87才おばあちゃんの介護日記

つづれの道

87才おばあちゃんの介護日記

2000/7/28
 昨日からまたおじいちゃんの病院生活始まる。
腰の骨折、月曜に手術の予定。歩けるための手術ではなく痛みを止めるための手術である。(と最初は言われてのですが、実際は歩ける手術をして下さり大成功でした)
午後里さん見舞いに来てくれた。雨しきり    昼夜食7分目

   救急車一段と響く夏の雨

2000/7/29
 朝食は、間に合わないのでろくに食べないらしい。昼食はゆっくり、月曜の手術に備え朝の分もと9部通り食べた。夜も9分。  安倍川の花火、賑わうだろう

   オペきまり冷房止めて窓の風

2000/7/30
 朝、病院にタカユキに送ってもらう。明日のオペに精力付けてと思い、昼食を充分に8分目。
午前中は雨降ったり止んだり。午後看護婦さん、足、下を剃ってくれた。用意するもの仕度する。
たっちゃん来てくれた。レイコ足の脛をくじき松葉杖、大したことないようだ(レントゲン)

   病院の窓真向かいに入道雲


2000/8/1
 31日の手術無事にすんだ。夜も心配することなく眠った。今朝は疲れたのか目をつぶったまま食べさせてやる。午後3時に三宅医院にレイコと行く。クニコも来てくれレイコ夜の8時まで食事の面倒見てもらい助かった。レイコも足くじき松葉杖。親子揃って痛々しい姿。

   夏の日や親子揃って外科医院

2000/8/3
 今日より私は泊まらず帰ることにする。看護婦が看てくれることになる。ちょっと気になるが完全看護なら仕方あるまい。おじいちゃん、頑張ってね。一人でたくさん食べて元気で退院しようね。

2000/8/12
 朝5時ヤスオと私、久しぶりに畑へ行った。目的のちその葉(紫蘇)はなく草取り。帰りに自動車の鍵ヤスオなくし見えない。クニコに迎えに来てもらう。スペアキーひとつあり、今日はクニコ様々と女房に感謝。
安倍川には白鷺、朝のすがすがしさ。私は病院に昼食に間に合うようバスで行った。

   白鷺の川辺に立ちて風涼し

2000/8/14〜15
 レイコと屋上へ車椅子。昼食、夜は半分くらい。朝も食事はあまりとれそうもない。食事が手間取り看護婦とても困るらしい。千葉の戸崎様からの手紙(見舞状)を見せたが分かったような分からぬような・・私が代筆で礼状を出しておいた。朝から雨が降り出し気温ちょうど良し。

2000/8/18
 病室6人部屋となり、個室とは違い思うようにならない。レイコ夫妻今日イギリスに出発。芳野子供達がお昼頃来てくれ私と代わる。昨日久子さんと誰か分からぬが二人で見舞ってくれ、うちわ久子さんの墨絵の素敵なのをベッドに置いてあり、お礼の電話をする。

2000/8/26
 退院。クニコ孫ふたりの三人で向かいに行ってくれた。私は家で待つ。今日よりは家での看護。

2000/8/28
 食事も思ったより食べれるようだ。退院したらいっぱい飲めると思って楽しみにして来たらしいが、飲むお酒は固く周りの者から止められている。

2000/8/29
 一番嫌な日が来た。「一本つけてくれ一本だけ」皆に聞いてからにして、と出さなかった。二人とも眠られぬ。どうしたらいいか迷う。

2000/8/30
 訪問医が来る。「おじいさん久しぶり。元気ないな」先生の方からお酒のこと言い出した。黙っていてくれたらいいのにまづい。
「飲むのは、お酒絶対悪くない。むしろ病人の望んでいるものをやらぬのは、痛み止めの薬も注射もやらぬ事と同じだ。人間は生命力治癒力がなければ、医者が救おうにも駄目だ。本人がその日の楽しみをなくしたらしぼんでしまう。少しならむしろ血の血行を良くするのに役立つ」と
それを聞いて、皆に先生から話してもらいたいと思った。先生もお酒を好きな方に違いない。
看護婦もヘルパーも「その通り、病人の好きにしてあげるのが看取りの一つ」と
今我が家は事務所の外壁、風呂場を修理するので職人衆で落ち着かない毎日。山本さん、石垣さん電話あり。レイコたちもイギリスから帰る。

   日中の暑さ忘れこうろぎの鳴く

2000/8/31
 夏の終わり、降ったり止んだりはっきりしない天気続く。ヘルパー11〜12時の1時間だ。1時間はかからぬ。体を拭いて、尿取りパッド替え、六畳間の板の間をふくだけ、それでも私は助かる。食事はお昼のお弁当を一人前とってくれる。本人はよく食べてくれる。夜はお酒の要求はしない。今夜はやらないが何となく心複雑。レイコと三宅医院へ行って薬もらってきた。

2000/9/18
 レイコ来て夜の食事、おじいちゃんの身体拭いてくれた。煙草をのんでいたので胸のガンには良くないと、懇々言った筈なのに、本人も諦めると言ったはずなのに、4時過ぎ柵をはずして買いに行くと言って聞かぬ。どうにでもなれと私は一本やった。気持ちよさそうにのむ。どうすればいいのだろう。里ちゃんがまた寄ってくれた。

2000/9/19
 午前辰兄ちゃん来てくれ、柵が外れないように柵の下に何か考えて作ってくれるとのこと。ヘルパーもおじいちゃんと、柵を取らない、一人歩きの危険をしない約束す。里ちゃんきてそば寿司をもらう。
慈悲尾のマチ子きて、秋の彼岸のお寺に明日行ってくれる約束。お寺のお布施誂える。

2000/9/20
 彼岸の入り。事務所の工事まだ完成せず、仏間も散らかって掃除も出来ず、完成後綺麗にする。それまでご先祖様御免ね。

2000/9/21
 おじいちゃん、今日外の鉄の柵取り外す。目鼻着々。

彼岸
   先祖に手向けん彼岸花
   青空に負けじと畑の曼珠沙華
   我が畑の奥の一列曼珠沙華
   さわやかに夫とヘルパー指切りげんまん
(柵をとらぬよう)
   葉もつけず花笠満開曼珠沙華


2000/10/9
 しばらく日記も書かなかった。何もやる気なく、今月の俳句の投句近づき、下手な句を5句、句会へ1句石垣さんに手紙で頼んだ。
おじいちゃんは晩のお酒8勺、もういっぱいは駄目。今夜は椅子テーブルでお酒、食事、気分は良かったが、ベッドに行くはずが腰ぬかししばらく床にいる。二人で遠くへ行くかと言ったら(天国)、本人は「旅行に行く気か、もうこの足では行けんな」と言った。

2000/10/10
   
   秋晴れや今夜は楽しみ十三夜

 
 今日4時に風呂や来て、おじいちゃんは3人の人たちに湯舟に入れられ気持ちよさそう。週1回の契約で来るようになった。夕食の時「今日はお風呂へ入って気持ちよかったでしょう」と聞いたら、「あれはあんな3人で入れてもらうのは気持ちよくない」と言った。前のように家のお風呂で入りたいと言った。なぜだか分からん。
   
   十三夜出る筈なぜに雲がくれ


2000/10/12
 石垣さんが昨日の句会の様子や投句の書き物持ってきてくれ、仏間で話し合った。
私の投句
   風にゆれ素朴の野菊車椅子

2000/10/17
 おとといの夜、おじいさんトイレへ行くとよぼよぼ足で行き、階段の下で転び、また足、両方の膝へ生傷。月曜の風呂へも入れず、いつもの事ながら始末に困る。午後レイコ、里ちゃん、ヤスヨと別家へお茶を買いに来て寄ってくれた。足弱くした里さん。私も年を取った。里ちゃんが80才。私が87才。
里さんへ掛け軸(主さんの書いたもの)誂えた。

   しとやかに庭の片隅時鳥草(ほととぎす)
   時鳥草手も入れずひそやかに
   片隅のひそやかに咲けり時鳥草

2000/10/19
 訪問医来る。おじいさんトイレへ歩いていくのを止められているのに、自分で行く。困ってしまう。医師はリハビリをさせるかと言うが、本人は嫌らしい。
今夜お風呂に入ってから気がつく。自分の右手の紅指の関節こわばる、いつもより

2000/10/23
 昨夜より雨。歩くことを医者から止められていたおじいちゃん、そのせいか腰が痛み始め、1週間前ちょっと滑って足傷ついた、その時また骨折したのか心配になり、訪問医に電話してもらったが、さすが医者、聞いた様子では「骨折ではない。冷やして安静にし、ちょっと様子を見るように」とのこと、ひとまず安心した。今日レイコも来てくれ、クニコとも話し合う。昨夜はクニコに世話になり、今日はレイコが足腰暖めてくれて幸せ。(手が昨日からこわばる)

   和やかに見舞うきづなの秋時雨

2000/10/25〜27
 ヘルパーさん、主人の爪(足)を切りすぎ血が止まらず、看護婦にも来てもらい手当してもらった。ヘルパーさん泣いて謝る。失敗は成功の元、良い勉強になったでしょう。お互いに誠意を認めあった。

2000/11/11
 おじいちゃん、ショートステイ(6〜15日)に行くことになり、その間に私のすること色々。今日掃除終わり歯医者へ行く。朝行ってまた3時半に行く。今日中に入れ歯出来るように修正。
空は晴れ、青空に風が流れて落ち葉がささやく良い日だった。

   道行く人肩に落ち葉の囁きぬ

2000/11/17
 激しい雨だった。11時頃ヘルパーさんが10日振りできてくれた。「おじいちゃん元気でいいね」と声をかける。下着寝間着替えてもらう、ヘルパー清拭しながらの話。
今朝行って午後また行く家だそうだ。50才半ばの主婦、リュウマチで永いこと寝込んでいる。ご主人はトラックの運転手息子さんも仕事、家に帰ると下の世話をしヘルパーのたまに作ってくれた残りの総菜をとても嬉しそうで、やせ細った病人を見るに付け、おじいちゃんは幸せよ、と言った。
4時過ぎ訪問看護婦来る。信二郎、マチ子帰り寄る。

2000/11/18
 やっとお天気になり洗濯日和。おじいさんの物一杯気持ちよかった。ヘルパーさんも来て清拭してくれ、午後3時に歯医者に行くことになっていたので、おじいさん良く眠っているのでベッドの柵だけして安心して行って帰って見れば、裏の出口でおじいさんまた転んでクニコとヤスオ車椅子で行くところだった。三カ所ばかり怪我、骨折はしないだろうが痛がっている。オートバイで出かける積もりとか?

2000/11/19
 11時頃ヘルパー来る。袖口、裾など血が付いているので着替えるのに痛がる。レイコが来て慰め、私は怒る。涙を出し子供のように・・

2000/11/20
 暖かい秋が続いていたが、いよいよ冷え込んできた。周期的に寒気はいる。今日2時に訪問入浴来るが入浴中止。昨日はおじいちゃんごめんね。

   強く言い心の裏の秋時雨

2000/22/23〜24
 訪問看護婦来訪。1週間前の出来事滝さんに言って患部をよく見てもらう。ちょっと腫れている。軽々しく見る物ではない、さすが滝さん、勤めがらすぐ電話して夜のうちに自宅にレントゲン技師に来てもらい患部写す。その様子で入院か自宅療養になる。なるべく自宅療養を望む。
朝、滝さんよりレントゲンではよく分からなかったので、自宅で静かにしているよう言われる。ちょっと安心。ジュンペイ休みで自分たちで焼いたと大きな焼き芋二つもらう。

2000/11/25
 昼食、焼き芋美味しく父さんと食べる。

   焼き芋をほおばるぢぢの小春の日



つづれの道  (平成4年公民館の会誌に投稿)

 子供達が、今年はおじいちゃん、おばあちゃんの結婚50周年になるね、お祝いをしなくては、と言ってくれました。
想えば、私が嫁いできた夫が病弱だったため、姑は7人の子供を残し、事業半ばでこの世を去った。夫の後を受け、茶商い、米穀、秋には蒟蒻玉を農家から買い集め、旅送りをして、家族総出の忙しい毎日でした。
 私の先夫は、世が短かかったせいか、家族にも私にも、意のそまぬ事多く、3才の長女を残してこの世を去りました。
 ご縁と申しましょうか、この娘が私たちの運命の糸を固く結んでくれました。
 一旦実家へ帰った。私は再び当家へ戻った陰に、満州の兵役を終えて帰国した弟が、今までの私の不幸の償いは私がすると、力強い言葉で私を迎えてくれたこと、片時も忘れることの出来ない我が子と一緒にいられる思い、また一つには、姑が降りかかる困難と戦時下の統制された商売のやりくり、泣くに泣けない経済、人間関係の狭間にあって、愚痴一つ言わず、明治女の気骨を全うして生き抜いてきた姿に、私は惚れ惚れして、この人についていこうと決心して戻りました。
 夢中で通った戦中戦後、やっと平和になった頃姑は、自分の時代は終わったかの様に恍惚気味になり、昭和42年6月不帰の人となりました。
 私はこの尊い永遠の姑に感謝の看取りをさせてもらいました。

病む姑(はは)の乱れし髪のくしゆれて抜毛増ゆく薄氷(うすらい)の朝
嫁となり姑となりて幾年を遠き黄泉路の別れぞ惜しき

 井上靖氏の奥様が「今日は、私たちの結婚25周年ですよ」と告げると、靖氏は「ふーん」の一言で銀婚式記念日は終わってしまったという。金婚式の日も放っておけば「ふーん」にすぎかねないのを、今度はやがてその時代に近い子供達に促されて幸せを祝ってくれたということです。
 25周年は、どなたも熟年の真っ只中、私たちも当然素通り、さて、私たちの金婚の日はどんなであろうか。 
 私も5年前自分の不注意から左足を骨折し、手術、再手術の2年間でした。
 入院中は親しい友達や親戚や家族にも大変お世話になり、夫は冷蔵庫代わりにアイスノンを毎日持ってきてくれ、自分の眠られぬ夜は般若心経を書いてくれ、しみじみと夫婦の絆の尊さを知りました。
 夫は戦後病を得て、ストレプトマイシンの副作用で難聴となりましたが、自分の仕事の引退後息子の仕事の補助者として、お客様や役所へ書類の提出に励んでおります。私も公民館の俳句同好会に入れていただき、忘れ事多き頭に活を入れ心のより所として俳句が慰めとなっております。
 富厚里の畑に老後の生き甲斐をかける夫の後に時々私もついて行き、足腰を励ましながら、草取りや出来るだけの自然の中の土いじりも楽しみです。

   鍬入れて土よ香れの春の芋
   七草を過ぎて夫婦の畑の道

 年と共に、五体の衰えを感じながら、友も一人二人と逝き、過日も夫の一番親しい友が急逝して、すっかり気落ちしてしまいました。

   筆ぐきの俤恋し秋の夜

   束の間の秋朗報も不帰の旅

 その中に私たち夫婦の50周年を迎えて、永き道程の逝く曲がりを、目に見えぬ大いなる力に生かされ、多くの人たちの恩恵に支えられてきた悦びを今あらためてひしひしと感ずる今日この頃でございます。
 **公民館の皆様心から感謝申し上げます。これからは、限りある余生の一日一日を大切に感謝と愛の日々を心豊かに老いに行きたいと思います。

   次の世も二人で汲まむ春の水

   見かえればつづれの秋の50年



おばあちゃんにこのページの出来上がりを見せましたら、とても喜んでいました。
俳句の先生から花まるを頂いた句がまだある、そうであります。
おばあちゃんに感想など送って下さると
寿命がもう少し延びるかも知れません。