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■第1回 いきさつ編(2004/10/25)

■韓国語に出会ったのは12歳(1974年)の時。

なぜ韓国語に関心を持ったのかは、今となっては思い出すことが難しいのですが、たぶんあの文字(ハングル)の形だと思います。当時、図書館で調べたところ、あの文字は組み合わせて成り立っていることを知りました。世界にはいろいろな文字がありますが、ハングルのように組み合わせて使う文字は少ないと思います。「ひらがな」や「かたかな」は漢字から生まれ、1音で発音する文字ですが、、ハングルは組み合わせによって、多音の発音ができる文字なのです。
たぶん、ハングルが「組み合わせ文字」であったことが、小学生の私の好奇心に火をつけたのではなかったか、と思います。

■メモ:ハングルは、朝鮮王朝第4代の世宗大王(1397-1450)によって、制定されました。世宗大王は韓国銀行券の最高金額、1万ウオン紙幣の肖像になっています。

■テキストなしでの勉強開始

とはいえ、当時の韓国は、本当に「近くて遠い国」でした。今のようにインターネットがあるわけでもなく、言葉の勉強といっても、本屋さんで売っている海外旅行ガイド「韓国」の後ろに2〜3ページほど載っている「会話集」だけでした。

■KBS放送との出会い

ただ、折りよく短波放送がブームとなり、私もかなりの交渉をしてラジカセを購入(小学生の小遣いでは手が届かないため)してもらい、韓国からの国際放送「ラジオ韓国」の韓国語講座で勉強を開始しました。
この国際放送を行っていたのはKBS(当時の韓国放送公社)でしたが、中学生のころは、この放送局と月に1度は手紙のやり取りをしていたように記憶しています。航空便を郵便局に出しに行くだけでも、なぜか時代の最先端をいっているような感じがしました。

■初めての外国送金(1978年)

高校に入りしばらくして、韓国にも中高生が読んでいる学生雑誌(当時の日本でいえは○○時代とか○○コースなどの雑誌)があることを知りました。
そこで、無謀にもこの雑誌を作っている中央日報社(本社:ソウル)に、「そちらで編集している”学生中央”という雑誌を日本で年間講読したいがどうすればよいのか?」という内容の手紙を、稚拙な韓国語で書いて送りました。
 
すると、数週間後に購読金額と送金先が書かれた手紙が届きました。
今思えば、なぜ外国送金の方法がわかったのか思い出せませんが、郵便局に行って「外国為替」で購読料を送金しました。
 
また数週間がたって、いよいよ本が到着しました。途中でいろいろと検査を受けたのか、封筒はいろんなスタンプが押され、開封口はボロボロでしたが、中には待ちに待った「学生中央」が入っていました。早速、買ったばかりの「韓日・日韓辞書」を片手に読みましたが、内容は青春の悩みQ&A、スポーツ名選手列伝、方程式の簡単な解き方、試験にでる英熟語××など、日本の学生雑誌とほぼ同じ内容でした。国は違えど、やってることは同じだなと感じました。

■受験・・・そして忘れ去られた韓国語(1981年)

そのうち、高校3年。いよいよ受験ということになり、韓国語ではなく苦手な「英語」の勉強をしなければならず、年間購読していたこの雑誌も、机の上から本棚に、そしてダンボールへと移動。受験後に東京の大学に通いはじめると、新しい刺激のある生活が始まり、これらの本も辞書も、覚えた韓国語もいつしか、忘れ去られてしまいました。

■いまなら第2外国語として大学入試で韓国語を選択できるようになったようですが、当時は英語ONLYですので、仕方ありません。

     


■道中記に入る前に、
今回は私と韓国との出会いを、30年前に遡って、お話します。








 次回は失った記憶を取り戻すことになった、あの有名なドラマの話から・・・  お楽しみに