2008年4月
 カンボジア アンコール・ワットの旅


旅の風景 2008/4/26〜30



アンコール・ワットにて
朝日は雲に覆われて拝めなかった







アンコール・トム(バイヨン様式・仏教遺跡) アンコール・トム(バイヨン様式・仏教遺跡) タ・プロム寺院・密林のガジュマルに覆われて






タ・プロム(梵天の古老あるいはプロム爺さん) バンテアイ・スレイ
入口の左横の女性像が、東洋のモナリザと呼ばれる
女神デヴァダー
バンテアイ・スレイ
素晴らしい彫刻が雨で変色している
地面も綺麗なローズ色だった


バンテアイ・スレイ
レリーフの美しさには目を奪われる。
バンテアイ・スレイ
赤い砂岩で建造されている。
バンテアイ・スレイ
アンコールワットの北東部に位置する。





アンコール・ワット
この像は、クメールの女神達。シュメール伝説では帽子の角の数が身分をあらわしているが、そう思ってみると、このデヴァダー達は同じ身分なのだろう。
アンコール・ワット
鏡を手にした女性
アンコール・ワット
ヘアスタイルも表情も皆違うデヴァダー(女神)








アンコール・ワット
仏教の地獄模様
嘘をついたり悪いことをすると串焼き
アンコール・ワット回廊にて
地獄模様2
アンコール・ワット回廊にて
地獄模様3
釜ゆで











アンコール・ワット・屋外の壁面
王様は象に乗っています。
アンコール・ワット回廊にて
馬に乗って戦いに行く。
アンコール・ワット回廊にて
地獄模様4



この御一家はカンボジアでは豊かな家族なのだろう。
子供達が人懐こく、「1ドル〜」と物売りに来なかった。
色鮮やかな布を売る、長い髪の女性達。
ポルポトの時代は、黒服と短髪しか許されなかった。
イチジクを売ってました。



バナナ 椰子の実 ジャンクフルーツ









ココナツの実 マーケット マーケットの焼き鳥やさん



一昔前の日本の風景だ。
テレビに釘付け
人だかりの中心にいたのはこの方。
易あるいは占いのようなことをなさっていた
日常生活のひとこま



象のテラス ライ王のテラス

ライ王伝説
 その昔、ある王様が密林の中で毒蛇と戦い、大蛇を仕留める時に返り血を浴びてハンセン(ライ)病に感染したという。

三島由紀夫がこの地を訪れ、後に「ライ王のテラス」という戯曲を書いた。
象のテラスにて、ガルーダ神

2008/4/25
名古屋に前泊する。駅前のビジネスホテルで、2人で9000円の宿泊料。ホテルでチェックインの手続き中に電話あり、7000円って答えてた。早く申し込んでおいて良かった。

4月26日
7時30分名古屋駅に集合し、関西空港からベトナム航空の飛行機に乗りホーチミンへ3時間20分。ホーチミンからカンボジアのシェムリアップへ45分の空の旅。(乗り継ぎなど5時間らしい)
このホーチミンからシェムリアップの飛行機の中で、入国カードと出国カード、税関のカード?・・を書く。多分分かるだろうと、たかをくくっていたのだが、これが分からない。隣に日本人らしき男性が英字新聞を読んでいるので、一つ一つ訊ねながら書く。
ホーチミンだって、英語で書くし、アンコールワットだって英語で記入するのだもの。


さて、このアンコール遺跡群について勉強したので書いておこう。

 アンコール遺跡群が世界遺産(文化遺産)に登録されたのは1992年。9世紀から14世紀にかけてのクメール建築とクメール美術が高く評価されてのこと。
アンコール遺跡には、もともとクメール王朝の王都があった。この王朝において大きな足跡を残したのが2人の王、スールヤヴァルマン2世(在位1113〜50年頃)とジャヤヴァルマン7世(在位1181〜1220年頃)だ。スールヤヴァルマンがアンコールワットを、ジャヤヴァルマンがアンコールトムを建立させた人物だ。地元のガイドは次のように解説する。

 かって王たちは、王位に就くと次々に巨大な建造物を建てていった。それは王が神の世界と人間の世界のふたつにまたがる存在であると、クメールの人たちは古くから考えていたからだ。アンコールの遺跡はどれも荘厳で、現世を忘れさせる優美さを備えている。

古代カンボジアではヒンズー教と仏教が共存していたという説が通っているが、本当は戦うヒンズー教が戦わない仏教徒を追い出した歴史があるはずだ。

アンコールワットの中央祠堂にはヴィシュヌ神が祭られ、スールヤヴァルマン2世がこの地を治めた。彼の死後、王朝は弱体化し隣国チャンバの攻撃を受け王都は陥落、時の王も殺害される。
そしてジャヤヴァルマン7世が4年で国の体制を立て直し王位に就く。彼は王都の防御に力を注ぎ、高い壁に囲まれた城塞都市アンコールトムは、こうして誕生した。
 
 アンコールトムの南の城門にそびえる巨大な四面仏は観世音菩薩だ。城門から中央へまっすぐ伸びる道の先、四面仏の林が林立し、四方を慈愛の微笑みと、人々の幸せを祈る念いが伝わってくる。
バイヨンは仏教寺院だ。ジャヤヴァルマン7世は、大乗仏教を積極的に取り入れ、仏法によって社会構造を変革し、祖国の安定と繁栄を願った。

彼は街道を整備し、病院の建設を推し進め、国内各地に積極的に寺院を建てていく。アンコールトムから少し東側にある、ガジュマルにより浸食された「タ・プロム」は、ジャヤヴァルマン7世の母上の冥福を祈って建立されたものだ。これは彼の統治が安定し繁栄していることを物語っている。(雑誌グラン3月号を参考)

それからアンコールワットは密林に覆われ、長い年月を経て再び我々の前に姿を現してくれたのです。
密林に覆われていても、アンコールワットの存在が失われたわけではなく、日本からも訪れた者がいて墨で落書きの後が残っていると、案内されました。 

2008/5/5

2008/5/4