距離

 田舎の家と畑は、自宅から9キロの距離にある。この距離は、車で25分から30分かかる。歩くと、どのくらいかかったかなあ・・。
実は、歩いて帰ったこともある。相性の悪い夫婦なので、しょっちゅう喧嘩をした。(最近は減りました。名誉のために一言)
畑に山芋の植え付けをしたとき、「お父さん、堆肥を入れなきゃ駄目だよ」「山芋には堆肥はいらんと牧野さんが言った」「違うよ。最初はどっさり入れた方がいいって言ったよ」 ・・こんなことで夫婦喧嘩が始まってしまう。そのうち、「お前はもう帰れ!」「分かった。帰る!」 こんなことってあり?

 山芋の植え付けの時期でしょう。・・5月ですね。 リュックを背負って、首にタオルを巻いて、帽子を目深にかぶって、キッと歩き始めた。それ以後畑に行くときは、車2台で行くようになりました。不安定なパソコンのようなもので、時々クラリと例の画面に戻ってしまうんで。

 藁科川は一級河川です。川をはさんでむこうとこっちと、道は二つあります。橋の向こう側に行けば、橋のたもとのすぐにバス停がある。畑からバス停まで10分位歩くだろうか。しかし、こちらの道はバスが通らない。田舎には時々こんな盲目地帯があります。こちらの道でバス停があるのは、延々4km先だった。が、普通こういう精神状態の人は、あえて困難な方の道を選び、悲劇のヒロインを演じたがる。

歩きに歩いた。5月のはじめはまだ寒くって、軍手をはめて暖かい飲み物も買った覚えがある。たまに車は通るけど、道のこっち側からむこう側にキウイ畑があると、剪定はどうなっているかと眺めに行き、またむこう側に柿の木の畑があると、そっち側を歩き、道を行ったり来たりして、やがてやっとバス停に近づいたとき、バスが遠ざかっていく。
時刻表を見ると、なんと1時間後が次のバスだ。仕方なく、また歩き始めとうとう7キロくらい歩き通した。
でも、不思議だね。あんなに腹を立てていたのに、これだけよく歩くと、先ほどの腹立たしい気分が嘘のように穏やかになってくる。

本当にお気の毒なお二人さん。いつかは仲良く海外旅行が出来るだろうか、とっても心配です。右も左も分からない土地で、どっちが先に自宅にたどり着けるか・・・なんて。ハハ・・
7キロ歩いた先のバス停で、産み立て卵を買いバスを待ち家に帰った。
家に帰って、涼しい顔で会いましたよ。にっこりと。

 趣味とライフスタイルと人生観が同じ友人を持っていることは、最高の財産ですね。
以前、渡辺昇一さんの「知的生活の方法」 を読みました。このなかに胸にチクリときた文章がありました。

「孤独と交際といえば、ハマトンは宗教上の理由でオックスフォード大学に進学することが出来ず、そのまま独学の生活に入ったため、孤独を愛好する傾向が強く、生涯の大部分をスコットランド高地とフランスの田舎で過ごした人であるが・・中略・・知的生活は、本質的に孤独であるが故に、語り合うべき友を求める生活でもあるのだ。事業を助けてくれる友でも、金を貸してくれる友でもなく、ただ静かに語り合うべき友である。ハマトンはフランスの一婦人のなかにそういう友を見いだして結婚した。本来ならば、不幸になりそうな気質と意見を持っていたように思えるハマトンが、幸福な家庭を作り、イギリスやフランスの田舎で満足して絵を描いたり、書物を書いたりして一生を送り、その後の長い生活のあいだ、仕事でロンドンに出てくることがあっても、ついに市内にはほとんど一泊もしなかったことは、興味深いことである。」とありました。どんなに心休まる家庭だったのでしょう。
もちろん、こうありたいものですよね。
                         




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