生きるとは心の富を得ることなり。 |
「ありがとう」は『有難う』と書く。 難しいことで有っても、難が有っても、 貴方のお陰で無事に収まりました、感謝申しあげます、の心。
誉められても、いびられても、虐められても、それはそれ。 身体を蝕み、苦痛を与えるも、生を受け今を生きている証。思い通りにしようとする心違いが、自らを苦しめる。 思い通りにされる人生と思えれば、全て我を戒め、鍛え、育ててくれる親心。 有我等(我、等しく有る)。有り難うございます。 金で消えていく肉親の絆もあれば、気遣って何気なしに掛けてくれる声もある。 そうっと勝手口に置いて行ってくれるお新香の味がしみる。
有難しの語源 『法句経』の百八十二に記されている 得生人道難 生寿亦難得
人に生まるるのは難(がた)く やがて死すべき者の 今命あるは有難し 世に正法あることは難く 仏法の教えを聞くは有難し が語源となっている。 「有り難し」のもともとの意味は 本来、文字どうり「有ることが難しい」(稀有)という意味です。 「有ることが難しいことを感謝する」という意の「ありがたい」という言葉に転じた。 まさに、生有ることは 『普通ではないこと』 『尋常ではないこと』 『滅多にないこと』 でもあります。 悩み、苦しみの原因は否定言葉? 悩み、苦しみの多い人は、 不平不満、愚痴、悪口、泣き言、文句 が 日常のように出てくる人だと思う。 ネガティブな言葉を、家族や身の回りの人に振りまいていませんか。 それが、また不平不満、愚痴、悪口、泣き言、文句の種になって、悩み、苦しみを生み、 不平不満、愚痴、悪口、泣き言、文句を言わなければならないことをエンドレスに引き起こしている。 それに気付かないで、人のせい、世の中のせいにして、エンドレスに繰り返しているのです。 恨み、憎しみ、呪いまで言うようになる。 それを断ち切るためには 心を込めなくてもいいから「ありがとう」を言い続けるといいよ。 ACの人、アトピーの人、ガンの人も治ったし、一部の医療の現場でも、治療に使っている。 医学的(脳科学)に説明すると 脳の基本ソフトが、 不平不満、愚痴、悪口、泣き言、文句などの否定的言葉を自然に発するようになっている。 そして、脳ホルモンのアドレナリン、ノアアドレナリンの分泌が激しく出て、治療の妨げになっているし、新たに病気も作ります。 脳の基本ソフトを軌道修正して笑いや肯定的言葉が発するようになると、 脳ホルモンのエンドルフィン、ドーパミン、セロトニンの分泌が増え、身体を元気にします。 脳の基本ソフトを軌道修正するのには 「笑顔」と「ありがとう」がもっとも有効です。 「笑顔」は作り笑いでも、苦笑いでもいいです。 「ありがとう」も心を込めなくてもいいです。 コストはタダだし、どこでもできることですから、興味をもてたらやってみて下さい。 心を込めなくても 「ありがとう」 と言ってみよう 「呪文」のような力があるよ。 信じられない人は、無理に勧めません。 面白そうだ、一丁やってみようか、と思ったらやってみて下さい。
苦痛と苦悩は違うよ 苦痛は身体が故障して「痛い」だけ 苦悩は「痛い」ことに腹立たしさ、不満、不平、泣き言などをぶっつけるから生まれる。 膝が痛かったら、「今まで活躍してくれてありがとう」と視点、見方を変えてごらん。 楽になるよ。 苦痛は、なかなか取れないけれど、 苦悩は、思い違いに気付いて肯定言葉に代えると、限りなくゼロに近づく。 幸せを感じたいのなら ついている 感謝します しあわせ ありがとう ゆるします と腹に言い聞かせりようにいっぱい言ってごらん。 とりあえず1,000回、10、000回目標にするといいよ。
『そ・わ・か』『摩訶般若波羅蜜多心経』の奥義も、突き詰めてみれば「ありがとう」と「感謝」なんだよな。 最後に『菩提薩婆訶(ぼじそわか)』とあり、『そ・わ・か』をもじって『掃除』『笑い』『感謝』の実践を提唱している人が多い。 『そ・わ・か』を実践し続けることによって、ものの見方が変わってくる。 見方は『味方』なんだよ。 人生は『ありがとう』にある。 仕事の悩み・問題は: 『掃除』をすればいい。 特に「トイレ掃除」。 主婦なら、女の城「台所」を綺麗にしておこう。 身体と健康の問題は: 『笑って』いればいい。 人間関係は: 「ありがとう」と言って感謝していればいい。
有難うの心 志田 一利 人を思いやる気持ちが伝わった時、「お蔭様で、有難うございます」という感謝の気持ちで返ってきます。 この言葉は「あなたが影で力を貸してくれて(後ろから押して支えてくれて)、あなたの力がなければ今の自分が有るのは難しい」という意味があるようです。 苦労と悩み多きこの娑婆です。これが何故か感謝せずにはいられないのです。なぜかといいますと自分を試されているようであり、一つひとつ乗り越えていくうちに一皮づつ剥がれて成長させてもらっているようです。 加えて私(志田)の役目は終わり不必要とする人があるかと思えば地域を含めて待っててくれる人もいるのです。不思議ですね。 「今までお世話になりました。有難うございました」と別れを告げ、新たの処へ「お引き立て有難うございます。今後とも宜しくお願い致します」と伺う。 特別偉くもなし立派な人間でもない。それなのに、肩を怒らせて生きてきた時もあったが廻りの人達全てがそんな私を育ててくれたのだと思うと感謝せずにはいられない。 「志田パパが来るのを待っている人が全国に沢山いるよ」なんていってくれる人達もいる。本当なら嬉しいね、有難いね。 これだけの人間(志田)でも世の中の役に立てられるのですね。 世間の人達に感謝するだけではなく富士のお山も伊達にそびえているのではなくいろんな恵みと励ましを分かち与えてくれている。 百姓をしていられるのも大地の恵みがあればこそです。いろんな虫達も寄ってくる。ミミズはもとよりダンゴ虫やダニとてんとう虫、モグラがいればヘビもいる。鳥も集まれば猫たちも遊びに顔を出す。 狭い圃場だが小宇宙を呈しているようだ。有難いね。 無我の境地になると全てのものが不必要に思えなくなってきます。 仕事の邪魔をする孫達だが彼らもいればこそである。 『有難う』を伝えていきたい、とつくづく願う今日この頃です。 |
ありがとう(有難う)を素直にいえることで、 有我等(我も、等しくある)、有賀等(喜び祝うことが等しくできる) にも通じると思うことにしています
|
悲しい時 苦しい時 辛い時 悔しい時 憎い時 こそ 「ありがとう」 をいおう 辛くも 苦しくも 寂しくも 悲しくも 悔しくも 全て 人生の糧(かて) 恵みなんだよね ありがとう ありがとう ありがとう ありがとうを言おう 自分にね あなたも 言ってごらん その後の思い悩むリスクが軽減するよ 深みにはまらなくてすむからね よかった時 うれしい時は 「感謝、感謝」 だよ もっともっと よいこと うれしいこと があるからね |
感謝で仕事 現役おばあちゃん元気の秘訣 (明治39年3月生まれの100歳〜06/3現在) 「胸に心配がない、感謝して仕事をする。」 「作って食べて、食べて育てる。」 |
何についてもいうな、「なくした」と。「返した」と言え 息子が死んだとな?返したのじゃ。細君が死んだとな?返したのじゃ 「不動産が奪われました」 「何とな、それも返したのじゃ」 「でも悪い男が奪ったのです」 「どうしてそれがきみの問題なのか。 与えたもうたお方がそいつを通して君から取り返されたのじゃ。 そのお方が君に与えたもうている間も、それを自分のものではないとして大切に扱え。 旅人が宿屋を扱うように」 byエピクテトス |