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Kanon哀の激情
たとえばこんな物語
(後編)


「私?私は……」


「お前を……許さない」

「へっ?」

 いきなりの台詞に、私も鮎も声のした方を向く。そこには全身を使い古したような毛布で覆った人間の姿があった。

 姿は確認できないが先ほどの声と身体の輪郭からして男。それも180はありそうな鮎よりごつい。男は纏っていた布を投げ捨てた。

「…お前だけは許さないぞ」

 まったく知らない顔であった。鮎もごつい顔をした方だがこっちは獣に近いごつさであった。

「あの、私あなたに恨まれるような覚えないんですけど」

「あるんだよ、こっちには」

 穏便に済むはずないのは男の目で分かる。明らかに真剣な目つきであった。

「…覚悟!」

 男が固めた拳を後ろに引き、間合いを一気に詰めた。唸りをあげた拳が顎にするどく入る瞬間、私は目を閉じた。

 ぽこっ…………………でなかったことだけは確からしい。

 その場に居合わせた魚屋さんによると、私の身体は扇風機のように回転して地面にめり込んでいったそうで……

 10分ほどして私は救急車でICU(集中治療室)に運ばれたのであった。

 そして……名雪はスーパーの前でだだをこねていたところ警察の手によって保護されたそうだ……………


「…で、そこの病室で一緒だった三笠(みかさ)って男の子が言うのよ『起こらないから奇跡って言うのに、君の存在はまさしく奇跡だね』って」

「へぇ〜、それは凄いね」

「私に言わせればボディビルダーのような図体して虚弱体質で入院してる三笠って子の方が奇跡に思えたけどね」

「だね」

 いつもと変わらぬ名雪の笑顔。ICUから奇跡の生還を果たした日の夜の出来事であった。

「鮎だか言う男は窃盗で、私を殴りつけた獣みたいな男はあの後駆けつけた警官8人を殴り倒し機動隊まで出動させて捕らえられたんだって?」

「うん。鮎って子の方は常習犯だったみたいで、何でも『鯛は焼きたてがおいしい』とかで魚屋さんに活きのいい鯛が入る度に持ってちゃったみたいだよ……」

「やっぱり・・・それでもぅ1人は?」

「祐子を殴った男の子方だけど、何でも『猿渡誠』(さるわたり まこと)っていう自分の名前しか分かんないそうで警察も精神科医を呼んで事情を詳しく調べてる最中なんだって。災難だったね、祐子」

「うんそうね」

「そうだね」

「……………」

「………………」

「ねぇ名雪?」

「なぁに祐子?」

「で、あなたはそんな私に『ノートを取りに行ってこい』って言う訳?しかもこんな寒い中?」

「うん、そうだよ」

 露骨に嫌そうな顔をしている私に対し、満面の笑みを浮かべている名雪であった……

「だって始業式の日に貸して以来そのままじゃないか。明日テストで使うから今持ってきて欲しいんだ」

「私の入院中に机から持っていけばよかったじゃない?」

「だって君に貸したんだもん。君の手から返してもらうのが筋じゃないか」

  にっこり♪

 あの秋雄おじさんの息子だけあって物怖じしないところはそっくりであった。

「大丈夫だよ。外は氷点下10度しかないし、毎日のようにあった夜間の婦女暴行は近頃数が減ったって言うし」

「どこをどう安心せいと!?」

「やかんのお湯も沸かしとくし、みの○んたさんにも電話しとくから」

  にっこり♪

 そう笑った名雪の目は………マジであった。


「あぁ〜うぅ〜〜、名雪の馬鹿ぁ〜」

 心身の恐怖に怯えながらやっとついた夜の学校。

 当然のごとく静まり返りこの世には自分しか存在しないのではと錯覚してしまいそうであった。

「うぅ…これかぁ〜」

 夜の教室にただ一人、目的のノートも手に入れたことだし早々と立ち去ろう。そしてこれを名雪の顔面に叩きつけ温かいお風呂で身を休めようと思ったその時……

 顔を上げたその先には、魔的な光景があったのだ。

「………………」

 男は一人闇の中立っていた。それも一振りの剣を携えて……

「やぁ」

 正面に立っているのだから視界には入っているであろうが、何故か返事はない。

 190をゆうに超えている長身の持ち主なのでもしかしたら私の姿が視界に入らないのかもしれない。

 私、というより私の背中のその先を凝視しているようだ。しかし振り返ってみても私の後ろには何もない。


「何やってるの、こんな時間に」

「………………………」

「剣道部の合宿?」

「……………………………」

 一向に返事はなかった。私は男の手に収まる剣に目を落とす。

 190を越える男が持つソレはどう見ても2メートルを超えている。厚みもあり重さも相当な物のようで振り上げれば廊下の天井に突き当たるであろう。

 (し、真剣?……まさかね)

「えっと…」

 男に用があったわけではないのだけど、何となく話がしてみたくなった。

 少なくともこんな夜の校舎で人、それもこんな怪しい男と出会うなんて奇跡的だ。それだけでも話す価値は十分ありそうであった。

「ひとりなの、ひとりだったら途中まで送って欲しいんですけど」

「…………………………………」

「私この学校の生徒よ。忘れ物を取りに来ただけで怪しい者じゃあないわよ」

 私はノートを持った両腕を上げてみせる。

「………………………………………」

 ぎょろりと私の方を向いた。敵視とも友好的ともとれない目だった。

「ほらこんなところに一人でいると誰に襲われるか分かんないでしょ」


  がきっ☆


「えっ?」

 ソレは、私の声と重なった。背後で、何かが床に食い込むようないびつな音。瞬間、男の姿は私の眼前にあった。

 私では持つことも出来なそうな長剣を振り上げ……そして。


  ズドンッ!


 一瞬の、轟音。そして静かすぎるほどの静寂が辺りを包む。。

「……自分は魔物を討つ者だから」

 眼下でしゃがんでいた男は、そう呟くと何事もなかったかのように立ち上がる……私には、閃光が走ったようにしか見えなかった。


 ピシィ…


 空間が、ずれたような気がした。男が手を引くと、リノリウムの床から剣が伸びてくる。

さっき見た時には男の剣は私の頭上にあった。それが何故下から出てくるのだろう……答えは、すぐに分かった。

「え……えっ?」

 頭が、胸が、お腹が……上から下へと熱がこもる。私の股間に暖かみが、そして床に赤い滴りが出来ていく。

「た、たす……」

「…………」

 男は何も語らず、ただ見つめていた。天井の、床の、そして私の左右が、切断面を境にずれていく……


「あ、あぁ……」 

「……自分は、魔物を討つ者だから」

 男の斬撃は天を裂き地を抉り、そして私をも切り裂いていた。

 しかし私がその事に気づくのは、既に物言わぬ肉塊となった後のことであった………

「たとえばこんな物語」 完(?)





「……って、非道いよ祐一ぃ〜」

 それが、名雪の第一声であった。放課後の百花屋。オレ達はそのウチの一席に腰を下ろしている。

 学校帰りの午後のひととき、店内は異様な盛り上がりを示していた。


「うぐぅ…ボク、犯罪者じゃないよぉ〜」

「真琴も化け物じゃなぁ〜いっ!」

「こんな事書く人嫌いです」

「…これ、私?」

 あゆと真琴に栞に舞。そして佐祐理さんに香里と何故か北川まで……総勢9人が集まっているのであった。

「で、何なの相沢君。このけったいな『話』は?」

「よくぞ聞いてくれた香里…これは今度の『集談館、春の文芸フェア』に出そうと思ってる新作だよ」

「何でお前がそんなモノ書いてんだよ?」

「フッ、馬鹿なことを言ってもらったら困るよ北川君。文学の尊さもわからんとは…」

「でも祐一、『賞金の100万円はおいしいぜ』って言ってなかったっけ?」

「ぐぁ」

 名雪の絶妙な突っ込みに、一秒でオレの尊さは撃沈されてしまったのであった。

「で、相沢……何でお前こんなにも女の子に囲まれてんだ?」

「いや最初は名雪だけだったんだが、ここに来る途中で腹を空かしたあゆと真琴が落ちてて…」

「ボクは物じゃないっ!」

「真琴もっ!」

「…仕方がないから拾ってやったらその後栞と会って、舞達二人にも会って『この際だからみんなで一緒にお茶でもどうでしょう』との
佐祐理さんの提案を汲んでみんなでこうしてお茶会を開いてたんだが……で、一段落ついたところでお前達二人が現れたんだが
お前達こそ一体何で?」

「そりゃあ男と女が二人でこんなとこ入るって言ったら理由は一つだろ」

「ノートを写させてくれって言ったのは北川君だったわよね」

「あぐっ」

 こちらも一秒で撃沈させられてしまった北川。どうやらテスト範囲の引き替えらしい。

それにしてもだからといって顔色一つ変えず否定する香里を前に、少しばかり北川が気の毒に感じたりもしたものだ。

「あははー面白かったですよ、祐一さん」

「あの、倉田先輩……一体どこが?」

「佐祐理で良いですよ水瀬さん。ただ、しいて不満を言うなら佐祐理も出して欲しかったなーってことでしょうか」

「おお佐祐理さんさすがに話が分かる。どんな役がいい?」

「相沢君…私は出さなくていいから」

 香里が絶妙のタイミングでツッコミをいれてくれる。余程嫌なのであろう。

「失礼な、香里にも相応しい役を与えてやるぞ」

「じゃあどういう役。身長2メートル越える大男、それとも体重100キロ越えるデブ? どちらもごめんだ……」

「あははー佐祐理は元気ハツラツな男の子がいいですー」

「……………そうですか、頑張ってください」

「……………分かりました。努力します」  

 年上の言は偉大で、香里も俺も何も言い返せなかった。


 くいっ、くいっ

「ん、何だ舞?」

「…これ、私?」

 舞は自分の登場箇所を指さしている。

「ああ、そうだが。何か不満か?」

「……名前」

「おお、そうかっ!そういえば付けてなかったな」

 言われて気づく。舞のあまりの実力に書くのを忘れていた。

「よし舞…お前の役名は正体不明の謎の剣豪『川田舞刀斎(かわだぶとうさい)』だ。普段は『川澄舞心』(かわすみまいしん)と名乗ってることにしよう」

「…正体不明なのに、名前名乗るの?」

「ぐあっ」

 見事なツッコミをくらってしまった。さすが舞、チョップだけではなく口だけでもこれだけ見事なモノが放てるとは。

「ちなみに栞。お前のフルネームは『三笠織志』(みかさおりし)って言うから」

「そんな名前つける人、嫌いです」

「真琴『猿』じゃなぁ〜いっ!」

「私の名前、『なゆき』だよぉ…」

 あちこちからの不満を、俺は聞き流す。歴史上偉大な人物は様々な誹謗中傷の元育ってきたのだから。


「じゃあせめて出演料ぐらいもらってもいいよね」

「ぐぁっ、何てこと言うんだあゆっ!」

 その一言は、致命的であった。否定するよりも早く賛成の声が響き渡り、俺達のテーブルにはこの店最強のボリュームと値段を誇る『ジャンボミックスパフェデラックス』が燦然と輝くことになったのであった。



 俺の作品が日の目を見ることが出来るかどうか分かるのは今から二ヶ月後……

 せめて今日の日の元くらい取れればと俺が思うようになったのは、言うまでもないことであった。



         Kanon哀の激情5

                  『たとえばこんな物語』完

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