシーズンでした。そのおかげでGWになっても例年以上に雪があり、シーズン終了まで雪不足には無縁で過ごすことが出来ました。
その内訳を具体的数字で纏めてみます。

滑走日数:75日(家族スキーは無し)
滑走エリア:イエティ37日、志賀高原28日、木島平2日(コブレッスン)、サンメドウズ清里1日(事前講習)、小海リエックス1日(シーズン初め)、富士見パノラマ1日(大雪のため志賀高原を撤退し午後から滑る)、ブランシュ鷹山3日(山小屋オフ&西川さんレッスン)、モンデウス飛騨位山2日(事前講習&クラウン検定)

この年もイエティナイターシーズン券と志賀高原シーズン券、更には小海リエックスシーズン券を併用したおかげで、週末の楽しいレジャースキーが満喫できました。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、そして今シーズンも4回でしたがレッスンに入ってレベルアップを図り、その集大成としてクラウンを受験する、というスタイルでスキーを楽しみながら練習することができました。
遅い夏休みを使って7日間滑った志賀高原では、その半数がパウダー滑走という、新雪に恵まれたシーズンでもありました。

このシーズンはイエティと志賀高原以外にも、久しぶりの富士見パノラマ、ブランシュ鷹山、モンデウス飛騨位山のほか、生涯初の木島平でも滑ることが出来ました。
木島平ではコブレッスンに入り、基本的なコブのアプローチから学ぶ直すことが出来ました。ブランシュ鷹山ではFBで知り合った八方のイントラさん主催のレッスンに合計3日間参加し、新しい感覚を教えてもらうことができました。
また、滑りこみの集大成として恒例のクラウン検定はモンデウス飛騨位山で受験し、結果はオール79点の316点と残念でしたが検定の緊張感を味わうことも出来ました。
このシーズンは、4/22〜23のアルペン試乗会にも参加できました。
そしてラストはGW前半の志賀高原に一人で3日間滑って終了しました。

このシーズンも私が企画した会社有志による泊まりでの志賀高原スキー/スノボツアーを1回、同期の友人との志賀高原ツアーを2回、実施することができました。

志賀高原乗車リフト本数:906本
志賀高原滑走ポイント:4581P
志賀高原平均リフト乗車本数:34本
志賀高原平均滑走ポイント:170P
志賀高原最高リフト乗車本数:45本/日(2016年2月4日)
志賀高原最高乗車ポイント:234P/日(2017年2月9日)
クラウン検定:316点(−4点) モンデウス飛騨位山スキー場

全シーズン乗車リフト本数:1388本
全シーズン平均リフト乗車本数:19本

2015〜2016シーズン
このシーズンは12回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティナイターを最大限活用しました。
併せて、5回目の志賀高原シーズン券も購入し、ハイシーズンから春スキーまで、志賀高原に通ったシーズンでした。
更に、今年も小海リエックスとシャトレーゼスキー場の共通シーズン券を入手することができましたが、これらスキー場には行く機会がありませんでした。
これら3つのシーズン券の相乗効果で、滑走日数は60日と、東京に転勤になったにも関わらず、滑走日数の低下は最小限で済みました。
このシーズンは私がスキーを始めてから最も雪の少ないシーズンとなり、志賀高原も常に雪不足、そしてGW前に営業終了と、恒例のGWスキーを楽しむことはできませんでした。
しかし、雪不足ながらもそれなりに満足できるシーズンであったと思います。
その内訳を具体的数字で纏めてみます。

滑走日数:60日(家族スキーは無し)
滑走エリア:イエティ25日、志賀高原30日、白樺2in1 1日(プライベート講習)、サンメドウズ清里2日(事前講習&クラウン検定)、エコーバレー1日(スバルゲレンデタクシー&デモレッスン)、ピラタス蓼科1日(春スキー)、

この年もイエティナイターシーズン券と志賀高原シーズン券、更には小海リエックスシーズン券を併用したおかげで、週末の家族サービスと楽しいレジャースキーの両立ができました。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、そして今シーズンも3回でしたがレッスンに入ってレベルアップを図り、その集大成としてクラウンを受験する、というスタイルでスキーを楽しみながら練習することができました。
遅い夏休みを使って9日間滑った志賀高原では、雪不足の中でも毎日楽しく滑走することができました。

このシーズンはイエティと志賀高原以外にも、久しぶりのエコーバレー、白樺2in1や、ピラタス蓼科など、近場のスキー場にも足を運ぶことができました。
エコーバレーでは、スバルゲレンデタクシーとの併催企画のSAJデモレッスンに当選し、八重樫デモに直接教えてもらう機会がありました。
また、滑りこみの集大成として恒例のクラウン検定をサンメドウズで受験し、結果は残念でしたが検定の緊張感を味わうことも出来ました。
このシーズンは、ラストが4/23のアルペン試乗会で終了しました。

このシーズンも私が企画した会社有志による泊まりでのスキー/スノボツアーを2回実施することができました(志賀2回)。

志賀高原乗車リフト本数:1044本
志賀高原滑走ポイント:4986P
志賀高原平均リフト乗車本数:39本
志賀高原平均滑走ポイント:185P
志賀高原最高リフト乗車本数:47本/日(2016年4月23)
志賀高原最高乗車ポイント:210P/日(2016年2月11日)
クラウン検定:313点(−7点) サンメドウズ清里スキー場

全シーズン乗車リフト本数:1514本
全シーズン平均リフト乗車本数:25本

2014〜2015シーズン
このシーズンは11回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティナイターを最大限活用しました。
併せて、4回目の志賀高原シーズン券も購入し、ハイシーズンから春スキーまで、志賀高原に通ったシーズンでした。
更に、今年も小海リエックスとシャトレーゼスキー場の共通シーズン券を入手することができ、近場でもそれなりに満足度のあるスキー場も併用することができました。
これら3つのシーズン券の相乗効果で、滑走日数は77日と、これまでで最高の滑走日数となりました。
その内訳を具体的数字で纏めてみます。

滑走日数:77日(うち、子供と滑った家族スキー3日を含む)
滑走エリア:イエティ42日、志賀高原27日、小海リエックス2日、サンメドウズ清里1日(事前講習)、モンデウス飛騨位山2日(事前講習1日、クラウン検定1日)、ピラタス蓼科1日(家族)、ふじてん2日(家族)、

この年もイエティナイターシーズン券と志賀高原シーズン券、更には小海リエックスシーズン券を併用したおかげで、週末の家族サービスと楽しいレジャースキーの両立ができました。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、そして今シーズンも2回でしたがレッスンに入ってレベルアップを図り、その集大成としてクラウンを受験する、というスタイルでスキーを楽しみながら練習することができました。
遅い夏休みを使って10日間滑った志賀高原とモンデウスでは、比較的天候にも恵まれ、毎日楽しく滑走することができました。
恒例の遅い夏休みでは、過去最高の10日間連続スキーを楽しむことができました。志賀高原に7日間、金曜夜に飛騨高山に移動し土日はモンデウス飛騨位山で事前講習とクラウン検定、日曜日に再び志賀に戻り、最終日は志賀高原で滑走しました。

このシーズンはイエティと志賀高原以外にも、小海リエックス、モンデウス飛騨位山、サンメドウズと久しぶりに訪れるスキー場にも足を運ぶことができました。
それ以外には春休みに入り、子供達と一緒にピラタスで1日、ふじてんで2日滑ることができました。この年の冬は雪が豊富なシーズンでしたが、4月に入ったら暖かい日が続き、あれだけ沢山あった雪が劇的に減ってしまい、シーズン後半は残念なコンディションになってしまいました。
それでも、ラストの4/29の春スキーまで楽しく滑走することができました。

このシーズンは本格的にアルハイで車中泊しながら滑走したシーズンになりました。合計0泊し滑りました。
但し、3/20のイエティナイターで左ふくらはぎ部分の肉離れを起こしてしまい、一時期十分な滑走ができませんでした。ケガをしたのは20年ぶりくらいで、無理は禁物だと思いました。

また、このシーズンも私が企画した会社有志による泊まりでのスキー/スノボツアーを2回実施することができました(志賀2回)。それ以外にも会社の知人と2回の日帰りスキー、だけかんばさんと遅い夏休みでご一緒するなど、多くの方々と交流が図れたものと思います。

志賀高原乗車リフト本数:916本
志賀高原滑走ポイント:4770P
志賀高原平均リフト乗車本数:34本
志賀高原平均滑走ポイント:177P
志賀高原最高リフト乗車本数:42本/日(2015年1月24日と2月7日)
志賀高原最高乗車ポイント:216P/日(2015年2月11日)
クラウン検定:314点(−6点) モンデウス飛騨位山スキー場

全シーズン乗車リフト本数:1932本
全シーズン平均リフト乗車本数:25本

2013〜2014シーズン
このシーズンは10回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティナイターを最大限活用しました。
併せて、10年ぶりに長野券共通シーズン券に当選したこともあり、志賀高原以外のスキー場にも通ったシーズンでした。しかし、締めくくりの春スキーは志賀高原に通いました。
1/15に義父が脳梗塞で倒れ、意識が戻らないまま入院、その結果泊まりで志賀高原をキャンセルしたり、遅い夏休みが3月中旬になったりと、例年とは違うパターンで過ごしたシーズンでもありました。
また、今年も小海リエックスとシャトレーゼスキー場の共通シーズン券を入手することができ、近場でもそれなりに満足度のあるスキー場も併用することができました。
これら3つのシーズン券の相乗効果で、滑走日数は65日と、昨年の67日には達しませんでしたが、充実したシーズンを送ることができました。
その内訳を具体的数字で纏めてみます。

滑走日数:65日(うち、子供と滑った家族スキー3日を含む)
滑走エリア:イエティ37日日、志賀高原18日、野沢温泉1日、小海リエックス1.5日、八千穂高原1.5日、サンメドウズ清里2日(うち1日はクラウン検定)、白樺湖ロイヤルヒル1日、ピラタス蓼科1日(家族)、ふじてん2日(家族)、

この年もイエティナイターシーズン券と長野県共通シーズン券、更には小海リエックスシーズン券を併用したおかげで、週末の家族サービスと楽しいレジャースキーの両立ができました。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、そして今シーズンも2回でしたがレッスンに入ってレベルアップを図る、その集大成としてクラウンを受験する、というスタイルでスキーを楽しみながら練習することができました。
遅い夏休みを使って6日間滑った志賀高原では、比較的天候にも恵まれ、毎日楽しく滑走することができました。

このシーズンはイエティと志賀高原以外にも、野沢温泉、小海リエックス、八千穂高原、白樺湖ロイヤルヒル、恒例のサンメドウズと久しぶりに訪れるスキー場にも足を運ぶことができました。
それ以外には春休みに入り、子供達と一緒にピラタスで1日、ふじてんで2日滑ることができました。この年の冬は4月に入っても寒い日が続き、2月の大雪の影響もあって、近場スキー場でも豊富な雪と良いコンディションで滑ることができました。
そのおかげで、ラストの5/1まで、春スキーというよりハイシーズンに近いコンディションでの滑走が楽しめました。春スキーシーズンになって、アルハイで車中泊して土日2日間滑ったのが2回、しかも日曜日は早朝スキーにも参戦しました。

また、このシーズンも私が企画した会社有志による泊まりでのスキー/スノボツアーを2回実施することができました(志賀2回)。しかし1回は義父の入院で幹事がキャンセルする事態になりました。それ以外にも会社の知人と3回の日帰りスキー、懐かしい友人と日帰り志賀や野沢で3日、だけかんばさんと正月と遅い夏休みでご一緒するなど、多くの方々と交流が図れたものと思います。

志賀高原乗車リフト本数:649本
志賀高原滑走ポイント:3340P
志賀高原平均リフト乗車本数:36本
志賀高原平均滑走ポイント:186P
志賀高原最高リフト乗車本数:46本/日(2014年3月13日と3月16日)
志賀高原最高乗車ポイント:222P/日(2014年3月12日)

全シーズン乗車リフト本数:1702本
全シーズン平均リフト乗車本数:26本

2012〜2013シーズン
このシーズンは9回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティナイターを最大限活用しました。
併せて、3回目の志賀高原シーズン券も購入し、ハイシーズンから春スキーまで、志賀高原に通ったシーズンでした。
また、新たに小海リエックスとシャトレーゼスキー場の共通シーズン券も入手することができ、近場でそれなりに満足度のあるスキー場も併用することができました。
これら3つのシーズン券の相乗効果で、滑走日数は67日と、昨年の73日には達しませんでしたが、充実したシーズンを送ることができました。
その内訳を具体的数字で纏めてみます。

滑走日数:67日(うち、子供と滑った家族スキー4日を含む)
滑走エリア:イエティ33日日、志賀高原23日、小海リエックス5日、八千穂高原1日、サンメドウズ清里2日(うち1日は家族)、ピラタス蓼科2日(家族)、ふじてん1日(家族)、

この年もイエティナイターシーズン券と志賀高原シーズン券、更には小海リエックスシーズン券を併用したおかげで、週末の家族サービスと楽しいレジャースキーの両立ができました。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、そして今シーズンも2回でしたがレッスンに入ってハイブリッドスキー、自然で楽なスキーを学ぶ、その集大成としてクラウンを受験する、というスタイルでスキーを楽しみながら練習することができました。
遅い夏休みを使って7日間滑った志賀高原では、比較的天候にも恵まれ、毎日楽しく滑走することができました。

このシーズンはイエティと志賀高原以外にも、小海リエックス、八千穂高原、恒例のサンメドウズと久しぶりに訪れるスキー場にも足を運ぶことができました。
それ以外には春休みに入り、子供達と一緒にピラタスで2日、ふじてんで1日、サンメドウズで1日滑ることができました。この年の冬は3月に一気に暖かくなり、近場スキー場は軒並み厳しいシーズン終盤を迎えることとなり、子供達と滑る家族スキーは、かなり厳しいコンディションの中での滑走となったのは残念でした。
その代わり、4月に入ると寒い日が続き、4/21、4/27、5/1には雪が降るなど、ラストの5/1まで、春スキーというよりハイシーズンに近いコンディションでの滑走が楽しめました。

また、このシーズンも私が企画した会社有志による泊まりでのスキー/スノボツアーを2回実施することができました(志賀2回)。それ以外にも会社の知人と4回の日帰り志賀、懐かしい友人と日帰り八千穂1日、だけかんばさんと正月と遅い夏休みでご一緒するなど、多くの方々と交流が図れたものと思います。

志賀高原乗車リフト本数:803本
志賀高原滑走ポイント:3423P
志賀高原平均リフト乗車本数:35本
志賀高原平均滑走ポイント:149P
志賀高原最高リフト乗車本数:48本/日(2013年2月3日と2月6日)
志賀高原最高乗車ポイント:190P/日(2013年4月28日)

全シーズン乗車リフト本数:1639本
全シーズン平均リフト乗車本数:25本

2011〜2012シーズン
このシーズンは8回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティナイターを最大限活用しました。
併せて、2回目の志賀高原シーズン券も購入し、ハイシーズンから春スキーまで、志賀高原に通ったシーズンでした。
これら2つのシーズン券の相乗効果で、滑走日数は73日と、昨年の61日を大幅に更新することができました。
その内訳を具体的数字で纏めてみます。

滑走日数:73日(うち、子供と滑った家族スキー4日を含む)
滑走エリア:イエティ42日、志賀高原26日、サンメドウズ清里1日、ピラタス蓼科2日(家族)、ふじてん2日(家族))

この年もイエティナイターシーズン券と志賀高原シーズン券を活用したおかげで、週末の家族サービスと楽しいレジャースキーの両立ができました。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、そして今シーズンも2回でしたがレッスンに入ってハイブリッドスキー、自然で楽なスキーを学ぶ、というスタイルでスキーを楽しみながら練習することができました。
遅い夏休みを使って8日間滑った志賀高原では、比較的天候にも恵まれ、毎日楽しく滑走することができました。
イエティと志賀高原以外には、恒例のサンメドウズで滑ったのみでした。
それ以外には春休みに入り、子供達と一緒にピラタスで2日、ふじてんで2日滑ることができました。この年の冬は何時までも寒く、4/7のピラタスでさえも真冬並みのコンディションで、最後まで良い状態でスキーが楽しめました。
このシーズンのラストは5/1の志賀高原、久しぶりに5月まで滑走した年となりましたが、GW前から気温が急激に上がり、かつ雨も降ったおかげで沢山あった雪が一気に減り、GW前までと比較すると一気にコンディションが悪化しました。

また、このシーズンは私が企画した会社有志による泊まりでのスキー/スノボツアーを2回実施することができました(志賀2回)。また、定年退職されたOBの方に同行させてもらい、志賀高原を滑ることもできました。多くの参加者と仕事以外での交流が図れたものと思います。

志賀高原乗車リフト本数:981本(1000本まであと19本足りず、、、)
志賀高原滑走ポイント:4047P
志賀高原平均リフト乗車本数:38本
志賀高原平均滑走ポイント:156P
志賀高原最高リフト乗車本数:49本/日(2012年2月5日)
志賀高原最高乗車ポイント:207P/日(2012年4月8日)

全シーズン乗車リフト本数:2037本(2000本乗車達成)
全シーズン平均リフト乗車本数:28本

2010〜2011シーズン
このシーズンは7回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティを最大限活用したシーズンでした。
そしてイエティ効果と会社の仕事が順調に推移したこともあって、滑走日数は過去最高の61日と、昨シーズンに続いて記録更新となりました。また滑走日数60日台は人生初体験でした。
その内訳を具体的数字で表現してみようと思います。

滑走日数:61日(これ以外に家族スキーでふじてん2日、サンメドウズ清里1日、リバウェル井川1日滑走)
滑走エリア:イエティ36日、志賀高原20日、サンメドウズ大泉清里2日、野沢温泉2日、富士見パノラマ1日、

この年もイエティナイターシーズン券を活用したおかげで、週末の家族サービスと楽しいレジャースキーの両立ができました。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、そして今シーズンは2回でしたがレッスンに入って修正する、というスタイルでスキーを楽しみながら練習することができました。
このシーズンは3/11、あの大震災があった日にサンメドウズ清里でクラウン検定を受験しました。結果は−6点で不合格でしたが、新たな課題を得た気がしました。
遅い夏休みを使って8日間滑った志賀高原では、天候にも恵まれ毎日楽しく滑走することができました。
イエティと志賀高原以外には、これもここ数年は恒例のサンメドウズと野沢温泉で滑り、久しぶりに富士見パノラマで滑ることができました。
また、このシーズンは私が企画した会社有志による泊まりでのスキー/スノボツアーを3回実施することができました(志賀2回、野沢1回)。多くの参加者と仕事以外での交流が図れたものと思います。

志賀高原乗車リフト本数:687本
志賀高原滑走ポイント:3267P
志賀高原平均リフト乗車本数:38本
志賀高原平均滑走ポイント:182P
志賀高原最高リフト乗車本数:49本/日
志賀高原最高乗車ポイント:235P/日

全シーズン乗車リフト本数:1541本
全シーズン平均リフト乗車本数:25本
2009〜2010シーズン
このシーズンは6回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティを最大限活用したシーズンでした。
そしてイエティ効果と会社の職場が出張の殆ど無い部署への異動=ナイターの予定が立てやすい、こともあり、滑走日数は過去最高の57日と、昨シーズンに続いて記録更新となりました。また滑走日数50日の大台も3年連続で超えることができました。
その内訳を具体的数字で表現してみようと思います。

滑走日数:57日(これ以外に家族スキーで白樺リゾート1日、ピラタス蓼科1日、ふじてん1日滑走)
滑走エリア:イエティ36日、志賀高原18日、サンメドウズ大泉清里1日、野沢温泉2日
志賀高原チャレンジカード:10周達成

この年もイエティナイターシーズン券を活用したおかげで、週末の家族サービスと楽しいレジャースキーの両立ができたと思える内容でした。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、そして今シーズンは1回限りでしたがレッスンに入って修正する、というスタイルでスキーを楽しみながら練習することができました。
このシーズンは残念ながら都合が合わず、クラウン検定は受験できませんでしたが、事前講習で課題を見出し、フリースキーで練習しつつ、なんとなくではありますが最近の滑りを会得できつつあるように思います。
遅い夏休みを使って6日間滑った志賀高原では、天候にも恵まれ毎日楽しく滑走することができました。
イエティと志賀高原以外には、サンメドウズと野沢温泉の2箇所しか行きませんでしたが、それぞれに楽しむことができました。
また、このシーズンは私が企画した会社有志による泊まりでのスキー/スノボツアーを3回実施することができました(志賀2回、野沢1回)。多くの参加者と仕事以外での交流が図れたものと思います。

志賀高原乗車リフト本数:704本
志賀高原滑走ポイント:3034P
志賀高原平均リフト乗車本数:39本
志賀高原平均滑走ポイント:169P
志賀高原最高リフト乗車本数:50本/日
志賀高原最高乗車ポイント:220P/日

全シーズン乗車リフト本数:1447本(但し、野沢の2日間は未計測のため除く)
全シーズン平均リフト乗車本数:26本
2008〜2009シーズン
このシーズンは5回目のイエティナイターシーズン券を購入し、毎年恒例のイエティを最大限活用したシーズンでした。
そしてイエティ効果もあり、滑走日数も過去最高の54日と、40代にして滑走日数50日の大台を2年連続で超え、更にシーズン滑走日数の最高記録を更新してしまいました。^^;
その内訳を具体的数字で表現してみようと思います。

滑走日数:54日(これ以外に家族スキーで白樺湖ロイヤルヒル1日、ふじてん2日滑走)
滑走エリア:イエティ33日、志賀高原16日、サンメドウズ大泉清里1日、白樺2in1 2日、野沢温泉2日
志賀高原チャレンジカード:8周達成
SAJスキー検定:クラウンプライズ不合格(456点:白樺2in1)

この年もイエティナイターシーズン券を活用したおかげで、週末の家族サービスと楽しいレジャースキーの両立ができたと思える内容でした。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、そして今シーズンは時々レッスンに入って修正する、というスタイルでスキーを楽しみながら練習することができました。
3/15には白樺2in1スキー場でSAJクラウン検定を受検してきました。結果はかなりの点数差で不合格でしたが、クラウン受験のステージに立つことができたことに感謝しつつ、来シーズンに向けての新たな課題も発見できました。
遅い夏休みを使って7日間滑ったサンメドウズ+志賀高原では、途中1日ほど体調を崩して寝込んでいましたが、それ以外は毎日楽しく滑走することができました。
イエティと志賀高原以外には、サンメドウズ、白樺2in1、そして野沢温泉と、比較的色々なスキー場で滑ったと思います。そして白樺2in1はクラウン検定目的での滑走とはいえ、この年になって実質初めて滑るスキー場でした。

志賀高原乗車リフト本数:676本
志賀高原滑走ポイント:2885P
志賀高原平均リフト乗車本数:42本
志賀高原平均滑走ポイント:180P
志賀高原最高リフト乗車本数:65本/日
志賀高原最高乗車ポイント:217P/日

全シーズン乗車リフト本数:1542本
全シーズン平均リフト乗車本数:29本
2007〜2008シーズン
(長女が幼稚園年長、次女が年少になったシーズン)

このシーズンは4回目のイエティナイターシーズン券を購入し、イエティを最大限活用したシーズンでした。
そしてイエティ効果もあり、滑走日数も過去最高の53日と、ついに40代にして滑走日数50日の大台を超えてしまいました。^^;
その内訳を具体的数字で表現してみようと思います。

滑走日数:53日
滑走エリア:イエティ30日、志賀高原17日、サンメドウズ大泉清里3日、富士見パノラマ2日、野沢温泉1日
志賀高原チャレンジカード:12周達成
SAJスキー検定:クラウンプライズ不合格(475点:サンメドウズ、474点:富士見パノラマ)

この年もイエティナイターシーズン券を活用したおかげで、週末の家族サービスとスキーでの技術レベルアップの両立ができたと思える内容でした。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、そして今シーズンは時々レッスンに入って修正する、というスタイルでスキーを楽しみながら練習することができました。
3/19にはサンメドウズ大泉清里スキー場で、3/30には富士見パノラマスキー場にてSAJクラウン検定を受検してきました。結果は不合格でしたが、クラウン受験のステージに立つことができたことに感謝しつつ、来シーズンに向けての新たな課題も発見できました。
遅い夏休みを使って5日間滑った志賀高原では、丁度爆弾低気圧の接近と重なり、厳しいコンディションの中での移動及び滑走となりましたが、レガシィの性能に助けられ、苦労なくたどり着けたこと、及びパウダーランを満喫できたことは、このシーズンのよい思い出になりました。
イエティと志賀高原以外には、サンメドウズ、富士見パノラマ、そして野沢温泉と、最近にしては色々なスキー場で滑ったと思います。

志賀高原乗車リフト本数:713本
志賀高原滑走ポイント:2934P
志賀高原平均リフト乗車本数:42本
志賀高原平均滑走ポイント:173P
志賀高原最高リフト乗車本数:63本/日
志賀高原最高乗車ポイント:221P/日

全シーズン乗車リフト本数:1644本
全シーズン平均リフト乗車本数:31本
2006〜2007シーズン
(長女が幼稚園年中になったシーズン)

このシーズンは3回目のイエティナイターシーズン券を購入し、イエティを活用したシーズンでした。
そしてイエティ効果もあり、滑走日数も過去2番目の46日と、昨シーズンに続くシーズンとなりました。その内訳を具体的数字で表現してみようと思います。

滑走日数:46日
滑走エリア:イエティ29日、志賀高原14日、八方尾根1日、サンメドウズ大泉清里2日
志賀高原チャレンジカード:14周達成
SAJスキー検定:クラウンプライズ不合格(471点)

この年もイエティナイターシーズン券を活用したおかげで、週末の家族サービスとスキーでの技術レベルアップの両立ができたと思える内容でした。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、というスタイルでスキーを楽しみながら練習してきました。
3/24にはサンメドウズ大泉清里スキー場でSAJクラウン検定を受検してきました。結果は不合格でしたが、クラウン受験のステージに立つことができたことに感謝しつつ、来シーズンに向けての新たな目標もできました。
イエティと志賀高原以外には、サンメドウズでの事前講習とクラウン受験、八方での春スキーといった場所で滑りましたが、やはりイエティと志賀での滑走が明らかに多かったです。

志賀高原乗車リフト本数:593本
志賀高原滑走ポイント:2366P
志賀高原平均リフト乗車本数:46本
志賀高原平均滑走ポイント:182P
志賀高原最高リフト乗車本数:56本/日
志賀高原最高乗車ポイント:226P/日

全シーズン乗車リフト本数:1367本
全シーズン平均リフト乗車本数:30本
2005〜2006シーズン
(長女が幼稚園年少になったシーズン)

このシーズンは2回目のイエティナイターシーズン券を購入し、更に活用したシーズンでした。
そしてイエティ効果もあり、滑走日数も過去最高の47日と、昨シーズンを更に2日も上回ったシーズンでした。その内訳を具体的数字で表現してみようと思います。

滑走日数:47日
滑走エリア:イエティ28日、志賀高原13日、八方尾根2日、信州湯の丸2日、ブランシュ鷹山1日、サンメドウズ大泉清里1日
志賀高原チャレンジカード:12周達成
SAJスキー検定:テクニカルプライズ合格(450点)

この年は昨年から購入したイエティナイターシーズン券を活用したおかげで、週末の家族サービスとスキーでの技術レベルアップの両立ができたと思える内容でした。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、その成果は3/21にサンメドウズ大泉清里スキー場でSAJテクニカルプライズ合格という結果となって表れました。来シーズンは更にスキーを極めるべく、クラウンプライズチャレンジという大きな目標も設定できました。
他には湯の丸での事前講習とテクニカル検定(不合格)、ブランシュ鷹山でのスキー試乗会参加、春の八方でのコブ修行など、有意義な滑走内容だったと思います。
来シーズンは更に洗練されたスキー技術を得て、せめて「なんちゃってクラウン」に近づけるよう、レベルアップしたいと思います。

2004〜2005シーズン
(嫁の実家で、嫁の両親と同居を始めたシーズン)

このシーズンは初めてイエティのナイターシーズン券を購入し活用したシーズンでした。
そしてイエティ効果もあり、滑走日数も過去最高の45日と、昨シーズンを5日も上回ったシーズンでした。その内訳を具体的数字で表現してみようと思います。

滑走日数:45日
滑走エリア:イエティ24日、志賀高原15日、八方尾根3日、乗鞍高原温泉1日、白樺湖ロイヤルヒルナイター1日、八千穂高原1日
志賀高原チャレンジカード:12周達成
SAJスキー検定:1級合格(356点)

この年もMt6、長野共通券とも当選せず、くじ運には恵まれませんでしたが、平日イエティナイターを活用したおかげで、週末の家族サービスとスキーが両立できたと思える内容でした。
イエティで練習し、志賀で滑り込む、その成果は3/下旬に八千穂高原でSAJ1級合格という結果となって表れました。来シーズンからのテクニカルプライズチャレンジという大きな目標も設定できました。
他には乗鞍でのいたるさんレッスン、ロイヤルヒルでの超うまい知り合いとのスキー、春の八方でのコブ修行など、有意義な滑走内容だったと思います。
来シーズンは更に洗練されたスキー技術になるよう、レベルアップしたいと思います。

2003〜2004シーズン
(娘が2人になった最初のシーズン)

このシーズンは地元イエティの活用を教えてもらったシーズンでした。そしてイエティ効果もあり、滑走日数も過去最高の40日と、実に充実したシーズンでした。その内訳を具体的数字で記載してみようと思います。

滑走日数:40日
滑走場所:イエティ16日、八方2日、野沢温泉1日、乗鞍高原温泉1日、志賀高原20日
志賀高原チャレンジカード:24周達成
志賀高原最高リフト乗車ポイント:253P(2003/12/23達成)
志賀高原リフト総乗車ポイント:3520P
志賀高原リフト平均乗車ポイント:176P
志賀高原リフト総乗車本数:968本
志賀高原リフト平均乗車本数:48本

この年は、3年連続のシーズン券当選はなりませんでしたが、何故か2002〜03シーズンよりも志賀高原滑走日数が多く、更に他にも八方、野沢、乗鞍などに遠征もしたシーズンでした。
また、インターネットを通じ、従来であれば絶対に縁が無いだろうなぁと思われる方々との交流、更にはそれら濃い方々からの情報提供により、スキーの楽しさ、奥深さを教えていただいたシーズンでもありました。例えば、、、
ハイシーズンの野沢の面白さ、乗鞍でのいたるさんレッスン、八方での春のコブ修行、地元イエティの活用方法など、これまでの私なら考えもつかないようなことを教えてもらい、とても充実したシーズンでした。
特にイエティの活用法(平日ナイター)を教えて頂いたことは、今シーズン限りでなく、来シーズン以降にも繋がる貴重なものです。
来シーズンはナイターシーズン券を購入し、更に割安に楽しもうと思っています。
2002〜2003シーズン
(妻がニ人目を妊娠したシーズン)

このシーズンは何と「長野券」に当選してしまい、またまたスキー回数が増えた、というか維持できたシーズンでした。
以下出来るだけ具体的な数字で記録しておこうと思います。

滑走日数:22日
滑走場所:イエティ2日、八方1日、志賀高原19日
志賀高原チャレンジカード:12周達成
志賀高原最高リフト乗車ポイント:251P(2003/05/03達成)
志賀高原食事場所:横手お食事処8回、ベルグ2回、志賀の湯2回、ジャパン志賀1回、焼額ウェストサイド1回、奥志賀2回、車中食2回、昼飯抜き1回(スキー場開き)

この年は、兎に角志賀高原に行きまくった(と自分では思う)シーズンでした。当初はチャレンジ7周くらいやればOKと思っていたのに、気がつけば12周も達成していて、とても充実していました。滑走日数的には22日ですが、内容は2日のイエティ(それも10月と11月)を除けば、八方と志賀ばかりで、非常に濃い内容だったと思います。

3/27にななさんの祖母が他界、4/6に次女が出産と、3月下旬から4月にかけて、一時春眠?しましたが、ななさんの許可も得てGWには復活でき、残雪の多い志賀を堪能することができましたし、まさか春スキーで今シーズン最高乗車ポイントを叩きだすとは思いもよりませんでした。

2001〜2002シーズン
(妻が一人目を出産したシーズン)

このシーズンはシーズン前、というか正確には6月に長女が産まれたシーズンでした。通常であれば出産→スキー引退となるところですが、何とこのシーズンもMt6のシーズン券購入権利が当選し、今年は購入してもよろしいとななさんに言われたので、すかさず申込みました。
この結果、シーズン滑走日数は21日、しかもそのうち16日が志賀高原、1日が八方という内容の濃いシーズンになりました。リフト券が無料だと、近場で滑るも志賀へ行くも費用は変わらないため、志賀での滑走密度が高くなったのです。
このシーズンは他にも、従来の私のスキースタイルを打破する幾つかの事件?がありました。
1.志賀高原チャレンジカードを6周達成。
2.前日夜立ちの車中泊による日帰りスキーを敢行
3.ハイシーズンに日帰り単独スキーを敢行
4.1人で宿泊して志賀スキーを敢行

12月は早速Mt6を使って志賀高原でスタートし、年末にはピラタス蓼科、大晦日には数年ぶりに御坂ナイターにも出かけました。正月は日帰り志賀、そして正月明けには1日券500円キャンペーン中のブランシュ鷹山に行き、久しぶりにスクールに入るとともにサロモンテストセンターで最新のサロモンスキーをレンタルしました。

1月下旬には友人と2人、2泊3日で志賀高原を滑り、更に2/2には単独日帰りで志賀を滑り、ここでチャレンジ2周達成しました。
2月は中旬にも友人と2人、1泊2日で志賀高原を滑り、ここでまた2周達成しました。更に2/28〜3/1は単独1泊2日で志賀高原入りし、またまたチャレンジを始めました。

3月は日帰りで志賀を2回滑り、チャレンジを2周達成、更に長野オリンピックメモリアルイベントにも参加し、世界の小沢征爾氏や神田正輝氏と一緒に滑る機会にも恵まれました。
3/28には単独で今シーズン初の八方へ行き、SAJ1級検定を受験したのですが、敢えなく敗退しました。^^;

4月に入ると体調を崩したりしてスキーに行く機会を逸しましたが、下旬にはGW前の志賀高原を滑走できたり、GW前半には単独日帰り、後半は友人と泊まりで滑ることができ、恒例のビデオ撮影や奥志賀でのお楽しみ抽選会にも参加することが出来て、とても有意義な春スキーでした。抽選会では昨年同様に長野電鉄の宿泊&食事補助券をGETすることができました。
3月以降暖かい日が続き、例年より雪の少ない志賀高原でしたが、各スキー場を車で移動すれば広大なスキーエリアに変身し、十分に満足できる春スキーでした。

このシーズンはMt6の恩恵に十分預かることができ、少ない予算ながら志賀高原や八方などのビッグエリアを堪能することが出来ました。

最後に、娘が産まれ通常であればお父さんだけがスキーで遊ぶなど許されない状況の中、これだけの日数と期間、スキーに行かせてくれたななさんに感謝いたします。m(__)m
2000〜2001シーズン
(妻が一人目を妊娠したシーズン)

このシーズンはシーズン前に妻の妊娠が分かり、主に私1人でのスキー行きが多かったシーズンです。当初今シーズンは無いかとも思われたのですが、理解ある妻に恵まれ、シーズンが終わってみれば滑走日数15日と、ピーク時の半分にはなりましたが、12月〜5月GWまで滑ることができました。

シーズン前にはMt6当選などの嬉しいこともありましたが、結局この年の私では使いきれないと諦めた残念なできごともありましたが。。。

12月は御坂でスタートし、年末にはピラタス蓼科、正月明けにはブランシュ鷹山を滑りました。午前券での御坂スキーのあとは、身重の妻を自宅に残して、友人と2人3泊4日で志賀高原を滑りました。この時チャレンジカードを2周達成し、またまたTシャツをGETしてきました。しかしながら妻の体調のこともあり、このシーズン、の泊まりでスキーはこの1回限りでした。

2月に入ると近場日帰りで八千穂高原とピラタス蓼科を滑り、八千穂では過去の人と化した友人と2人で滑ってきました。

3月はネットで知り合った同郷の方と日帰り志賀、翌週は職場の友人&後輩と日帰り志賀と連荘で志賀を滑りました。1ヶ月半振りの志賀は、やはりスキーなら志賀高原と納得させられる面白さがありました。

本来ならこのシーズンは3月で終了のハズだったのですが、理解ある妻の承諾を得て、4月は八方へと修行の旅に出かけました。恐らく数年振りであろう春の八方は天候に恵まれ、滑走可能な全てのエリアを滑ってきました。志賀も面白いですが、やはり八方も捨てがたいという気持ちになりました。

そしてシーズンの締めくくりは結局志賀高原、友人と2人で日帰り2日間、志賀で春スキーを堪能してシーズンを締めました。滑走日数こそ少なかったものの、志賀や八方の密度が高く、内容的には充実したシーズンであったと思います。
1999〜2000シーズン
(結婚して2年目のシーズン)

このシーズンは結婚2年目ということもあり、妻の承諾を得る方法も自分なりに考えたおかげで、結婚した割には充実したシーズンを過ごすことができました。

12月中旬には妻と八千穂高原へと初滑りに出かけ、順調なシーズンインとなりました。ところが折角休暇を取って楽しもうと思っていた年末には、何と妻と2人仲良く?風邪を引いて寝込んでしまい、どこにも行けませんでした。(T_T)

更に追い打ちをかけるように1月上旬には韓国への出張、泊りでスキーに出かけることは出来ず、結果年明け最初のスキーは、御坂ナイターでお茶を濁すことになりました。漸く念願の志賀高原デビュー出来たのは、韓国より帰国した最初の週末でした。この週末、3連休の翌週に当たったため、スキー場はガラガラで滑り倒すには最高の状態でした。但し雪質はシーズンインから続いた雪不足のため、志賀高原らしくないアイスバーンの多い状態でした。
その後は久しぶりに岩岳&栂池に泊りで出かけ、翌週は年イチスキーヤーの某氏と御坂ナイターへ、2月の3連休は八千穂日帰り、翌週末には待望のリフレッシュ休暇を使って5泊6日で志賀高原に出かけました。がしかし、イマイチ天候に恵まれず雪の日が続きました。でもそのおかげで新雪滑走はタップリ楽しめましたが。また1月の志賀高原とリフレッシュ休暇でチャレンジカードを2周完了させることができました。

3月最初の週末には、初めて夜立ちして夜中ホテルに到着し半泊にてまたまた志賀高原へと出かけ、あいにくの雨の中、しっかり16時過ぎまで滑りました。この日で漸くチャレンジカードが3周完了し、妻と合わせて記念品とTシャツを6枚GETしました。どうやら今年もTシャツには困らないようです。(^^;
翌週には今シーズン一回も実施していなかったビデオ撮影のため、近場の富士見高原スキー場へと行きましたが、折りからの雪でゲレンデはボコボコの新雪、視界も悪く断念せざるを得ませんでした。3月の3連休では妻の仕事が忙しく休日返上なのを良いことに、1人で志賀高原日帰りスキーを計画しましたが、何と痛恨の寝坊により実現しませんでした。結局3連休の最終日に1人でブランシュ鷹山へと出かけ、サロモンTESTセンターにて来年モデルのスキーなどを試乗しました。翌週末も妻は仕事だったので、今度はピラタス蓼科へと出かけ、ロープウェイに乗りまくりました。この日は3月最終週だというのに、終日氷点下の気温でハイシーズンのようなゲレンデ状態で滑ることができました。

4月に入るといきなり体調を崩し、2週間ほどスキーに行きませんでした。そして4月中旬には初めて一人、しかも日帰りで志賀高原へと出かけ、現地にてインターネットで知り合った方々と一緒に滑ることが出来ました。そしてシーズン最後のGWには、一人日帰りで志賀高原へと2回出かけました。このシーズン、3月、4月の気温が低く、志賀高原ではこの時期に多くの雪が降ったためか、GWでも多くの雪が残っており、奥志賀からジャアントまでをスキーで滑りながら移動することが可能で、ハイシーズン並みの滑走量が楽しめました。シーズン最終日にはインターネットで知り合った方と一緒に滑ることが出来、良い思い出になりました。

滑走日数は昨シーズン同様の21日を達成することが出来、自分としてはかなり満足できる結果となりました。(^^)v

1998〜1999シーズン
(結婚して初のスキーシーズン)

この年は結婚して最初のシーズンでした。
シーズン当初、秘かに滑走日数15日以上を目標に掲げた私は、精力的にスキー日程を組んでいきました。
シーズンインは八千穂高原、年末にはピラタス蓼科、そして年明けは流石に例年のような日帰りスキーは断念せざるを得ず、1月中旬からの志賀高原まで空くことになりました。

志賀では悪夢のような昨年とは打って変って天候、雪にも恵まれ、初めてチャレンジカードも体験しました。最終的にはこのシーズン、私と妻、それぞれ3回ずつ達成し、夏のTシャツ代を浮かせることに成功しました。(^^;
但し残念ながらスキー用品一式は当たることが出来ませんでしたが・・・。

その後妻にとっては初めての御坂ナイター体験もし、八千穂高原、五竜&47を日帰りでこなし、また志賀高原に泊まりでやってきました。
この時は2日間でチャレンジカードを達成しています。

八千穂を間に置いて、春分の日の3連休には日帰り志賀高原にチャレンジ、帰りの道路は季節外れの大雪によるチェーン規制のため、時間こそ掛かりましたが、レガピーちゃんは全く問題なくクリアーすることができました。

4月には恒例の春の八方に行きましたが、残念ながら雨により早々に退散、翌週の泊まりで志賀高原でも日曜日が雨に祟られ、実質1日しか滑れませんでした。

GWには初日浮気してARAIへと行きましたが、ゲレンデの楽しさでは志賀に叶う訳もなく、2度と来ることはないスキー場になりました。ARAIではオフピステ滑走で倒れた木にすねをぶつけ、手痛い思いもしました。
(ただARAIのレストハウスで休憩している世界の「海和俊宏」さんを 見れたのはラッキーだったカモ。)

2年振りにやってきた春の志賀高原では、予定の行動を全てこなすことが出来、大変充実した滑り納めとなりました。
熊ノ湯では「我慢」デモの生滑走を見ることが出来たり、奥志賀では元世界のTOPダウンヒラー「川端絵美」さんのセットしたポールを滑ったり、また本人の滑りも見られました。

滑走日数は当初の予定を大きく上回る、21日を達成することが出来、まずまずの結婚1年目だったと満足しています。(^^)v

1997〜1998シーズン
(レベルアップの腕試しで
玉砕したシーズン)

この年は未だ記憶に新しいと思いますが、そうです、あの「長野オリンピック」が開催された年でありました。
でも我々一般のスキーヤーにとっては過酷なシーズンでもありました。
何と正月まで雪が少なくてまともにスキーできない状態だったのです。
この年はシーズンインから暫くは日本ランドで滑りました。
丁度カービングスキーを買った年でもあり、足慣らしに良く出かけた記憶があります。実は何より500円で滑走可能なチケットを入手したことが一番の理由なんですが・・・。

年末にはピラタス蓼科、更には日本ランドへと出かけ、大晦日はやっぱり御坂ナイター、そして正月もやはり御坂ナイターで過ごし、マトモなスキー場には1日しか行かないという状態でした。

正月明けに漸く大泉清里、八千穂、ブランシュ鷹山とまあまあマトモな日帰りスキー場を転戦することが出来、遅れ馳せながら蓼科アソシエイツにも行きました。

年明けと言えば、1/15成人の日に御坂ナイターに行こうとしたら、何と前日からの河口湖大雪により、道路が動かなくて断念したことも記憶に新しいです。河口湖で積雪1mなんて、あの時だけだったと思います。

恒例の志賀高原では、この年過去最高の6泊7日を経験しました。
尤も内容は結構悲惨で、2月中旬だと言うのに雨に降られたり、強風でリフトが止まったり、余り良いコンディションとは言えなかったと思います。あんな志賀高原はスキーはじめて以来のことでした。

長野オリンピックの影響か、はたまたボードブームによるスキー人口の減少かはわかりませんが、とにかく空いていたことだけは良く覚えています。

その後3月には小海リエックス、ブランシュ鷹山、御坂ナイターで日数を稼ぎ、4月最初にASAMA2000に行ったのがこのシーズンの最後となりました。
ASAMA2000ではチョットした腕試しをやったのですが、あえなく玉砕し、つくづく自分は中級なんだと言う事を思い知らされました。(^^;;;

例年のGW志賀高原は、私のアメリカ出張のためキャンセルとなってしまいました。尤もこの年は志賀高原でも雪の溶けるのが異常に早く、GWには殆ど不可能であったようなので、ある意味諦めがついたのかもしれません。

滑走日数は26日でやはりGWに滑れないのが響いて30日を割り込んでしまいました。(T_T)

1996〜1997シーズン
(久しぶりに新規スキー場を
開拓したシーズン)

シーズンインは会社の先輩や同期の人間と日帰りで八方に行きました。
この時期の八方は初めてだったのですが、視界が悪かった上に(白馬ではナゼか天気に恵まれない)、圧雪していないボコボコの斜面に手こずってしまい、とても初滑りとは言えないような、ハードスキーになってしまいました。
これに懲りて、以後白馬での初滑りは止めようと心に決めました。
年末までにはASAMA2000、クリスマスには八千穂、そして年末には未開の地、木曽方面の木曽福島へと遠征しました。しかし木曽は遠かった。

大晦日には恒例のなりつつあった御坂ナイター、年が明けると乗鞍高原温泉、そしてまたまた御坂ナイターと精力的に滑走日数を伸ばしました。

成人の日には恒例の蓼科アソシエイツで特訓、ハイシーズンの八方にも泊まりで出かけ、菅平日帰りもやりました。
その後日帰りでは大泉清里、八千穂、などで滑り、また御坂ナイターも空いた休日は欠かさず出かけました。

会社の長期休暇では恒例の志賀高原で滑り、春スキーは雨の八方から大泉清里のNEWモデルスキー板試乗会へとなだれ込み、更には無料チケットにて御岳まで遠征もしました。

でも締めくくりはやはり志賀高原、GW前半を志賀高原で締めくくりました。

滑走日数は丁度30日で、2年連続30日を達成しました。

1995〜1996シーズン
(滑走日数がピークを迎えたシーズン)

この年もまた、シーズンインには泊まりで白馬へと出かけました。
昨年の教訓を生かし、宿は五竜として、五竜&47にて滑走しました。残念ながら今回も天気に恵まれず、初日は雪、2日目は強風でリフトが止まり、47まで行ってしまった我々は、何と五竜までタクシーで帰ってくるハメになってしまいました。

年末にはブランシュ鷹山と御坂ナイターに、年明けには乗鞍高原温泉と御坂ナイターに、蓼科アソシエイツにはシーズン3回(うち1回はマイレガピーで)、御坂ナイターにはシーズン6回、他には八千穂高原と鹿島槍に日帰りスキーがありました。

泊まりでは恒例の志賀高原以外には、名古屋在住の従兄弟と行った栂池、4月春スキーの八方がありました。
モチロンGWは志賀高原で締めくくりです。。。と思ったらこのシーズン、4月、5月で大泉清里が2回ありました。
確か4月の清里では、お茶の水の「大岩スポーツ」という店が主催したデモと滑る&NEWモデルスキー試乗会を開催しており、デモの滑りも間近で見れて大変参考になった記憶があります。
GW最後の清里では、昨シーズンあった、最終日のソフトクリ−ムサービスを待っていたのですが、どうやらサービスやらなくなってしまったようで、残念でした。

このシーズンの滑走日数は御坂ナイターの効果があってか、はじめて30日の大台に乗ることが出来ました。(^_^)v


1994〜1995シーズン
(初級から中級へとステップアップした、
記念すべきシーズン(^^;;;)

シーズンインから泊まりで栂池&五竜と幸先良いと思ったら、季節外れの猛吹雪で大して滑れず、初滑りからつまずいたシーズンでした。
クリスマスには彼女と八千穂高原に行き、年末には叔父と白樺国際に行きました。この時朝1本目で叔父が転倒&肩を脱臼し、僅か数本で帰ってきたのもこのシーズンです。

年末にはもう一回八千穂に行き、年始の蓼科アソシエイツでは雨のため凍結した上りをFF+4輪スタッドレスのプリメーラでは上りきれず口惜しい思いをして、成人の日にしっかりリベンジしたり、会社組合ツアーでは乗鞍高原温泉に行きました。

会社の長期休暇では志賀高原へと行き、久しぶりの八方では前出の会社先輩が足を傷めて滑れなくなったり、周りにケガ人の多いシーズンでもありました。
蓼科アソシエイツには4回(うち1回は途中で断念)通い、とうとう1ランク上の滑りをモノにすることができました。(^_^)v

1人で御坂ナイターへと通い始めたのもこのシーズンからでした。
ナイターならリフト券は安いし、夕食はコンビニ弁当で安上がりだし、交通費もガソリン代しか掛からないし、おまけに自宅から1.5時間で近いと良いこと尽くめなので、以後ヒマがあればナイターに通って滑走日数を稼ぎだしました。

この年も恒例となってきたGWの志賀高原には2泊3日で参加し、またGW最終日には大泉清里へと1人で出かけて滑ったシーズンでもありました。

この年は御坂ナイター効果もあってか、滑走日数は25日でした。


1993〜1994シーズン
(秘密の特訓道場に通い出したシーズン)

このシーズンから滑走記録がエクセルに残されていました。^_^)v
シーズンインはピラタス蓼科、クリスマスには彼女と小海リエックスに行き、末には八千穂、そして日本ランドのナイターに通ったのもこのシーズンです。

志賀高原には、会社が夏休み代わりに設定している長期休暇を利用して志賀高原に行き、はじめて熊ノ湯、横手山、渋峠へと足を踏み入れました。
(この時熊ノ湯ホテル玄関前で当時の「上原由」デモとか、「小林正仁」デモを 間近で見ることができました)

このシーズンは3月下旬にも泊まりで、更に5月GWにも泊まりで志賀高原へと3回通ったことになります。GWにはあの「国民宿舎」 へと宿泊しました。

他にはブランシュ、ザイラーバレーなどに行き、泊まりでは八方にも行きました。確かこの八方、前日まで大雪で交通機関が麻痺し、我々がR20をひた走っているときには、何と昨日のスキー帰り客が未だ上り車線で渋滞しているという、凄い状態だったことを覚えています。

そしてこの年は忘れもしない、この後の私のスキー人生の転換期となった、「蓼科アソシエイツスキー場」を開拓した年でもありました。
このスキー場、以前から叔父が一度は滑ってみたいところだと、ルートを探していたのですが、その前のシーズンに漸く道を発見し、今年こそと意気込んでいたのに便乗したのです。

地元望月町の人以外、殆ど誰も知らないスキー場だけあって、ペアリフト1本、ゲレンデ1コースという割には、ガラガラでした。
余りに空いているので、スキースクールにでも入ってみようということになりスクールに申し込んだのですが、これがレベルが高い。
ここ数年私の中で悩んでいたことがあっさりと解決し、とても有意義なスクールだったと感謝したものです。私はこのスクールで、「切れるターン」を習得したと言っても過言ではありません。
すっかりこのスキー場に魅せられてしまった私は、この年2回、以後も毎年数回は訪れるようになりました。

ただこのスキー場、当時はR141の臼田町からの上りが未舗装の林道であったため、道路は凍結してるは、ボコボコだわ、春スキーシーズンになるとドロドロだわで、クロカン4WDでないととても行けそうにない道路でした。
でも着実に道路工事が進み、今ではスキー場まで舗装路で普通乗用車でも十分に辿り着けます。
唯一残念なのは、このスキー場、不景気の煽りをくらったのか、98〜99シーズン以降営業していないのです。早期復活を期待したいですね。

この年の滑走日数は22日でした。


1992〜1993シーズン
(シーズン途中にインスルエンザで
滑走日数が伸び悩んだシーズン)

シーズンインはピラタス蓼科ではじまり、年末年始には日帰りで八千穂へ、組合のツアーでは戸隠へと行きました。
叔父と従兄弟と3人で妙高杉の原と池ノ平へと遠征し(この時従兄弟からインフルエンザをうつされた、と思う)、その後は彼女と行くハズだった乗鞍高原温泉が彼女にうつったインフルエンザのため、結果私と会社同期の人間2人になり、妻を置き去りにしたことで、今でも妻から非難の声を浴びることになる事件もありました。

3月下旬にはどうしても行きたかった志賀高原へと行くことが出来、1日吹雪の中、宿での待機を余儀なくされたと思ったら、翌日は腰まで入るフカフカの深雪を堪能できたりして、志賀高原って素晴らしいと感動しましたっけ。

このシーズン、思いのほか滑走日数が伸び悩んでいた時、従兄弟が4月下旬に志賀高原へと日帰りで行くというので一緒に行ったら、すっかり春スキーの虜になってしまい、懲りずに翌週も日帰りで志賀高原に行ったのもこのシーズンです。
確か5/1に行ったら、雪が降っており感動したことを覚えています。
この翌日、横手山でキャンプしていた人が遭難したとニュースで放送していました。

ハイシーズンにインフルエンザでダウンしたにも拘らず、春までしっかりスキーしたお陰で、滑走日数は20日間くらいにはなったと思います。

1991〜1992シーズン
(今の妻と知り合って最初のシーズン)

このシーズンは今の奥さん(当時は彼女)と知り合って、彼女にスキーを教えたシーズンです。
初滑りは八千穂、その後日本ランドで彼女に再度特訓し、そして年明けの組合ツアーの栂池では、そこそこ滑れるようになっていたと思います。
妻はこの年に起こった数々の出来事(主に私の不手際)を鮮明に覚えていて、スキーシーズンがやってくると、あの時は随分とヒドイ扱いを受けたと、いじめられます。

その後、この年で最後となってしまった、会社同期によるツアーで軽井沢プリンス&万座へと行き、また会社先輩達とはまたまた八方で特訓を受け、僅かながらもレベルアップした記憶があります。

その後恒例となりつつあった志賀高原へのスキーツアーも慣行し、彼女にも楽しい思い出が出来たハズと喜んでいました。
そうそう、確かこの年の年末には御坂ナイターにはじめて行ったと記憶しています。

この年も滑走日数も20日間前後ではなかったかと思います。


1990〜1991シーズン
(八方に泊まり込んで猛特訓し、
レベルアップしたシーズン)

前出の会社先輩達に連れられ、野辺山&八千穂でシーズンインし、年末年始には学生時代の友人達とバスツアーで野沢温泉に行きました。
ツアーの窮屈さと、野沢の外湯の凄さ(汚さ)に閉口した覚えがあります。
野沢上部のTバーに乗り損ねたり、シュナイダーを迂回するとても長い林間コースを滑ったり、あの幅の狭いスカイラインコースに行ったりと色々と滑った記憶はあるのですが、とうとう最後まで良い印象が無かったスキー場です。
その後組合ツアーでは栂池、会社同期でも栂池に行ったと思います。
あの頃は栂池がとても好きなスキー場でした。

そうそう、この年は私にとって忘れられない記念の年でもありましたっけ。有休を使って5日間八方に泊まりこみ、八方を堪能し、更にレベルアップしたシーズンでもありました。初のビデオ撮影で、「このヒョコヒョコ跳ねて滑っているのは誰だ!!」と思ったら自分のことで、最高にショックだったことを鮮明に覚えています。(^^;;;

それから、このシーズンに前出の会社先輩達の企画で久しぶりに志賀高原にも行きました。天気には恵まれませんでしたが、3日間志賀高原を堪能して、すっかり志賀に魅せられてしまったシーズンでもありました。
この年以降、毎年志賀高原に行くのが恒例行事になりました。

それとこの年は久しぶりに会った幼なじみと泊まりでスキーにも行きました。
目的地は白馬47だったのですが、大雪&強風のため動いてないという情報だったので、「ヤナバ」と「爺が岳」で滑った記憶があります。
わざわざ白馬まで行って超マイナーな2箇所しか滑らないという、かなりレアな体験をしたものです。

この年は滑走日数がはじめて20日間を超えたと思います。
初滑りには友人の車が鬼門の甲府精進湖道路にて、またまた路面凍結による単独クラッシュを起こし、やはりこの道路は危険との認識を強くしました。

1989〜1990シーズン
(学生時代の友人達との
スキーが多かったシーズン)

学生時代の友人が就職して地元に帰ってきたのを機に、彼等とのスキーが多かったシーズンです。
白樺2in1にてシーズンインし、その後ピラタス蓼科、白樺国際、八千穂高原と日帰りスキーに行き、年末には彼等と菅平へと泊まりでも行きました。
年始は従兄弟と乗鞍高原温泉に行き、その後ブランシュ鷹山、そして会社同期でのスキーは栂池へと行きました。
組合ツアーではサンアルピナ鹿島槍だったと思います。

この年は年明けから交代勤務に入った時期があり、叔父とその知人と出かけたブランシュへのスキー帰りに、側溝にはまったスカGを助けて、夜勤に遅れそうになって、そのまま寝ずに仕事したこともありました。
あの頃は若かったんでしょうね〜。

そうそう、友人の車で白樺国際に行った時は、12月中旬にも拘らず甲府精進湖道路の凍結により友人が単独事故をやってしまったことも印象深い出来事でした。しかしながらこの友人、自走できるから問題なしと、そのまま白樺国際へと予定通り行ってしまったのにはチョット驚きました。

あの時から「この道路は危険」というイメージが出来上がったように思います。
この年は滑走日数が15日前後になったと思います。


1988〜1989シーズン
(初級スキーヤーだった頃)

このシーズンは八千穂高原でシーズンインし、年末には叔父と白樺湖ロイヤルヒルへと行き、従兄弟とコブ斜面ばかり滑った記憶があります。

会社同期との白馬五竜&岩岳スキー、会社組合のツアーにて白馬乗鞍&コルチナ、あとブランシュ鷹山にも行ったと思います。

近場では初めて御坂にも行きました。近いのは良いのですが、とても混雑していてやる気を無くすスキー場のように思った記憶があります。

春にはこの後しばらくのシーズンスキーをご一緒することになる会社先輩に連れられ、八方の技術選を見たりもしました。
春の八方は初級者の自分には手強く、大変なスキー場に来てしまったと後悔したこともありました。

静岡県人のためのスキー場、八千穂高原デビューしたのはこの年でしたし五竜のチャンピオンコースをノンストップで滑り降りる集団が白馬高校の生徒だと知ったのもこのシーズンでした。

あと2月建国記念日の連休で日帰りスキーに行き、諏訪IC手前からの大渋滞でとうとうスキー場に辿り着けず終わってしまった苦い思い出もありました。

たぶん滑走日数は10日間くらいだったと思います。

1987〜88シーズン
(スキーデビューの年)

車山高原にてスキーデビュー、その後富士天神山、会社組合のツアーにて岩岳、そしておじに連れられ、ブランシュ鷹山&野辺山、会社同期の友人達と志賀高原、その後もう一度ブランシュに行った記憶があります。

確か2月中旬でシーズンが終わり、滑走日数は10日間程度だったと思います。
岩岳では初日に吹雪かれましたが、会社同期の友人達とゴンドラ上部から下部まで1時間掛けて滑り降り、何て広いスキー場なんだと感心したものです。

志賀高原では、安易な車の装備で出かけたばかりに、随分と時間が掛かり、こんな遠いスキー場にはもう来ないだろうと思っていた記憶があります。
現にこの後数年間は志賀高原に行こうとは思いませんでした。

実はこの年、あの伝説の映画「私をスキーに連れてって」が公開された年でもあり、スキーが大ブレイクしたシーズンでもありました。



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