〜Proving Grounds of the Mad Overlord〜


「行くのか?」
 擦り切れた法衣に身を包んだ男がそう呟いた。
 辺りはまだ薄暗く、東の丘陵に太陽がその顔を覗かせるまでに、あと一刻はあるだろうか。
 男の問いかけに、馬車の上から声が掛かる。
 その荷台より姿を現したのは、淡い金髪の少年だ。
「ああ。イルミナをアルマールまで送らないといけないからね」
 そう答え、少年は地面へと降り立つ。
「そうか。それじゃ、イルミナの事はお前とシキに任せるぜ」
「それは問題ないけど…… ヨセフ。お前、本当に一緒に来ないのかよ?」
 少年の言葉に、ヨセフは決まりの悪そうな表情を浮かべた。
 そして、傍らに立ち黙している黒縁眼鏡の少女にチラリと視線を投げかける。
「……ゴメンね、ヨセフ君。みんな」
 パーティの離散に責任を感じたのか、少女が申し訳なさそうに俯いた。
「いや、そんなつもりじゃないから。それに、アレクトさんのお陰でこうして馬車まで用意できたんだし……」
 少年が取り繕うと、ヨセフもそれに同意を示す。
「そうだぜ、アレクト。お前の責任なんかじゃないって……。ったく、シオンが余計な事を言うからよ」
「お、オレの所為かよ!?」
 思いもよらぬヨセフの台詞にシオンがおどけてみせると、皆の間にささやかな笑いが満ちていく。
「ふふ。そのくらいで勘弁してあげてよ、ヨセフ君」
 それまで荷台でイルミナの様子を見ていたシキが顔を覗かせる。
 その表情は久しぶりに見た、にこやかで優しい顔であった。


第49話 『別れの時』


 シオンにシキ、そして未だに目を覚まさないイルミナを乗せた馬車が、この城塞都市から遠ざかって行く。
 東門より出て、大陸公路をまっすぐ東へと向かうその先は砂漠の交易都市。
 東方世界との接点とも呼ばれる要所、アルマールであろう。
 アルマールはイルミナの故郷だから、それは当然とも言えた。
 城門の下でヨセフとアレクトは、遠ざかる馬車を無言で見送っていた。
「行っちまったな……」
「後悔…してる?」
 無気力にも似た素っ気無い呟きに、アレクトは上目遣いで囁いた。
 不安混じりのか細い声。
 カドルト宗派、次期枢機卿などと言われてはいても、実際は歳若き少女なのだ。
 自分の我侭が原因でパーティを瓦解させてしまったという懸念が、どうしても頭から拭えないのであろう。
 そんなアレクトの震える肩を、ヨセフはそっと抱き寄せた。
「バーカ、んなわけねぇだろ」
 いつもと変わらぬ台詞。
 そして、予想通りの台詞。
 だけど、いつもと違う優しい口調。
「……ありがと」
 俯くアレクトの両頬を、温かい雫がそっと流れ落ちていった。

「さあて、俺達もそろそろ行くか?」
 唐突にそう切り出したヨセフに、アレクトは頬を手の甲で拭うと力強く頷いた。
「そうね。これからは大変よ、きっと」
「おいおい、不安にさせるような事を言うなよ……」
 その言葉にアレクトは、悪戯っぽく片目を瞑ってみせる。
「次期枢機卿とも称される高司祭を攫っていくなんて相当な重罪よ」
 クスっと笑うと、ヨセフを置いてその歩を進める。
 彼女のそんな様子に、ヨセフは肩を竦めて誰にとも無く呟いた。
「……勘弁してくれよ」
 溜息を吐くと、ヨセフは数歩先を行くアレクトに追いつこうと早足に歩き始めた。
(シオン達とつるむのもなかなか楽しかったが、これはこれでまた良いかもな…)
 そんな事を考え、フッと笑うヨセフを見たアレクトが不機嫌そうな顔で舞い戻ってくる。
「あっ。今、人のこと笑ったでしょ?」
 拗ねた表情のアレクトが顔を近づけて問い詰める。
「あん? 違うって。別にお前を馬鹿にしたわけじゃねぇって」
 その台詞にアレクトの表情は一転。
 最上級の笑みを浮かべると、ヨセフに軽くキスをする。
「わかってるよ。ありがとね…ヨセフ君」

 トレボー城塞都市が朝日を浴びる頃、街道を西へ向かう旅人二人の姿があった。
 男は擦り切れた司祭風の格好をしていて、その腰には使い込まれた剱が提げられている。
 その胸元には、最上位の司祭のみ着用が許される黄金のホーリーシンボルが輝いていた。
 女は厚い外套を身に纏っており、その下は冒険者とは思えぬ軽装である。
 武器の類は所持していないようであったが、黒縁の眼鏡ごしの視線は臆する事なく行く先を見つめていた。

 その日、アレクト・ウィル・ザビロニア次期枢機卿失踪のニュースが報じられたが、親衛隊のほとんどを失うという惨事の影に隠れたのか、それほど騒がれる事なく話題は風化していった。

 

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