初めての富士登山
2004/8/14〜15

  
4:00pm、9合5尺(3510m)から山頂を見上げる

 
同行者

   
9合5尺から下を撮す。

富士登山の前日の天気予報では、週末の天気はくずれるとあった。
当日の朝、我が家から見上げた空は曇り空だ。でも朝食を食べ、予定通り7時30分に出発する。
富士宮口5合目から登り始めた時間は午前10時で、9合5尺にたどり着いた時間は、午後4時だった。

重たいものは全部息子が引き受けてくれたので、リュックの中身は雨具と着替えくらいだったが、歩き始めると息は切れ足は疲れ、すぐに立ち止まりたくなった。「休んでばかりいると疲れる。疲れたら休んでいるくらいのペースでも歩き続けると良い」と本に書いてあったので、ものすごいスローペースで歩いていた。
最初は夫が先頭で、次が私で最後が息子だったが、私が遅いのでたまりかねた息子が荷物を全部持ってくれた。急に身軽になって、こんなに荷物が負担になっていたのかと思うほどだった。
しかし荷物を全部持って貰っても、若い人のようには歩けない。「7合目で待ってて」「8合目で待ってて」と言い続けて、最後はやけっぱち「頂上で待ってて」と言い、9合5尺では息も絶え絶え頂上を眺めたが、待っていた亭主が「ここで泊まるか?登れるか?」と言う。それは絶対「泊まりたい!」。
それで、山小屋では本日一番最初の泊まり客となった。

それから、夫と息子は山小屋に荷物を置き、身軽になって頂上を目指した。頂上に着いてからもおはち巡りをして帰ってきた。山小屋に泊まったのは初めてだ。山小屋の2階は、所狭しと布団を敷き詰めてある。その一番奥の一番端の3つが我々のスペースだ。私は布団の上で「真っ向法」だの「経絡リンパセラピー」だの習いたての「クールダウン」をたっぷり行った。7月の白馬乗鞍の経験で、このクールダウンがどんなに大切か、山岳ガイドさんに教えて頂いたのだ。

7月に白馬乗鞍で、登山らしい登山をした自信が、富士山にも登れるんじゃないかという、無謀な計画に乗ることになった。本当は、娘と一番下の息子も参加するはずだったけど、土壇場になってキャンセルだ。富士山だけは、登りたいという意欲がないと登れない山ではないだろうか。

カレー夕食の後に、息子とビールで乾杯する。この息子が、弁当や飲み物を全部持ってくれたから、ここまで登ってくることが出来た。靴も、重たい登山靴では絶対登れないから、スニーカーで良いというアドバイスに渋々従ったおかげで、登れたのだと思う。片足700g以上ある登山靴では、足が上がらなくなっていたと思う。
暗くなって小屋の外に出ると、軽装の若者が2人話し合っている。「ここで泊まるか」「金がない」それで山頂で野宿しようと言っていたが、やがて山を下りて行ったようだ。山荘の入り口付近にトイレがあり、その付近に明るいハロゲンランプが点いていた。「この電気はずっと点いていますかね」「さあ」・・
山はもう真っ暗だ。

夜中にトイレに起きる。フリースやらベストやらを着込んで、懐中電灯とトイレットペーパーを持参で、小屋の外にあるトイレに行かねばならない。小屋の外には、夜中なのにこれから山頂を目指す人が一休みしていた。山の下を見下ろすと、薄い雲のベールの下にぼんやりと夜景が見える。まるで千と千尋の不思議な町を眺めているようだ。上を見上げると、頭につけた電気の光が空に丸い輪を描く。明日のご来光は拝めそうにない。

眠れなかった。
午前3時に山荘のご主人が、ご来光は見られないと言うこと、雨具の準備が必要だと言うことを言い、お弁当を配った。寝床で起きあがり「私は山頂には行かなくて良いから、雨が強くなる前に山を下りよう」「それが良い」「賛成」と2人の男どもが言う。
4時頃息子の隣で寝ていた初老の男性が、山頂を目指していった。風も強く雨の気配も感じられる。

山のお弁当には、湯飲み茶碗一杯のお茶が付いた。朝ご飯を食べると、用意してきた雨具を身につけ山を下った。下りにかかる時間は、登りとは比較にならないくらい早いが、足の負担も比較にならないほどの消耗だ。
8合目、7合目までは一緒に下ったが、それ以後は5合目で落ち合うことにした。9合目から7合目までの雨は、風こそ強いけれど霧雨のような雨だったが、7合目以降は雨粒が顔にぶつかってくる。ど近眼だけれど、眼鏡を外した方が安全だった。

富士山の山行きは、人生そのものだ。一歩一歩歩く。ひたすら歩く。頭の中で1から159とか数を数えながら歩く。数字の続きは、どこから始まってどこで終わるのか、消えた所からまた数え始める。
雲の中の山道は、先が見えない。ひたすら、山道に張った綱を目印に足を運ぶ。途中から、雨が山道を濁流となって流れる。慎重に足を運ぶ。足をくじいても、誰も助けてはくれない。人生すべて自己責任だ。山に登り始めたら下るまで、自分の足だけで歩かねばならない。
やがて霧の中から6合目の山小屋が現れる。長く苦しいときも終わりがあるものだ。
この6合目の山小屋の姿は、きっとこれからの自分を支えてくれるに違いないと思う。今思い出しても涙が出る。

9合5尺(3510m)の山小屋を7時30分に発って、5合目(2400m)にたどり着いたのは、11時15分だった。自分を誉めてやりたい。

2004/8/16up



写した写真は、この7枚ですべてです。