リレー小説 〜Infinity〜
Double guest
東京都内と一言で言っても、環状線を中心とした都心部から離れると、その街並みは急速に色褪せていく。
『東京』と言うだけで華やかなイメージを思い浮かべがちのは、おそらくは地方出身者が抱く一種の錯覚なのだろう。
はたして、そこは近代化の流れから取り残されたかのような一画。
路面の舗装こそされているものの、ある種の古臭さを感じずにはいられない。
だが、それが良いのだ。
古めかしくもあり、どこか懐かしい雰囲気のする細道を進みながら、三谷 真夜はふとそんな事を考えていた。
どこかやる気の無さそうな表情を浮かべた真夜の手には、やけに重々しげな大きな紙袋と、薄紫色の風呂敷包みが提げられている。
「しかしまあ、この辺もぜんっぜん変わってないよな…」
呟き、足を止める真夜。
その眼前に現れたのは、周囲の街並みよりも更に古めかしい佇まい。
軒先には浅葱染めの暖簾を垂らしている。
これまた年代物の木彫りの看板には「和菓子処 朝比奈堂」と記されていた。
「チッ、調伏屋め。俺がここ苦手だって知ってるくせに……」
さぞ恨めしげに虚空をねめつけると、真夜はその引き戸におずおずと手を伸ばした。
「まあまあ。よくいらっしゃいましたね、婿殿」
一分の隙もなく和服を着こなした妙齢の女性──朝比奈 香弦がにこりと微笑んだ。
朝比奈堂をその細腕で切り盛りし、そして二児の母であろうとはとても思えない気品と美しさを醸し出している。
「か、香弦さん。その婿殿ってのはやめて下さいよ」
心底、困惑している真夜の様子も意に介した風でもなく、香弦は事も無げに続ける。
「婿殿がそのような事では、香澄が不憫ですわ。いい加減に腹をお据えなさいな」
「ちょ、マジで待って下さいよ。今のご時世、親同士が決めた許婚なんてナンセンスですって。それに、香澄ちゃんだって可哀想だ……」
真夜が抗議しかけると、香弦は不思議そうな顔で小首を傾げる。
「あら、香澄の方はそう満更ではないというのに…。婿殿、よもや香澄の他に想い人でもいっらしゃるのかしら?」
すっかりと香弦のペースに巻き込まれた事を悟るや、真夜はがっくりとその頭を垂れた。
緑茶の良い香りが鼻腔をくすぐり、そして、それが喉を嚥下していく。
奥の間に通された真夜が紙袋より『それ』を取り出すと、香弦の表情もそれまでとは一変した。
その表情には、先程までの余裕など一片も存在しなかった。
「これが名高き笛吹き男の笛ですか……」
幾枚もの咒符によって厳重に封印の施された魔道書を片手に、香弦が恐れとも感嘆ともつかぬ声でそっと呟く。
「篠田の術で完全ではないにしろ、その力は封じてあります。御存知の事でしょうけど、これだけ強力な代物だと、それ自体が持つ魔力が周囲の因果律を歪めかねません」
いつものそれとは打って変わって、真剣な眼差しで語る真夜。
香弦はその視線を正面から受け止める。
「つまりは…朝比奈でこの魔道書を封じろと?」
返す視線は鋭い。
「そうなりますね。笛吹きにこれを取り戻されると、かなり厄介な事になるので」
しばし無言で、魔道書の装丁に目を落とす香弦。
その一点に集中した視線もそのままに、静かに低い言葉を発した。
「今回の件…。朝比奈は手を引いたと知っての相談でしょう、あの御仁は?」
「手ぶらでは失礼だろうと、預かってきました」
そう言うと、真夜は浅葱色の風呂敷包みをそっと香弦に差し出す。
香弦は眉根を寄せ、視線の先を真夜に戻す。
表情なき表情にその思惑を読み取る事は出来なかったが、この賄賂ともとれる行為に、ひいてはそれを指示した篠田 晴明に対して少なからず不快感を抱いた事は確かであった。
対峙する真夜の表情もまた奇妙である。
申し訳無さそうであり、それでいて妙に挑戦的ですらある。
その表情に疑問を感じながらも、香弦は包みに手を掛ける。
「!?」
包みの裾をはだけた瞬間、香弦の瞳が見開かれた。
まるで、信じられないものを見た。そういった驚きの顔であった。
「……当主が帰宅しましたら、話は通しておきます」
太陽が西の地平線に沈むや否や、地上には急速に夕闇の刻が訪れる。
うらぶれた裏通りの細道には、時折点滅する頼りなげな薄暗い電灯が灯されていく。
東京都内とは名ばかりの外れ。
真新しい灰色のハーフコートに身を包んだ犬塚 白軌は家路を急いでいた。
昨晩の『処理』の後、やれ事後処理だの、やれ報告書を提出だのと、ようやくその激務から開放されたのであった。
「くそ、また澤田のオヤジさんに怒鳴られちまうな……」
誰にともなくそう呟くと、ぶら下げたコンビニの袋から好物のカレーまんを取り出す。
そして、一気にかぶりつくと、とても他人には見せられない『らしくない』笑顔を浮かべる。
「やっぱり、カレーまんだぜ」
刑事と始末屋を兼任している白軌は、『処理』の仕事が入る時は刑事の仕事を休まなければならなかった。
そして、もちろん白軌がそのような仕事に手を染めている事は、職場の者達は知らない事である。
したがって、彼等には白軌は責任重大な刑事でありながらも、度々欠勤するような不真面目な男だと思われているようである。
特に直属の上司であり、『現場の鬼』と称される澤田警部からは目の敵にされていると言っても過言ではないだろう。
まあ、それは当然だろう。
白軌はそんな風に割り切って考えてはいるものの、やっぱり心のどこかで納得しきれない気持ちを抱いていた。
そもそも、刑事になるのは子供のころからの夢だったのだ。
そして遂に念願かなって刑事になったものの、ひょんな事から裏の世界に通じるようになったのである。
「なんだかなあ、まったく……」
白軌はため息と共に、そう呟いた。
カレーまんを食べ終わると、その残った裏紙を無造作に袋にねじ込んだ。
そして、左手をズボンのポケットへと突っ込み、じゃらじゃらとしたキーホルダーを取り出した。
ようやく心身休まる『わが家』へと到着したのだ。
周囲の古めかしい街並みに妙にマッチしたそのマンションの入り口を潜ると、自動ロックの施された扉の横に設置された操作盤の鍵穴に鍵を差し込み、開錠のコードを慣れた手つきで打ち込んでいく。
直後、事も無げに自動ドアが開かれていく。
エレベーターホール脇の郵便受けから新聞と電話料金の請求書を取り出すと、エレベーターを呼び出すボタンを押した。
直上の電光板はエレベーターの居場所を8Fと示している。
「チッ、なんで1階にいねえんだよ!」
などと悪態をついてみせる。
と、その時。
白軌の背後に不意に人の気配が生じる。
常人とは思えない速度で反応した白軌は、手荷物を手放すと同時に背後の存在に向けて手刀を繰り出した。
その動きはまさに電光石火と呼ぶに相応しい。
野生の動物を思わせるその一撃に、しかし背後の男はこれっぽちも動じない。
白軌の手刀は、男の眼前でピタリと停止する。
男が止めたのではない。
白軌が寸前で止めたのだ。
「……相変わらず、凄まじい反応だな。奴に匹敵する速さだ」
カーキ色のロングコートを着た男が、感心したような率直な意見を口にする。
死と隣り合わせたとは思えない口調だ。
男の言葉に、白軌は手刀を降ろし苦笑いを浮かべる。
「奴と比較されるのは気にくわないけどよ…。久しぶりだな、淵谷」
白軌がそう呟くと同時に、到着したエレベーターがガコンという音を立てて重々しい鉄扉を開放した。
淵谷と呼ばれたその男は、ニッと笑った。