鉢植の木らうんじ1エッセイ

病人の自然観察
小学校4年の2学期が始まって早々、私は肺門リンパ腺炎という結核性の病気と診断され自宅療養の身となった。通院のとき以外は一部屋にとじこもったままの生活が9月からその年の終わりまで続いた。その間、健康なときには気づかなかったものがいろいろ見えてきたものだった。

朝、木の葉の間を通りぬけた光が、病室となった部屋の窓のすりガラスに映る。その光がすべてまるい形をしているのだった。たくさんの円が重なり合いながらときおり吹く風にゆれる。枝や葉の間の形はまるくはないはずなのにどうしてそれを通りぬけた光はまるいのか不思議だった。

夜、眠れなくて起き上がりカーテンを少し開けた。空を見ると、大きな明るい星がまたたきながら青みがかった光を放っていた。自分に向かってまたたいているような気がしてしばらく見つめていた。清冽で、永遠を思わせるものをその光から感じて、ふと涙が出そうになった。星を見てこんなふうに感じたことは今までなかったと思った。あの星はおそらくシリウスだったと思っている。

私はわきの下に体温計をはさんで寝ていた。窓を打つ雨粒が次々にガラスを流れ落ちる。何分もじっと見ていると何か珍しいものを見ているような気持ちになってきた。上から下に向かって流れる、そのことがとても不思議に思えてきた。
「どう、何度だった?」。母の声で私はその意識から呼び戻された。

その後も、何かをじっと見ているとそれが存在していることが、あるいはその状態であることが不思議に思えてくることが度々あった。やはり、ほとんどの場合が検温の最中だった。形を変えながら流れてゆく雲、風にゆらぐ木の葉やクモの糸、部屋に射しこむ日の光などである。そして時には自分というものの存在までが不思議に思えてきた。

遠い9歳の頃の、しかし今も鮮明な記憶である。健康であれば経験することのなかった貴重な日々だった。

次へ らうんじ目次へ
Topのページへ