お遊び新聞 第 36 号
THE OASOBI SINBUN
Home News








  小ブス(PHOEBUS 725)    2009. 9. 30

  不燃物収集日、何か使えそうな物はないかと金属類の捨てられているコンテナを覗くと、見たことのある配色の角缶があった。
  まさか!と思いながら取り出すと間違いなくホエーブスの缶で大きさから小ブス(PHOEBUS 725)である。
  蓋を開けると錆びてはいるが中身が入っている。(タイトル写真 参照)

  私は同デザインの角缶に入った大ブス(PHOEBUS 625)を所有している。
  これを買ったのは40年位前のことで、私の登山装備の生き残り品?の一つでもある。
  捨てられていた小ブスも入れ物(角缶)から判断して40年以上昔の物と思われる。
  当然、回収してきた。

  翌日、点検と燃焼確認を行った。

  まずは目視で点検、白ガスを入れメタでプレヒートさせ火を着けた。
  オレンジ色の炎が目立つ。良い燃焼状態とも思えないが小ブスの燃焼状態はよく分からない。
  比較対象で女房殿の小ブスを取り出して燃焼させると、こちらはブルーの綺麗な炎である。

  燃焼の勢いにもムラがあるし、炎の出方も均一ではない。
  ノズルを外して点検するとニードルが傾いている。
  これが原因かと傾きを直したら・・・燃焼具合は改善されるどころか前よりも悪くなってしまった。
  傾いたニードルで使い続けていたことが原因か?
  ノズル一式を交換すればなおるかもしれないが、既に製造中止の品では部品の入手も難しそうである。

  小ブスは加圧ポンプも無いことからプレヒートにも時間がかかり、火力調節も出来ないに等しいストーブ。
  大ブス2台小ブス1台を保有していることから、運良くパーツが入手出来たら再修理に挑戦すべく保管しておくことにした。

不燃ゴミから回収してきた小ブスの燃焼状態。
赤火で燃焼状態にムラがあり、炎の出方も均一ではなかった。
こちらは女房殿が所有していた小ブス。
ブルーの綺麗な炎で燃焼する。


大ブス、小ブスとは
  登山などで使われるホエーブス(PHOEBUS)と言う名前のオーストリア製の液体燃料を用いるストーブ(コンロ)で、大型の625という型番の物と小型の725の2種類があった。
  登山愛好家(私が知っている範囲でのことかも知れないが)はホエーブスと言う名前を省略して625を大ブス、725を小ブスと呼んでいた。
  歴史もあり、冬山でも安定使用出来るなど信頼性も高く、昔は代表的なストーブの一つとして日本国内でも広く使用されてきたが、オーストリア本国の製造会社が別会社に吸収合併されて今では製造されていない。





   使用年数                                       2009. 10. 3

  友人からのメールに地デジ対応の液晶テレビを購入したと書かれていた。
  それまでのブラウン管テレビの使用期間は13年。気温が高くなると画面がチラチラし、夏場は扇風機でブラウン管部を冷却しながら見ていたという。

  我が家のテレビの使用年数は12年。異常無く使用中である。
  この家で暮らし始めてから2代目のテレビで、初代のものは20年以上使った。
  カチャカチャと回すチャンネルの物で、来客が見て「懐かしい!」と言われたものであった。


  夜、女房殿がデジカメをUSBケーブルでPCに接続したがデバイスとして認識出来ないエラーが発生した。
  このデジカメの使用年数を調べてみると丸9年になり、我が家のPC関係現役機材では最古参の一つとなっていた。
  買えば潰れるまで使うので使用年数は長くなる。
  今夏、故障が相次いだが今後もこのようなことが多くなるのではと思っている。

  なお、不具合の生じたデジカメは、メモリーカードを抜き出して画像を直接読み出して事なきを得た。
  時間を置いて「この野郎!」と掌で叩いてからPCに接続したら何故か正常に認識された。
  漫画のような話であったが、翌日の使用でやはり認識出来ない時もあると報告された。
  カード・リーダーもあることから取込みには困らないし、予備機には不燃ゴミから回収・再生したデジカメもある。
  撮影機能に不具合が生じるまでは使用予定でいる。
  その後の女房殿からの報告では不具合が出たのはこの時だけ、それ以降は正常に動作しているとのことである。





颱風18号            2009. 10. 8

  久々の颱風襲来。
  先週末の予想進路では直撃コース、雨量も多いと伝えられていた。
  6年ほど前には颱風ではないが夜中に豪雨があり道路が冠水、庭からの排水が追いつかず車庫内へ浸水したことから車庫の裏手にはブロックを並べ車庫内への浸水対策も施しておいた。

  その後の予報では進路が西に行きヤレヤレと思っていたのだが、近づくにつれ東に進んでくる。
  最接近は8日早朝のようなので、7日夜は早めに寝て早起きして様子を見るつもりであったが風雨の音が気になって寝れない!
  結局、睡眠時間は僅かな時間で朝は4時過ぎには起き出して様子見となった。

  幸い、我が家には被害無く颱風は通過して行ったが、西隣の家では飛んできたトタン板で車のバンパーに被害が生じていた。
  トタン板は我が家の東隣にある業者の倉庫外壁が剥がれた物で、我が家を迂回して隣家の車に当たったようだ。
  ともあれ、被害無く通過してくれてホッとしてる。

右図は10月5日12時の進路予想図である。

この時点では南を通過するから・・・と思っていたのだが。
この後、進路が北向きに変化して嬉しくないコースを通るようになった。
下図のように進路予想が変わり、最終的にはタイトル画像のようなコースを進んだ。


10月7日8時 10月7日21時 10月8日2時





 新フル効果?             2009. 10. 16

  不人気の町内行事計画での会合があった。
  自治会費を使っての行事だが、参加者は僅かな人数で10年ほど前に中止となった行事なのに、何故かその行事を復活して開催するというのである。
  今回も参加者がどれだけいるか疑問で、役を受け持つ人の多くは中止を願っていたものと思われる。
  復活理由は前会長からの申し送りのようで、現会長も中止したいと言っていた。
  行事中止は規約で自治会三役の判断では出来ないが、班長会の意があれば可能とある。
  それならば皆が開催希望であるか賛否をとってから会合に入るよう、会合開始時に発言した。
  私は中止希望の理由として、公費たる自治会費を使うのに参加者が非常に少ないことと新型インフルエンザ流行拡大を上げた。

  学校ではクラス閉鎖も行われているが、町内での流行は聞いていない。
  しかし、新型インフルエンザ流行拡大懸念での中止発言は参加者の多くには想定外であったようで、その効果は抜群であった。(タイトル画像はその時点での感染状況を地図で表したもの。)

  討論後の賛否では20〜30名の参加者ほとんどが中止に挙手(実行への挙手は1名)し閉会した。
  閉会後には退席者の何人かからも「中止で良かった!」との声が聞かれた。
  それならお前たちも中止意見を出せよ!と腹の中で思っていたが・・・ともあれ無駄な行事が一つ減ったことだヤレヤレであった。




遠隔操作で                                      2009. 10. 20

  夜7時半頃の電話。時間的に女房殿への仕事関係の電話と予想し、私の方が電話機に近かったが女房殿に出てもらった。
  ところが電話は大学進学で関東地方に住む長女からで私に用事があると言う。
  何かと受話器を受け取れば「自転車のチェーンが外れてしまったが遠隔操作でなおせないか?」と言うことであった。
  チェーンをスプロケットに嵌めるだけなら難しくはない。
  私なら数秒でなおせるのだが「スプロケット」というパーツの名前も知らない相手を言葉だけの「遠隔操作」でチェーンを嵌めれるか?気にはなったが電話先の出来事では何も出来ない。
  長女にも分かるような用語に置き替えて嵌め方を伝えて電話を切った。

  数分経過しても長女からの連絡は無い。
  女房殿と結果を気にしていた数分後には「無事なおせた!」と長女から電話が入ってホッとした。


  今年2月に長女の所に行き、スパーへの買い物時にチェーンが外れて自転車を引いて歩いていた女子大生の横を通った。
  チェーンは簡単に嵌めれるが油で手が汚れる。
  私は買い物前でもあり、作業用手袋やウエスも持っていない。
  嵌めてやろうか迷ったが、買い物を優先した。

  この女子大生も同じスーパーに入ったが私より先に出ていて、相変わらず自転車を引いて歩いている。
  私も買い物を終え、長女のアパートに戻るだけとなり少々手が汚れても行動には影響無い状態となり、「なおしますか?」と声をかけると「お願いします」との返事でチェーンを嵌めてやったことがあった。

  私の中学時代には技術家庭の授業でパンク修理も学校で教えていた。
  今では自転車修理を学校で教えることも無いし、メカ好きの子供でないとチェーンすら嵌めれないようだ。
  生活が豊かになりお金で済ませることも多いのか、DIYの知識は乏しくなったように感じる。

  長女も今回の経験で次にチェーンが外れても困らないだろう。生活の知恵を一つ学べたようだ。





 オリオン座
  流星群

 
 2009. 10. 19 〜 10. 24

  オリオン座流星群のニュースを聞いた。
  70年に一度の活発化の年、18日が新月で月明かりが無く見易く、多い時なら1時間あたり40〜50個の流星が出現予想されているとのこと。

  幾つかの流星群の名前は知っているがオリオン座は初耳であった。
  ペルセウス座流星群などは出現日が夏山登山最中と重なることもあって、テント場から眺めた記憶もある。

  19日、夜10時過ぎなら見られるとのことから、予備知識も無く道路に出て夜空を見上げたが薄い雲と街明かりの照り返しでオリオン座すら発見出来なかった。
  翌日、オリオン座の位置を確認して分かったのだが、この時間では高度が低く建物の陰になっていたようだ。
  20日、星が見える夜であった。
  一応、オリオン座の方角を確認して観察することにした。
  夜11時過ぎ、三女の部屋から眺めると隣の屋根の上、東方向に特徴ある三連星があるが光が弱い。見慣れているオリオン座の三連星はもっと輝きがあるはずと思ったのだが、間違いないようだ。
  街明かりの影響か、空気の汚れなのか星も見え難くなっている。
  サッシを全開にし、サッシを背にして窓枠上に腰掛けると斜め前方にオリオン座が見える。
  約1時間夜空を眺めていたが流星を見ることは出来なかった。
  21日、女房殿の帰宅が遅くなり夕食終了が11時過ぎとなった。
  丁度良いので今日も・・・と空を見ると雲があって星が見えない!諦めて床に就いた。
   22日・23日の夜も曇り空で24日は雨天、ついに流星は見ることなく終わった。

                                  



   CM効果?                             2009. 10. 24

  友人から無線LAN接続プリンタの話が出て、魅力的に感じている様子であった。
  テレビCMなどではメリットを強調されている。
  確かに一部の使用環境では便利かもしれないが、一般家庭の使用ではプリンタ・スキャナーと言った周辺機器はPC本体の周囲に配置した方が使い勝手が良いと思われる。

  テレビCMで紹介されている機種の仕様を覗いたが、プリンタへの印刷データは無線LANで送れるが、電源S/WはPC本体からの操作でON−OFF出来るとは記されていないし、注意書きでは「無線LAN対応アクセスポイント経由(インフラストラクチャモード)での使用を推奨します。」ともあった。
  CMのような使い方をしたければ、使用前にプリンタが設置してある場所まで行って電源を入れておくか、電源を常時ONにしておく必要があると思われる。
  我が家は無線ではないがプリンタはLANで使えるようになっている。
  子供たちが同室していた頃には、私の横においてあるプリンタ使用時に「S/W入れて!」と遠隔操作されていた。

  Windows7でのタッチパネル操作も同様、モニター画面を指で触れることでの画面表面の汚れなど伝えられていない。
  しかもモニター価格はタッチパネル仕様だと高価になる。

  これらの機能について、実際の使用状況を想定しての説明で友人も納得出来た様子であった。





  新型インフルエンザ感染!                    2009. 10. 25

  早朝届いた次女からのメールは新型インフルエンザ感染を知らせるものであった。
  「昨日夜間救急行ってリレンザもらってきた。」とのこと。
  我が家では昔から風邪症状くらいでは受診せず寝ることで治してきた。受診しないからインフルエンザ感染も分からないが、症状からそれらしき病気は無かったと記憶しているから次女にとってはインフルエンザ初感染と思われる。

  近ければ駆けつけてやりたいところであるが、北海道では・・・。
  「困るようなら飛んでいくが・・・」と伝えたが、次女からは「友人も居るし、意外と元気」とあって一安心。

  流行も拡大していることから何時感染しても不思議無いのだが、やはり警戒レベルまで流行している地域に住む次女が先陣となったようだ。

  我が家でも昨日の買い物時に、これからは季節性のインフルエンザも流行するだろうからとマスクを購入したばかりのこと、次女には「送るのはメールだけにしてウイルスまで送るな!」と伝え、翌日にはお見舞いでミカンを送ってやった。





子供たちのメールアドレス        2009. 10. 25

  次女の携帯から新型インフルエンザ感染のメールが入った。
  子供たちの携帯メアドは三人とも同じ頭文字で始まる。
  特に次女・三女の二人からのメールは、自分たちに用事のある時だけだからアドレスをキチンと覚えきれていない。
  一目見ただけでは皆同じアドレスに見える。 
  前夜メッセでコンタクトがとれている長女では無いことは分かったが、次女か三女かの確認が必要となった。

  このようなことを記事にすると「可愛い娘のメアドくらい覚えろ!」と次女あたりからクレームが予想される。





三女からのメール                       2009. 10. 27

  用事のある時だけ連絡してくるのが次女と三女。
  用事が済めば返信をよこさないことも多々ある。
  この日の朝、久々に入った三女からのメールは「父よ、偉大なる父よ(笑)。家族全員の生年月日携帯に送って〜(西暦表示・年号?昭和とかの表示両方でよろしく)あと、扶養親族って、私にはいないってことでぃぃの?」とあった。

  おいおい、家族の生年月日くらい覚えていろよ!である。

  返信では家族の生年月日を伝えると同時に、父よの最後の(笑)は不要であること。
  扶養親族については「当然だろ!家族の知らない間に子供を産んでいない限りだが。」と返信した。

  また、余分なお金を持ち歩かず、困ると近くのATMを利用すると思われ、郵貯残高をチェックすると数千円の引出しと同時に手数料210円が引き落とされていることもあり、少しは非常資金も用意しておくよう伝えておいた。





   ヤク日           2009. 10. 

  薬の服用が一日おきになった女房殿。忘れないようにDKにあるホワイトボードのカレンダーに青色ペンで「K」を記入してある。(タイトル画像、赤丸)
  しかし、ホワイトボードを見て確認しなければ意味がない!
  ホワイトボードの日付の上に置いてある赤丸磁石を移動させ、曜日のシート動かしながら「今日は薬日(ヤクビ)だよ」と知らせることも良くある。
  最近は気をつけているようだが、それでも赤丸磁石の移動忘れや「K」の消し忘れがある。
  考え方は良いのだが実行が伴っていないのである。





  再起動不可!                                 2009. 10. 27 

  パソコンの話ではなく女房殿のことである。
  風呂敷残業を抱えて帰宅、風呂・夕食のため脳内の仕事プログラムを一旦はシャットダウンするが、夕食時にアルコールが入ると本体?は再起動不可でスリープ状態となるようだ。
  時計を見れば9時前、一般家庭ではまだまだ起きている時間でもあり電話が入る可能性もある。
  私は早く寝ると暗い早朝に目覚めてしまうこともあって10時過ぎまでは起きている。
  女房殿は食後に再起動出来ない代わりに朝の起動が早くなっていて、家庭内時差出勤状態となっている。





 アイドルは誰?                                 2009. 10. 29

  スパーのレジで顔なじみの2人と私の歳の話となった。
  実年齢より若く見えるから年齢不詳のようだ。
  きっかけは隣のレジから「更年期で頭が痛い!」と話しかけてきたことで、私が「二日酔いだろう」と返し「いいねぇー、とっくに更年期を過ぎた人は・・・」といった会話からである。

  清算しているレジさんの子供が三女と同級生であったことから「XXさんとほぼ同じ」などと惚けていたら「アイドルは誰?」と聞かれた。
  テレビは良く見ていたが、どちらかと言うとアウトドア派であったことから、夢中になったアイドルはいない。
  アイドルに夢中になるのは何歳くらいか?20歳前後として誰がいたか?聞かれても咄嗟に答えられないのだ。
  頭の中でアイドル=松田聖子が浮かんだので「松田聖子」と答えたら、さすがに「嘘だァー!」と笑われた。
  次ぎに浮かんだのアイドルの名前が、つい最近「昭和のヒット曲・・・」と言ったTV番組を見ていたせいか「南沙織」であった。
  「南沙織」と言うと「あの人はもっと前でしょう」とレジさん。
  顔の様子から自分の年代を思い出して比較している様子であった。
  レジにお客も来たことから笑って終わってきたのだが、帰宅して「南沙織」の歳を検索すると1954年生まれ、デビュー曲と同じ17歳でのデビューと思われるから、当たらずとも遠からずであった。





 天敵!                                               2009. 10. 29

  三女に送るミカンの箱の中にアーモンドの付いたクッキーを入れて送った。
  三女は家にいる時にはナッツ類が入っているクッキーなどは嫌っていたことから、私からのメールで「箱の中には三女の天敵を仕込んである。」と伝えておいた。
  数日後「天敵は皆(半分私かも…)でたいらげたょ〜。」とのメール。ナッツ類も問題なく食べれるようになったのかと思っていたのだが・・・。

  半月ほど経っての帰省時に、三女から天敵は何かと聞かれたのでナッツ入りクッキーのことだと伝えたところ、ナッツ類は嫌いではなく入っていないクッキーの方が好みなだけと判明した。
  箱の中に白くカビの生えたミカンがあったことから、これが父の仕込んだ「天敵」では・・・と疑いもあったらしい。

  早生ミカンは皮が薄いから傷付き易く、傷が原因でカビも発生し易い。
  店での購入時点でも箱の中を点検すると1〜2個カビが生えているものが混ざっていることもあるのだ。

  いくら悪戯好きの父でもカビの生えたミカンを「天敵」と称して入れることは絶対に無い!





 紅葉時の山歩                                     2009. 10. 31

  町内行事や天候などで山歩時期が延び、この時期に歩くことになった。
  この時期は紅葉が見頃で何時もは違うルートで登っているだが、今年は山歩再開直後で体力的にも様子の分かっているルートの方が良いと判断、何時もの山歩ルートを歩くことにした。

  長年に渡り何回も登っている山ではあるが、紅葉の頃にこのルートを歩くのは初めてである。
  紅葉は見頃、普段は雑草や生い茂った枝葉でなんでもない景色の場所が、日本庭園のようになっていたり・・・新たな発見となった。

  山は大賑わい。
  相変わらず若者は僅かで、ほとんどが私たちより年長と思われる中高年、しかも持っているカメラはデジタル一眼レフ。
  山も登山者も紅葉真っ盛りであった。



最悪のコンディション

  前夜は長女とのメッセを遅くまで行った後に山行準備。
  寝時を失ったせいか寝付きも悪く、寝たのか分からないうちに起床時間を迎えた。
  運転など通常の行動では眠気も無いことから、何時ものように出発した。

  ところが歩き始めると眠気が襲ってくる。
  腰掛けて休んでいる時など、このまま寝れたら気持ちよいだろうなといった感じである。
  食べなければバテると分かっていても、行動食をとる気も湧かない。

  半分眠っているような感じで歩いていたが、山頂に近づくにつれ吐き気も加わった。
  女房殿が言うには山頂まで約3/4のところからペースが落ちたとのことであった。
  疲れが増すと眠気も増すようであった。

  綺麗な紅葉の景色と登山者との会話で気を紛らわし、残り1/4は立ち止まっての僅かな休憩も入れ山頂まで辿り着いた。

  山頂での休憩では登山者との会話などで幾らか回復したが、下り始めると吐き気が増してきた。
  ペースを落としての下山で降りるにつれ吐き気も少なくなり無事下山。

  下山後の行動を女房殿と話したが、一先ず温泉で汗を流し蕎麦はパスして体調が悪ければ休憩時間を増やすことにした。
  登山口から温泉までの運転では眠気も無く、運転しての帰宅には支障ない様子であった。

  入浴後は山で出会った御夫婦?と暫しの山談義で何時もより休憩時間をとった後に帰宅の途に付いた。

  約2時間の運転では眠気も無く無事帰宅出来たのだが、山行で口にしたのは大きめな苺位の小饅頭2〜3個と飴玉2個だけ、景色や人との出会いなど、山は最高であったが体調は最悪の遭難者のような山歩であった。


景色の違い


  昨年の報道と記憶している(もう少し古いかもしれない)が、山頂の木を枯らそうと立ち木の幹に傷をつけている不届き者がいるという事が伝えられていた。
  今回の山歩では山頂からの富士山の見通しが良かったことから過去の写真と比べてみた。
  するとどうだろう、山頂での撮影の立ち位置は異なるが富士山の全景を邪魔する木々が無くなっている。
  少し下れば笹原の先に障害物も無く写せる場所もあるというのに・・・自然を破壊してまで山頂の看板を入れた富士山の写真を撮りたいのかとマナーの悪さに腹が立った。

  上の写真、左側が今回の山歩時に撮影したもの。右は8年前。
  カメラ位置は全く同位置とは言えないが、狭い山頂からの写真だから数メートルと違わない場所、ほぼ同位置と言えると思う。

左の写真も8年前のもの。
この時より立ち木は成長しているから、看板を入れて撮影すると・・・写真を撮る連中には立ち木が目障りとなるのだろう。

撮影目的が富士山だけなら、少し移動すれば邪魔物が無く撮影出来る場所もある。(「山の話」の中に写真掲載)





山行記録の欠落
      
                                        2009. 11 1

  山歩記事の入力時に昔、地方紙にフォーカスされたことを思い出した。
  記事をスキャナー入力し、リサイズせず友人にメール添付して「大きすぎ!」と苦情をもらったことを記憶しているから何処かに画像があるはずとPC内を探しまくった。

  メールに添付しているからと古い送信記録を探すも、OEのエラーで送信記録が消えた以前の送信で、送信済みのメールから拾うことは出来なかった。

  念のため古いWin95PCを起動させ送信記録を見たが、こちらにも古いメールは残っていなかった。
  通常なら「お遊び新聞」の記事にしているところだが、紙面での発行を中止してWebでの発行前の出来事で新聞記事からの記録確認も出来なかった。

  記憶を頼りに年代だけを推定してのPC内検索でやっと画像を発見したが、今度は正確な日時が分からない。

  通常は同行する女房殿が記録を付けていて、帰宅後はPC入力しファイルにしている。
  山行記録ファイルを見ても記録が無い!この時は女房・子供を実家へ追放中に近所の友人を誘っての山歩で記録を出していなかったのである。

  新聞記事のスキャナー入力画像の日付は8月15日、しかし14日は別の山を歩いている。

  私のことだから何処かに記録しているはず。それでなければカレンダーに書いてあるはずと古い手帳と日常を記録した古いカレンダーを引っ張りだし、なんとか山行記録を確認することが出来た。

  画像は10年前に地方紙にフォーカスされた新聞記事をスキャナー入力したもの。
  この当時は山名に「岳」が付くか付かないか、山歩のたびに登山道に立ててある看板の「岳」の文字が消されたり、書き込まれたりしていた。
  この新聞記事でも山伏岳と「岳」が付いて紹介されている。
  今夏より山歩再再復帰で歩いてみると、見かける看板類は「岳」無しの山伏に統一されたようだ。
  この件は、「お遊び新聞」発行当時に作った山の話「山伏」の中にも書いておいた。
  10年前の山頂での写真に写っている看板では、しっかり「山伏岳」となっているが、現在ではこれらの看板から「岳」の文字が削られていたり「岳」部分だけ取り外されている。




  次郎柿                 2009. 11. 5 〜 

受け取りが・・・

  11月5日、次郎柿原産地でもある遠州森町の農園から子供たちや友人宛に柿の発送手配した。
  農園からの案内葉書では「6日頃に・・・」とあったが、収穫の都合でその日に発送出来るとは限らず、学校が休みの土日に届いた方が子供たちも受け取り易いだろうと一日早く購入に出向いた。

  農園では2〜3日以内には発送出来るというので、その旨を送り先に連絡すると共に宅配便の問い合わせページで配達状況を注視していた。
  6日には子供たち宛を含む注文した半数が発送され、順調なら土・日曜日には届くはず。
  丁度良いと思っていたら、寮住まいの三女からは「寮母さんが居ないから受け取れない!」との返信があった。
  常に翌日配達されている長女の所は土曜日に、蝦夷地で輸送に日数のかかる次女の所は日曜日に配達されたが、三女の所は問い合わせページでもいつまでも「輸送中」の表示であった。
  運送会社も寮の受け付けが出来ないことを承知していて営業所に留め置いていたのか?月曜日に配達された。

  親は荷物の受け取りは土日の方が都合が良いだろうと気をきかせたのだが、寮の荷物受け取り事情の連絡が無かったことから、最初に届くはずの所が最後に配達される結果となった。

  次女・三女とも受領連絡もよこさない!と言っていたら月曜日の夜に次女から、その翌日には三女からの受領メールが入った。

  次女の所への送り状にアパート名・部屋番号を書き忘れていたらしく、配達人が困って次女の元に電話がはいったらしい。
  三女からは配達翌日に受領メールを受信した。
  「受領連絡が送った中で一番最後だ!」と伝えたら「土日届かないから仕方ないでしょ〜、昨日お昼以降今日の朝まで寮に戻ってなかったしね。」と開きなおっている。
  しかも月曜日の昼から火曜日の朝まで寮に居なかったと伝えているから、「寮から何処に脱走していた!」と聞いても返事は無いのである。(後の帰省時に聞くと、カラオケとのことであった。)


保存方法

  柿を送る少し前にNHKテレビの「ためしてガッテン」で柿をテーマに保存方法などを放送していた。
  ヘタを湿らせておくと良いらしい。
  我が家でも実験してみたが・・・結果が分かる前に実験材料が腹の中に消えてしまった。
  2週間くらいなら、そのまま冷蔵庫保管でも適度な固さを保っていることが分かった。

  タイトル写真は保存実験を行っている時のものだが、この2日後位には一部を残して冷蔵庫へ移された。





 記念硬貨             2009. 11. 12

  用事があって近所の金融機関に行ったら記念硬貨の交換を行っていた。
  交換依頼したところ住所・氏名・電話番号を記入する用紙を渡された。
  昔はそのような手続き不要で簡単に交換出来ていたはず。
  窓口で用紙記入の理由を聞いてみると「交換枚数と金額が合わない時などに・・・」と言った説明であった。
  1人2枚という枚数制限も伝えられていることから、独自のチェックであったのかもしれない。
  記念硬貨収集にはあまり興味は無い!発行日に出向いたことで交換しただけのこと。
  記念硬貨でも通常に使用可能、一寸手間のかかる両替であった。

  後日、この件をメッセで長女に伝えたら硬貨には興味があるようで「欲しい!」と言うことから、無駄な両替にもならなかったようだ。





  大学からの電話    2009. 11. 12

  夜7時前に電話があった。
  出てみると「〇〇大学、学生生活課ですが、XXさん(三女名)居ますか?」と言われた。
  三女は〇〇大学の学生寮で暮らしているはず。それがこの時間に実家へ電話があるということは・・・。

  何事かと聞いてみると「インターンシップの書類が未提出で、本人の携帯にかけても繋がらないから・・・」とのこと。
  学校からの電話で良いことは稀である。
  事件・事故での電話ではなく一先ず安心したが、こちらから三女へ連絡しようとしても電話(携帯)は繋がらない。
  島根では三女と同年齢の女子大生が殺されていたり、千葉でも女子大生の殺人・放火など嫌な事件も多い。
  何事も無ければ良いが・・・と、携帯へ留守電とメールを送ってPCの電源も落とさず返事が来るのを待っていた。
  今回は珍しく三女のレスポンスが良く、10分後くらいに「15日までって言われたんだけど、あとはこっちで対応しまーす。」とメールが入り、無事でいる生存確認が出来ホッとした。





  バックナンバーの校正          2009. 11. 17
   

  長女から「Subject: お遊び新聞 第2号」のメールを受信した。
  何かと思えば、古い記事での校正落ちの指摘であった。
  その後も9号、12号の校正落ちの指摘メールが届いた。
  その日の夜に繋がったメッセで聞いてみると、読む本が無くなったことから「お遊び新聞」を読んで、ついでに校正落ちを見つけているようだ。
  当時の校正係は女房殿。いかにいい加減であったか長女が暴露しているのである。

  HP作りの勉強を兼ね作り始めた「お遊び新聞」も今年の暮れで10年目に入る。
  発行当時、子供たちは興味が無かったようだが、家を離れた今になって少しは役立っている様子である。





  カードが使えない!                                2009. 11. 18 

  昼前に三女からの電話で「郵貯カードが磁気不良で使えなくなったから通帳と印鑑を送って欲しい」との電話があった。

  我が家では親元にある通帳で入金し、子供たちに持たせたカードで引出しという仕送り方法をとっている。
  親元と進学先に同じ金融機関があるのは郵便局だけだから利用するのも郵貯銀行(ゆうちょ銀行)となった。

  三女はバイト料を別銀行の口座に入金させているようで、当座の資金には困らないとは言っているが、生活費を自分の小遣い(バイト料)で出したくはないだろう。

  通帳と印鑑があれば再発行出来るなら、こちらで手続きしてもよいのでは?と郵便局に問い合わせた結果、カード・通帳・印鑑の三つが必要と分かった。(磁気不良での再発行は無料、紛失といった再発行では1,000円かかるとのこと)
  通帳と印鑑はこちらに、不良となったカードは三女の手元に。どちらで手続きするか?聞いたところ、三女が現地で再発行手続きを行うというので通帳と印鑑を送ることにした。

  このような場合、郵貯は便利である。
  通帳とカード両方が手元に無くとも、代理人カードを作ってあることからATMでの三女口座への入出金にも困らない。
  また、郵貯間振替の手数料無料も継続されているから私の口座に入金して振替えても良いのである。
  最近では月5回まで手数料無料というネット利用で私の口座から子供たちの口座へ振替操作して仕送りしている。
  カードの磁気不良は迷惑な話だが、通帳を三女の元に送っても郵貯であったことから仕送りへの影響は免れた。

  なお、三女へ通帳と印鑑を「書留」で送る旨伝えると「こぅぃうときにはやっぱ書留を使うべきなんだ」との返信。
  当然である。紛失・悪用されオレオレ詐欺の振込先にされても迷惑である。
  三女曰く「書留」郵便は受験の印象しかないとのことであった。
  カード磁気不良で欠如していた生活の常識の一つを学べた三女であった。




  15℃                                 2009. 11. 19   

  我が家の暖房開始日が概ね11月20日前後と記憶している。
  徐々に寒くなるわけでなく寒暖を繰り返し寒くなっていくことから暖房開始前一週間位は家族我慢比べになっていた。誰も寒いと言わず暖房のS/Wを入れようとしない。
  今年は寒波が入った11月19日夜にDKのエアコンとPC室に設置しておいた石油ファンヒーターを稼働させた。子供たちも居ないから我慢比べも必要ないのである
  この時の温度計(エアコンのリモコン)表示が15℃、火を使ったり機器の廃熱で二部屋とも我が家では暖かい部屋で、寒い部屋の温度は10℃前後となっていた。
  我慢比べを行っている時の暖房開始時室温は13℃位と思われる。
  なお、暖房終了時室温は確か18℃位と記憶している。冬の間に体が暖房に慣れるせいなのか?開始時と終了時で体感温度が違っているのである。





  今、何時?                              2009. 11. 21

  PCに向かっていた女房殿「今、何時?」と振り返って真後ろの壁の上に取り付けてある時計を見た。
  起動しているPCのタスクトレイには時刻表示されているし、左45度前方には置き時計もある。
  さすがにこの行動には呆れて「目の前(PC)で分かるだろう!」と言葉も強くなった。

  昔、表計算ソフトを使いながら「電卓が欲しい!」と言ったことがある。
  電卓で計算した数字をPCに打ち込むと言うのである。
  ワークシートの余白に数字を入力させSUM関数を使えば簡単に計算出来る。しかも入力した数字は表示されているから間違いも発見し易い。
  この時以来、女房殿は電卓+表計算ソフトという使い方をやめたが、職場では当たり前の方法だと言っている。
  職場では「理系の人みたい」と言われたようだが、家ではPCが一番理解出来ていない人の女房殿である。

  我が家にはいたるところに時計or時刻表示機器が設置されている。
  しかし、電池駆動のものは5分程度進んでいるものが多い。
  正確な時刻を知りたい時にはPCか電子コンベックの時刻表示を見れば良い。
  JRの列車のように秒単位で動く必要もないことから、電池切れまで時刻は合わせない。

  だいたいの時間が分かれば良いことから、見慣れた壁の時計を見ようとしたのか?
  「時計」は数多くあっても、生活の中で使っている(見ている)時計は限られているようだ。





  ゴミ屋敷                       2009. 11. 21

  21日夜、NHKテレビで「ゴミ屋敷」を取り上げた番組を放送していた。
  私がテレビを見ているところに長女が来たので「お前のアパートも・・・」と言ったら慌てて逃げて行った。どうやら片付けは出来ていないようだ。

  一週間前には三女が帰省して部屋の様子を話していった。
  三女の話から判断すると、3人部屋で暗黙の境界線が出来ていて、自分のテリトリー内を3人とも似たように散らかしているらしい。

  私は不燃ゴミに中から使えそうな物を拾った時に、近所の人から「奥さんに何か言われない?」と言われた。既に工具類などが車庫の中に数多くあり「死んだらどうするの?」と言われている。

  一人だけ部屋の様子が分からない次女が居るが・・・次女のことだから部屋中に本が散乱していると思われる。

  なお、この記事は36号アップ前に話題になって急遽追加した。
  どのようにネタにされるのか?気になるようで入力中に長女が覗きに来たが、アップ前に記事への注文を付けられたくないから追い出した。









   パソコン道楽の記録


  貰い物やゴミからの拾得パーツ利用、PCのトラブル解決などで編集長が楽しんだパソネタを扱います。
  記事の内容を理解するにはある程度のスキルも必要となり、一般読者からは「面白くないから読み飛ばす」との言葉もあって29号から分けてみました。
 



 HDDの再生                           2009. 10. 14

  データ引越し作業中に認識しなくなったHDD、故障原因は基板と思われる。
  メーカー/型番はMaxtor/4D080H4、容量80GBである。
  処分前にダメ元で認識する不良品HDDの基板と交換して遊んでみることにした。

  探してみると同一モデルのHDDは無いが、認識はするが回転に不具合がある似たようなモデル・ナンバーの4D060H3、容量60GBの物があった。

  トルックス・レンチで基板のビスを外し、交換してUSB変換アダプタでPCと接続すると・・・何と何と正常に動作し、認識される型番も元のMaxtor/4D080H4で容量も80GBとなっている。

  「運がよければ基板交換で再生出来ることもある」とは聞いていたが、このようなHDD再生は初体験であった。
  もしかしたらと二匹目のドジョウを狙って他のHDDでも基板交換を試したが、同一型番同士は無く全てダメであった。





ACアダプタ                                  2009. 10. 30

  不燃ゴミより富士通notePC用のACアダプタを拾ってきた。
  表示規格は19V/3.16Aとあるから60W仕様のものである。
  19Vアダプタは需要が多い。65Wタイプなら申し分無かったのだが・・・。
 
  帰宅して通電するもテスターの表示は0V、手触で点検してみるとアダプタ付け根にコードの断線がある様子である。
  アダプタ本体のコード保護部を切開し、切れていたコードを半田付けして修理した。
  修理後、出力電圧を測ってみると20V出ている。

  最近のnotePCでは電源部IC類の進歩かアダプタからの供給電圧での動作許容範囲が広くなっているらしく、ネットで実験した人の結果では、標準で19V動作PCが高い方は25V、低い方は12Vで平気という結果も出ている。
  アダプタに表示されている値は19Vの電圧で3.16A出力出来るというもののようで、無負荷時の電圧は高いようだ。

  それでも、我が家で使用しているPC付属品や机上設置用に後に購入した19Vアダプタの無負荷電圧を測ると19.5V前後、規格より1Vも高いのは気になる。

  負荷をかけるとどれだけ電圧降下するか、電圧測定の出来るコードを作って動作時の電圧を測ることにした。
  PCを起動させると、どのアダプタでも0.5V程下がっている。
  以前、無負荷電圧が20V以上のアダプタにダイオードを接続し電圧を下げたものがある。
  これを測定すると1V下がって、テストに使用したnotePCではバッテリー充電に支障が出るようなので早々にダイオードを取り外した。

  我が家のアダプタの数は今のところ間に合っている。
  コードが断線するまでは使われていた物だろうし、PC側の電源回路を信用し必要となれば使用する予定で保管しておくことにした。

     








紙面top 紙面TOPへ 次の紙面へ 一面へ一面へ