小説 〜DAVALPUS〜
第四節 猟犬
酒場での一件の後、オズワルドと黒衣の男は警備兵がやってくるのに先んじて、その酒場を後にしていた。
広大な空には八分ほどの月が輝き、時折その光を紫色のたなびく雲が遮っていく。
地上の惨劇とは裏腹な、満天の星明りであった。
「しっかしよ、アンタのその剣はとんでもないな…」
男の持つ長大な剣と、それを軽々と振るう男の手並みにオズワルドは感嘆の声を漏らした。
だが、男は一瞥をくれるだけで無言のまま。
「ったく、無愛想なこって。まあ、感謝はするぜ。助かった」
「……先程も言ったが、別にお前を助けたつもりはない」
どちらかというと軽い感じのするオズワルドに対して、男の口調は低く重い。
「まあ、気にするなっての。俺が勝手に感謝してるだけさ。それとも、それすら迷惑かい?」
まるで悪戯小僧の様な笑みを浮かべてオズワルドがそう言うと、男は背を向けて歩き出した。
「ふん、勝手にしろ」
「素直じゃねぇなぁ…」
肩を竦めておどけて見せると、男の後を追い歩き出した。
「ちょうど暇だしよ、それに借りを作ったままってのは俺の性分じゃないんでね…」
オズワルドのその言動に、男は一瞬なにやら思案を巡らしたようであったが、すぐにまたそれまで通りの表情で歩き出す。
「ふん、勝手にしろ」
「へいへい」
二人はそのまま夜のうちに街を出ることにした。
いかに治安の悪い土地柄とはいえ、あれだけの騒ぎを起こしたのだ。
どう考えてもただで済むとは思えなかった。
男は元々この街の人間ではないようだし、オズワルドにしてみても、たまたまこの近辺を根城にしている旧国軍残党のゲリラ戦に雇われていただけに過ぎない。
この土地を離れるのに、なんの問題もなかった。
お世辞にも堅固とは言い難い街の門を潜ると、二人はそのまま大陸公路を北に沿って歩いた。
北へ向かったのには特に意味はない。
二人とも何の当てもないのである。
それから、終始無言のまま半刻は進んだであろうか。
既に街の灯りも見えなくなった頃、オズワルドは不意に「あっ」と声を上げた。
「……なんだ?」
相変わらずの無表情で、その視線を向ける事すらなく男が訊き返す。
「そういえばよ、まだ俺達って自己紹介もしてなかったよな?」
「今頃、気がついたのか? 随分と間が抜けた話だな」
低く冷静な声で男が返す。
オズワルドは虚を突かれたような表情だ。
「なんだよ…。知ってて言い出さなかったってのか?」
「大した問題でもないだろう」
大袈裟にも、がっくりと肩を落として項垂れてみせるオズワルド。
「なるほどな…」
「納得したか」
「ああ…。アンタがどういう野郎なのか、なんとなく判った気がするぜ」
「自己紹介とやらの手間が省けたな」
相手を言いくるめる事に関しては、少しばかり自信のあったオズワルドであったが、ことこの男相手ではその調子が狂うようだ。
男の一見、無関心であって実はそうではない冷静な対応に、なんとなく逆にあしらわれているような感が拭えずにいた。
「チッ、アンタには敵わねえぜ。まあ、んなことはどうでもいいか。俺はオズワルド・ガートナーってんだ。オズで構わねえぜ。んで、アンタは?」
気の所為か男の表情が僅かばかり緩んだように見える。
「ふん。ヴィシャスだ」
愛想の欠片もなく、ただそれだけ呟くと、ヴィシャスは再び足を踏み出した。
否。踏み出しかけた足を止め、街道の先に佇む闇を無言で凝視する。
その手は自然と愛用の半片手剣へと掛かっている。
オズの方も異変に気付いたのか、鋼線張りの長弓を無言で構える。
周囲にはこの二人以外の気配はない。
敵性体が何処かに潜んでいるとすれば、それが余程の手錬であろう事が窺い知れた。
そして、それらは突如として襲い掛かってきた。
闇の只中より不規則な弧を描き飛来する、奇形の薄刃。
それも複数。
まるでそれ自体が意志を持っているかの様に、ヴィシャスの急所を的確に狙ってくる。
だが、無造作にも見えるヴィシャスの薙ぎ払いと、オズの放った複数の矢が薄刃を見事に打ち落とした。
「大した事ねえな、おい。誰だか知らねえけどよ、さっさと姿を見せやがれ」
薄刃の飛来してきた方向にオズが一喝する。
対してヴィシャスは無言で構えたままだ。
オズが弓に矢を番え、その闇の中に放とうとした時、それらはそっと姿を現した。
全身を奇怪な黒装束で包んだ一団。
その数は視界に捉えるだけで、およそ十人ほど。
鎧甲冑や楯といったものは一切、身に付けていない様に見える。
「チッ、暗殺者ってやつか?」
「気を付けろよ。狂王子飼いの忍者部隊だ」
ヴィシャスが呟く。
「忍者だあ? それに狂王だと?」
「特務部隊ストーキングハウンド。戦乱の陰で暗躍する小汚い犬共だ」
忍者、特務部隊、ストーキングハウンド。
それまでオズが聞いた事もなかった単語がヴィシャスの口から発せられる。
その事に若干の驚きを感じたまま、オズはその未知の相手の挙動に集中する。
だが、頭の片隅にはヴィシャスに対する疑問が渦巻いていた。
(ヴィシャス…。お前さんは一体、何者なんだよ?)