葉

シュタイナーの第五福音書

シュタイナーからのメッセージ
これも不思議なお話です。
予言的な言葉を集めました。
行こうか止めようか考え中ほどの出来映えです。
期待する方は、別のページにどうぞ。
葉1

 第五福音書は書物としては今日まだ存在していません。(今は出版している)将来、第五福音書は、一冊の書物として、存在するようになります。けれども、ある意味で第五福音書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと同じく古いものだと言うことが出来ます。
 第五福音書についてお話申し上げます前に、まづ今日は序論として第五福音書というものを十分に把握するために必要な2,3の重要な事柄についてお話しする必要があります。
やがて、小学校の歴史の授業で今日とは違った内容が教えられることになります。

 キリスト教が世界に広まり始めた頃、南ヨーロッパにはギリシア的精神生活を受け入れた教養人が数多くいました。
この世界にキリスト衝動が突入しました。数多くのローマ、ギリシア的教養、知性の持ち主に対して、単純で素朴なものたちがかなりの早さで、原始キリスト教を南ヨーロッパに広めていった。彼らはキリストを家族の一員のように愛していたのです。
当時のギリシア世界、ローマ世界にキリスト教を持ち込んだのは、教養深い神学者でも神智学者でもなく、教養のない人々だった。
単純な魂の宣教者たちが、素朴な方法で日常的な言葉で人々に語りました。そして彼らは直接に人々の心を捉えたのです。何がキリスト教拡張の原動力になっているのでしょうか
世界に浸透していったものは何だったのでしょうか。
キリスト教を広めた人々の魂のなかにあったものが、知的衝動でも道徳的衝動でもないとしたらいったい何だったのでしょうか。
キリストです。キリスト自身が、人々の心から心、魂から魂へ伝わっていったのです。
1でお話ししたような仕方でキリストが働く時代は終わり、人間がキリストを理解し認識しなければならない時代が来るのです。
キリストを認識することを可能にした出来事があるのです。いわゆる復活の50日後に生じた聖霊の光臨です。
つまり、使徒たちのような素朴な人々が誰も期待していなかったような、霊的生活の深みから発する事柄を突然様々な言語で語り始め、この時からキリスト教、キリスト衝動が人々の理解とは関わりなく、人々に浸透し世界に広まり始めたのです。
聖霊降臨とは一体なんなのでしょう。
この聖霊降臨とは何なのかと言う問いに対する、霊学の答えから第五福音書は始まります。


私たちは皆時代の子です。
近い将来に、今日ではただ暗示的にしか知られ得ない事柄の多くについてより正確に精密に語ることができ、霊的な生成の年代記をずっと正確に知り得るようになります。今日の人々にはまだ本当らしく思われなくても、このような時代が到来するのです。
まさに、この理由からこのような事柄について、今日既に準備としてお話しする義務が生じるのです。・・私が自らの気持ちを克服してお話しする・・
 自らの気持ちを克服して、と言う言葉は実際そのまま受け取って下さい。
私が身を捧げている霊的探求にとって、宇宙の霊的な文字からまさにこのような種類の事柄を読み取るのは、非常に困難で労苦の多いものであると言うことを理解していただければ、自らの気持ちを克服して、と言う言葉をよりよく理解していただけると思います。
キリスト教の秘密に関連する表象像を、アカシャ年代記から取り出すのは種々の困難と労苦を感じます。アカシャ年代記から取り出した像を必要な濃度にまで凝縮し、確固としたものに固定するのに労苦を感じるのです。けれども、このような事柄を話すという義務が課せられていることをいはば私のカルマと思っています。
もし、私が同時代の多くの人々のように少年時代にキリスト教的な教育を受けていたとしたら、これほどの労苦を感じることはなかったに違いありません。私はキリスト教的な教育を受けませんでした。私は完全な自由思想家の家で育ち、私の行った学問は私を自由思想家たちへと導きました。私は純粋に学問的な環境のなかで成長してきました。このことによって、自分がキリスト教について話す義務を負っている事柄を見出すのにある努力を必要としているのです。
 このような個人的な話をするのは二つの理由からです。
まづ、第一に、私のことについてあるカトリックの一派が全く良心を欠いた愚かで無思慮な作り話を世間に言いふらしているからです。
(シュタイナーの愚痴を聞くのは初めてで、おおシュタイナーもか!と面白く身近に感じました。推測ですが、この本のP72に・・ローマ・カトリックの信者には冒涜的に聞こえるかも知れませんが、聖ピエトロ寺院で行われているミサの原型は、かって聖ピエトロ寺院と同じ場所にあった神殿で行われていた古代のアッティス神礼拝と外見上は全く類似したものです。カトリック教会のミサは多くの点で古代のミトラ神礼拝の継承にすぎません。・・・このつづきは。3へ。)

( マンリー・P・ホールの「古代の密儀」P67に・・初期キリスト教の理念は、異教の「密儀」が持っていた高い道徳的規律に基づいていた。そしてローマの市中で密会していた最初のキリスト教徒は、礼拝の場所としてミトラスの地下聖堂を利用していた。近代キリスト教の司祭制度の大半は、ミトラス教の祭儀から借用したものである・・の文を、シュタイナーのために借用しましょう。)


 イエスは16才から18才にかけて旅をすることによって、このような祭祀の地を知りました。イエスは旅を続けます。
イエスが多くの異教の祭祀で、司祭が祭壇に供犠を捧げているのを霊視力によって見た時、その供儀の行為を通して様々な悪魔的な存在が引き寄せられてくるのが見えました。そして、また、崇拝されている偶像の多くが高次の位階の善なる霊的存在ではなく、邪悪な、悪魔的な力の模像であることを発見しました。そして、この邪悪で悪魔的な力がしばしば儀式に参列している信者のなかに入り込むのが見られました。ある理由からこのことは他の福音書には記されませんでした。今日、人間の魂に、若いイエスがヨハネによる洗礼以前に持った非常に深く大きな体験についての真の理解が可能になったため、私たちの霊的運動のなかで初めてこのような事柄が語れるようになったのです。

 24才の時、ナザレのイエスはある異教の祭祀の町に来ました。そこでは神に供儀が捧げられていました。その町の周囲には、しかし、痛ましい、様々の恐ろしい魂的な、そして、肉体にまで及ぶ病に罹った人々のみがいました。司祭たちはずっと以前からこの祭祀の町を捨て去っていました。
中略
 ヨルダン川における洗礼に至るまでに若いイエスの魂は人間の地獄を知らねばなりませんでした。
中略
高次の認識のある段階は人生の地獄を知ることによってのみ到達できます。イエスの場合にも、24才の時、どこか私には知らない土地で、当時の人類の魂の苦痛を結集したような人々の魂のなかを深く洞見することによって、灼熱した鉄が魂を貫くような叡智に沈積し、また、光り輝く霊の彼方を見透せる程の魂の霊視力を獲得しました。
 ナザレのイエスは見霊力や叡智に恵まれていただけでなく、人生を通して秘儀参入者となったのです。
 エッセネ派教団の住居がナザレにあり、イエスはここを通してエッセネ派教団を知りました。エッセネ派教団の最も智恵深い人々はある雰囲気を持っていました。彼らは「世界が正しく発展してゆくには特別智恵深い人物が現れて、救世主として働かねばならない。」という予言的な見解を有していました。そして、ナザレのイエスの魂のなかに出現した叡智に深く心を動かされました。エッセネ派教団の最も智恵深い人々がイエスを信頼して教団の秘密を腹蔵なく伝えました。イエスは25才から28才それ以上にかけてエッセネ派教団の人々と交流しエッセネ派教団の有する秘密のほとんどすべてを知りました。
ある時、イエスはある重要な霊視的印象を受けました。エッセネ派教団の人々との意味深い話し合いを通してイエスが持った体験から生じた力からある印象が魂に進入しました。この力についてエッセネ派教団の人々は何も予感することがありませんでした。
 ・・その体験は人類の進化の霊的な経過を明らかにするからです。ナザレのイエスは圧倒的な意味深いヴィジョンを見ました。仏陀が現れたのです。エッセネ派教団の人々と理念のやりとりをした結果、イエスに仏陀が現れたのです。そして、イエスと仏陀に霊的な対話がなされました。この人類進化の意味深い秘密、この霊的対話の内容を今日お伝えするのは私の責務です。この霊的な対話において、仏陀はイエスに「もし私の教えが、私の説いたとおりに完全に実現されたなら、人々は皆、エッセネ派教団のようになるに違いない、だが、そうあってはならない。俗世から離れた清浄な僧伽を作ったのは誤りであった。エッセネ派教団の人々も世間の人々から離れることによって、霊的な進化を遂げている。彼らは清められ、他の人々は依然として苦の中にいる。俗世の人々を犠牲にして自分が清められるということがあってはならない。私が説いた教えを実現すれば、エッセネ派教団のように清められた人々が出現する。だが、そうあってはならないのだ。」と語ります。

1913/9/20シュタイナーは初めて「第五福音書」の名を口にしたそうです。

「アーカーシャ年代記」の序論
 ここで提供される知識の源については、私は今のところ沈黙のうちにとどまることを余儀なくされている。そのような源についてわずかでも知る者は、なぜそうあらねばならないかを理解するであろう。
しかし、この沈黙を破ることを可能にする出来事が、時を待たずに起こる可能性がある。神智学運動の内に秘められたままでいる知識が、徐々にどれほど伝達されるかは、すべて我々同時代人の姿勢いかんによるのである。
ここに、提供できる最初の記述を始めよう。(1909年この論文は書物の形で刊行)


店主曰
最後まで、読んで下さって有り難うございます。
私は、「神話おたく」とまではいきません。ただ、好きな井戸をほりほりしてきただけです。
そして、カトリック教会の悪口を言うつもりも毛頭ありません。
私たちは時代の子です。時代って何?
私が独断と偏見で言いたい放題言うならば、「時の輪の完了」する前の時代。何かが起こりそうだと、予感させる時代。
このページは、シュタイナーが危険を冒しながらギリギリと弓を引き絞って矢を放った。まさにその先に私たちが今いるのだという自惚れが書かせたのだ、と思ってやって下さい。
シュタイナーは、最後は敵対者に毒を盛られて病み、1925年亡くなったのだと聞いております。

 では、最後は恐ろしいエピソードをご披露しておしまいといたします。

 うろ覚えのお話です。
ある地域に野ウサギが増えてしまって、困った住民が何とかならないかとシュタイナーの所に相談に来たのだと言います。シュタイナーは一羽の野ウサギの内臓の何とかを焼いて炭にして、夕方風上からその炭の粉をまいた。不思議なことに、翌日野ウサギは一羽も見られなかったと言います。
そして、新聞の片隅に小さくその記事が載りました。

それから10数年が経ちました。当時は、ヒットラーが力を持っていた時代でして、副官の誰それが同じ実験をしたそうです。
収容所に収容されていたユダヤ人が、ごそっといなくなったと噂されたそうです。
題名の怖い本に載っていました。
1999/10/19






葉