〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


 トレボー城塞都市は東西南北の頂点とその中間、計8つの物見の尖塔とそれらを結ぶ堅固なる城壁によって守られる要塞である。
 これは上帝が”魔除け”を手に入れるよりもずっと昔─
 現上帝トレボーの父親たる前領主の時代に築かれたものであった。
 その頃から近隣諸国との争いが絶えないこの地方に於いて、それは絶対不可侵の結界を結ぶが如く、この地とそこに住まう領民達を護り続けてきた。
 時は流れ、トレボーが領主の座に付き、何処からか”魔除け”なる神器を手にするとそれは一転。
 近隣の国を次々とその軍門に下らせ、たちまちエセルナート最大の領土を擁する軍事国家へと変貌していった。
 その頃になると、既にこの城塞都市を直接脅かす存在など皆無となり、軍属以外の者はその立ち入りを許されなかった物見の尖塔への民間人の出入りも許されるようになったのである。

 時間はユダヤの蘇生失敗、そしてイルミナの治療失敗の晩に遡る──


第50話 『尖塔での誓い』


 城壁の北西に聳える尖塔の頂上近くの見張り台。
 かがり火の焚かれたそこに佇む一人の男の姿があった。
 男の出で立ちは、目深に被った黒帽子に宵闇を切り取ったかのような漆黒のマント。
 その背には一振りの長剣が背負われている。
 遥か闇の先を見据えているのは、デュオ・ハインラインであった。
 デュオは一刻ほど前から終始無言で立ち尽くしている。
 びゅうと、一陣の冷たい風が吹き、デュオの頬を優しく撫で付けていく。
 風に踊る墨色の髪を押さえつけ何かを呟こうとした時、その背後に人の気配が生まれた。
 だが、その気配は見知った者である。
「こちらにおられたんですね?」
 澄み切った良く通る、聞き慣れた女の声だ。
「……アンタか。いいのか? こんな所で油を売っていて」
 そう呟くデュオの声にはやや寂しげな感じが受け取れる。
 それに気付いたのか否かは窺い知れないが、シキはただ優しく微笑み返す。
「デュオ君にはご迷惑をお掛けしましたね。私が後先考えずにパーティにお誘いしたばかりに……」
 その微笑みはどこか物憂げだ。
「なに、アンタが悔やむ事はないさ。それよりこれからどうするんだ? この状況じゃ、パーティとしては機能しないんじゃないか?」
 ゆっくりと振り向き、シキの目を見据え問うデュオに、ただただ無言で見つめ返すシキ。
 しばし、沈黙の時が流れた。

 びゅうと、一陣の冷たい風が吹き、シキの闇色の長髪が夜の闇に流れる。
 それを押さえつけもせずに、ただ一言だけ言葉が発せられた。
「明日、皆旅立ちます」
 その台詞に一瞬だけ動揺したデュオであったが、元々彼は助っ人的な立場なのだ。
 深く問い詰める事なく、無言で頷き承諾の意を示す。
「ありがとう、デュオ君……」
 シキの言葉に、デュオは再び無言で頷いた。
「ところで、デュオ君はこれからどうなさるのです?」
「ん、俺か? 俺はとりあえず故郷に帰るつもりだ。残してきた妹の事が気に掛かるし、それにこの城塞都市へ赴けと言った師の言葉の真意も気になるところだしな」
 そう語ると、デュオはその右手をシキに差し出す。
「短い間だったが、なかなか楽しかったぜ……アンタに会えなかったら、どうなっていた事か」
 そう冗談めかしたデュオの手を、シキはそっと握り返す。
「こちらこそ、楽しかったですよ」
 そして、2人揃ってフッと笑う。
 短いようで本当に色々な出来事があった、この数日間。
 決して楽しい事ばかりではなかったが、それらの思い出が瑠璃色の輝きを伴なう走馬灯となって脳裏を駆け巡る。
 剣士として、なにより人間としてデュオは大きく成長できたのだと、漠然とではあるが実感していた。
「……ここで別れよう。みんなにも宜しく伝えてくれ」
 一瞬の間を置き、そして続きの台詞をゆっくりと紡ぐ。
「そして、また会おう…と」
 はっきりとそう呟くデュオの瞳には、この先を見据える力強い意志の光が宿っていた。
 それを確認したのか、シキもまた聡明な光を湛えた瞳で返す。
「はい、確かにそう伝えますね」
 シキのその言葉に「ありがとう」と答えようとしたデュオの頬に、突然シキがキスをした。
 彼女は小悪魔的な笑みを浮かべ、ただ一言だけ囁く。

「ありがとう」

 と。
 次の瞬間、シキの姿は虚空へと消え去っていた。
 その「らしくない」行為に、しばし唖然としていたデュオであったが、フッと微笑むと風に囁いた。

「ありがとう……か」


 シキが消えた虚空から故郷の方角に視線を移すと、再び無言で闇の彼方を見つめ続けた。
 人の気配の消えた深夜の尖塔。
 黒帽子の男を優しく撫で付ける夜の風は、いつまでも、いつまでも吹き続けていた。

 

NEXT  BACK


前のページへ