hole  −vol.1−

都会と田舎の間にある、そこそこの街。
そこそこ人の行き交う駅前にたたずむ、そこそこのパン屋。
大して目立たないけど、ちゃんとおいしいパンを売っている店。
少なくとも僕はそう思える。
そんな小さなパン屋に僕は働いていた。

まだ、じっとりと暑さの残る9月。
焼けたアスファルトは、遊びの季節が終わってしまうけだるさの中、
降り始めた久しぶりの雨に喜んでいた。

「健、今日はもうあがっていいぞ!」
「え?店長、ほんとっすか?」
「雨が降り出したみたいだ。今日はもう、閉めよう」
「あっ、じゃぁ、奥の片付けちゃいますよ」
「いいって、後は俺がやる。明日から休みなんだし。今日はあがれや」
「そうっすか。すみません。それじゃぁ、お先失礼しまぁ〜す」

店長の焼くパンに惚れて、自分も世界一のパンが焼きたいと、
この店に弟子入りして3年。
初めての長期休暇をもらったのだった。
その日から1週間。ちょっと遅れた夏休み。
休みに入る前には、あれやこれやウキウキして計画を立てていたのだが、
実際その日がやってくると、結局何をしたらいいのか迷ってしまう。。。
早くに仕事は終わったけれど、どんよりとした低い雲と、肌につく霧のような雨に、気分まで沈みかけていた。
とりあえずそのまま帰るのもしゃくなので、コンビニでも寄っていこうかな。。。と思った時、
突然携帯が鳴った。
まぁ、こんなものいつも突然鳴るわけだが。。。
着信表示を見るまでもなく、相手はわかった。
「梶原 とも」だ。
寂しいことだが、彼女もいない僕にとって、こんなにタイミング良くかけてくるのは彼しかいない。

「とも」とは、高校時代からの親友で、今でも週に2〜3日は遊んでいる。
もっとも、大学へは行かず、就職もせず。。。
親が金持ちなのをいいことに、24にもなるのに、いまだブラブラしているうらやましい存在なのである。
そのくせ、ルックスがいいせいか、女関係にも不自由なく遊びまくってる、許せない奴である。
しかし、これまた不思議なのだが、彼とは結構気が合い、いつもつるんでいる次第なのである。
ほんといい加減な性格だけど、それでいていい奴なのである。

「健ちゃ〜ん。あっれ〜?もう、仕事終わったの?」
「なんだよ、とも」
「ねぇねぇ、健ちゃんて、明日からお休みなんでしょ?」
「ああ」
「じゃ、さぁ〜。家に来ない?」
「なんで?」
「話しがあんのよ。いいじゃん♪どうせ暇でしょ?」
こいつに見栄を張っても仕方ないが、こうストレートに言われると、ちょっとムカツク。
「話しなら、電話でいいだろ」
「大事な話なんだって。ね。待ってるから♪」
プツッ!ツ−ツ−ツ−。。。

いつもこのパターン。
僕の平穏な日常生活は、いつもともによって引っかき回される。
でも、どうせこのまま家に帰る気もしなかったので、ともの家に向かうことにした。
彼の家は電車で2駅むこう。
プーのくせに、2LDKのマンションに一人暮らししている。
広いリビングには、ライトブルーで統一された家具。
間接照明に、大きな水槽。テーブルには花が飾ってあったり。。。
そのままドラマの収録に使えそうなおしゃれな部屋。
とても、男の一人暮らしの部屋ではない。

ピンポーン♪
インターホンを鳴らすと、奥からともの声がした。
「ああ、開いてるよ、入ってぇ〜」
ガチャッっと重いドアを開けると、目の前には段ボール箱やらバッグやらが積まれいてて。。。
見慣れた玄関とのギャップに、思わず一歩下がってしまった。
「おいおい、なんだよこれ。また引っ越しでもするのか?」
「ぅぅん。とりあえず、これだしてよ〜。。。」
奥の方でクローゼットに頭をつっこみ、なにやら格闘しているとものおしりが見えた。

”わがまま”とは、彼のための言葉のように思う。
彼を中心として回る”自分勝手”という個性は、まわりの者をバイトのようにこき使う。
しかし、彼のまわりから人が遠ざからないのは、彼にそれだけの魅力があるからなのかもしれない。
その魅力が、何なのか。。。僕にはまだわからないけど。

「はぁ〜。。。これで全部かな?」
山のように積まれた荷物を、満足そうに眺めてともが言った。
「で、いったい、どういうことなんだよ?」
「うんとね。とりあえず、僕の就職が決まったんだ。おめでとう!」
無理矢理手を取られ、ともに激しいシェイクハンドをされる。
「おめでとうって。。。自分で言うなよ。それホントなのか?」
「うん。すごいだろ?」
自慢げに胸を張って、子供みたいな笑顔。
彼のリアクションをみていると、高校の文化祭でみた演劇を思い出す。
オーバーで不自然なんだけど。。。ともの整った容姿には、その違和感が憎めないキャラを作っている。
「すごいだろって。。。ともが働くってんなら、確かにすごいことかも。。。で何の仕事なの?」
「化粧品会社」
「化粧品って。。。作るの?」
「違うよ、売る方。きれいな女の子口説いて、化粧品売りつけるの」
「おいおい(^^;)それって、ちゃんとした会社なのかよ?」
でも、ともには合ってるかも。男が化粧品売るって、どうもイメージ沸かないけど、ともほどの美形ならたくさん売れると思う。

「でさぁ〜、とりあえず研修に1週間本社まで行かなきゃなんだよ」
「研修。。。」
「うん。でね、ここからだと2時間かかるし、本社の近くに部屋借りることにしたの」
まったく、お坊っちゃまの考えることは違う。俺なら早起きするのに。。。
「で、この荷物か。。。」
「1週間だから、必要な物だけにしようと思ってね」
どうみても、男一人が一週間の生活に必要な物の量じゃない。。。
「大事な話って。。。これ手伝わせる為に呼んだのかよ!」
「いやいや、そうじゃなくてぇ〜。健ちゃんにここをお願いしようと思って♪」
「はぁ〜?ここ?」
「1週間、ここ誰もいなくなる訳じゃん。危ないじゃん。泥棒とかきたらさ。。。熱帯魚にエサあげなきゃだしぃ〜」
セキュリティー万全のマンションだし、熱帯魚のエサは機械がやってくれるだろうに。。。
「健ちゃん、ちょうど1週間お休みだって言ってたじゃん!ラッキ〜♪イッェ〜ィ」
まったく、こいつを中心に世界は回っているのか。。。

「んな訳で。。。じゃ!」
「って、おい。ちょっと待てよ!」
「冷蔵庫の物は好きに使ってくれていいし。ビデオとかも、勝手に観ていいよ。
 ああ、あとそれから、電話に出たりメール覗いたりしないこと!よろしくねぇ〜♪。。。」
と、奴はあっという間にフェードアウトしていった。。。
僕のはちゃめちゃな夏休みはこうして始まった。

とりあえず、冷蔵庫にあった物でパスタとサラダ・スープを作った。
どんな状況でも、腹は減るものである。
ともの家の台所は、使い慣れたもの。
料理をしない彼の冷蔵庫の中身は、
半分は僕の、
そしてもう半分は、とっかえひっかえ来る、ともの女友達のためにある。
夕食をすまし、これからどうしたものかと、
馴れない部屋で途方に暮れていると、
ピンポーン!
さっそく事件は舞い込んできた。
目の前のインターホンは画面がついていたりボタンがいっぱいあったりで、どう使えばいいのかさっぱりわからない。
後でただ受話器を上げればいいのだとわかったが、
突然の来客に頭はパニックになっていた。
とりあえずドアスコープを覗くと、女の子がうつむき立っていた。
白に小さな青い水玉のワンピース。
髪の長い女の子。
どうやら泣いているようである。
その時、よく考えるべきだった。
とにかく訳が分からなかった僕は、ドアをそのまま開けてしまった。

ドアが開くと同時に、女の子が僕の胸に飛び込んできた。
僕のシャツをぎゅっと掴み、ヒックヒック。。。
どうやらまだ15.16の女の子だ。
(おいおい、いくらともが遊び人だからって、この年は犯罪だろう。。。)
女の子が落ち着くまで、動けないまま彼女の肩に手をおき、立ちつくしていた。
この子髪長いなぁ〜。。。
なんか、グレープフルーツのようないい香りがする。。。
ワンピから伝わる下着のラインが妙にリアルだなぁ。。。
白い肌が透けるようで、小さくて、このまま抱きしめたら壊れてしまいそうだな。。。
今までの僕にはありえないこの状況に、頭の中は逆回転してるようだった。
とにかく、なんとかしなきゃ。
でも、なにもできない。。。

1時間もそうしていたような気がする。
実際はたぶん、10分くらいのことだったんだろう。
彼女がようやく泣きやみ、ぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
ゆっくりと僕の顔を見つめ、第一声。。。
「あんた、誰よ?」
(って言うか、おまえは誰だよ?)
「。。。あれ?ここ、ともの部屋じゃないの?」
「そうだよ」
「ともは?」
「出てった」
今までの子供っぽかった表情はどこかへ消え去り、
ツンとした顔で、どんどん部屋の奥へ上がっていく。
僕の存在は、とりあえず置いとかれたようだ。
リビングのソファーに、ためらいなく座る。
態度は堂々としてるけど、その顔には、怯えた表情がどこか隠れていて。。。
時々思い出したようにあたりを見回す。
この部屋へ来たのは、初めてのようにも見えるし、馴れているようにもみえる。
その視線は、突然僕へ戻り。

「。。。あんた、ともとデキテルの?」
この女、いったい、どういう思考回路してんだ?
「おいおい。俺もとももそんなシュミねぇよ!」
「ふぅ〜ん。そっか。とも、結構ストライクゾーン広いし。あんた結構かわいい顔してるからさ」
”かわいい”は誉め言葉の部類に入るのかもしれないが、年下に言われても嬉しくない。
「君は、ともの彼女なの?ずいぶん若く見えるけど。。。」
こちらは紳士な態度で接しようと、精一杯我慢しいるが、すかさず彼女が答える。
「で、いつ帰ってくるの?」
・・・無視かよ!
彼女は、僕の問いに答える気はないようで、質問で返してきた。
「。。。」
こちらも答えないでいると、立ち上がりツカツカと部屋を歩きながら、彼女がおれた。
「16。肉体関係はないわよ」
目を合わせないまま、ドキリとする事をさらりと言ってのけた。
透けるような儚さを持つ外見と、彼女の発言には妙なギャップがある。
「で、いつ帰ってくるの?」
「1週間は戻らない。。。みたい」
「何それ!約束が違うじゃない!」
「約束って何?」
そう聞き返したとき、部屋にあった電話が鳴った。
思わず受話器を取る。

「健ちゃぁ〜ん♪電話出ないでって言ったでしょ」
脳天気なともの声が、頭を突き抜け反対側の耳にまで響く。
「だったらかけてくんなよ!今、こっち大変なことになってるんだぞ!」
「あっ、あれぇ〜?由美ちゃん、もう来ちゃったのぉ〜?」
「由美ちゃん?」
その言葉で、だいたいのことは悟った。
いつもこう。
ハプニングをまとったともは、自分だけサッとすり抜け、面倒なことを全部僕にかぶせるのである。
はめられた!と気付いたときにはすでに遅い。
「。。。どういうことだ?説明しろ、とも!」
「面倒見てあげてよ健ちゃん。かわいそうな子なんだよぉ〜」

納得がいかず、結論も出ないまま。。。
「シャワー浴びたい!」
彼女の突然の要望に、なぜかシャワーが終わるまで一人リビングで待つ僕。
ソファーに座り、一生懸命頭の中を整理するのだが、すでに事態はキャパシティーを越えている。
シャツはまだ彼女の涙で濡れていて、
手には彼女の肩の感触とグレープルフールの香りが残っている。
リビングに静かに響く、シャワーの音。
かすかに、ハミングも聞こえる。
まったく、いい気なものだ。

まもなく。。。
「あぁ〜、サッパリした〜」
と頭を拭きながら、バスタオル1枚で由美は登場した。
「おい!なにか着てこいよ」
「しょうがないでしょ。全部洗濯機の中よ」
その彼女のセリフに合わせて、洗濯機が回り出したらしい。
なんで洗濯するんだよ〜。。。ついていけない。心の涙がナイアガラ。。。
「とものシャツとかあるだろ?」
「そっか」
といったものの、服を着る気配はなく、冷蔵庫の中の飲み物をあさっている。
立ち上る湯気に、部屋だけでなく僕の心も湿度を上げていた。
薄桃色になった無防備な彼女を、僕は凝視することが出来ない。
「おまえ泊まっていく気なのか?」
「当たり前じゃない。私の方が先に約束してたのよ。当然の権利だわ」
もういい。これ以上問題になる前に、一刻も早くこの場を逃げるべきだ。
「それなら、俺帰るよ」
立ち上がると缶ビールが一つ飛んできた。
由美は由美で同じ缶を握っている。
プシュッと缶の空く音。
ゆっくりと隣まで来て、ソファーに腰掛けた。
ゴクっと喉のなる音が僕にも聞こえた。
(未成年だろうが!)
プファ〜っと大きな一息の後、
「無責任なこと言わないでよね。ともはあんたに頼んだんでしょ?こんな知らない街にひとり、かわいい女の子を放っておくの?」
(かわいい?誰がじゃ!。。。。。。。確かに)
ずいぶんと年下のはずなのに、彼女のペースに巻き込まれている自分が情けない。
「俺がいた方が、よけいに危ないだろ!」
「なにが?」
下からまっすぐに見つめられる。
汚れないように澄んだ瞳だが、その表情はあきらかに僕を試している、イタズラな顔だ。
僕にそんな間違いをおこす勇気がないことを見抜かれてる。
あきらめて僕も腰をおろし、缶ビールを開けた。
プシューーーーー!!
あたり一面泡だらけ。
あわてる僕に一言。
「バーカ」
。。。このクソガキがぁ〜!!

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