バイエルン〜チロル〜ザルツカンマーグート・6(完)
Salzburg〜Holland
それまで旅したザルツカンマーグートは涼しかったのに ザルツブルクにくると久々の猛暑。
観光客の多いゲトライデガッゼのとあるおもちゃやさんで
海南と私の大好きな飛行機を選んでいると、アメリカ人の母子に声をかけられる。
「どこか、エアコンの利いた涼しい場所無いかしら?
こんなに暑くってもどこにもないんだもの。アメリカじゃ必ずあるものなのよ。」
となぜか日本語で。
そんな場所があったら私も知りたいくらい。
でもとりあえず郊外の「水の庭園ヘルブルンは如何?」と言ってみた。
足のなさそうな彼女はきっと行かなかったに違いないけれど
汗を拭き拭きの観光で子供も暑くて相当参っていたみたい。不機嫌そうだったもの。
一体あの後どうしたんだろうな。
高級ホテルのロビーでも教えてあげればよかったのかしらね。
でもそんな場所に縁がなかったのだから仕方がない、とっさに思いつかないわ。
なんとも暑い夜を薄着で過ごし、かえって風邪を引いてしまった我がダンナさま。
次の宿泊地ミュンヘンまでの1時間どうかがんばって運転してね!と翌日ザルツブルクを後にする。
山間部の国境ではパスポートの提示を求められたけれど、ここはスピードをゆるめるだけでOKでホッ。
なんとか順調に辿り着いたミュンヘンの中心部からちょっと離れたホテルにチェックイン。
でもメトロの駅がすぐ近くにあるので便利。
大きな街のドライブは迷い易いうえPで苦労するので公共機関で行動することにしている。
マリエン広場で仕掛け時計を見て新市庁舎の上に昇り景色を眺めていたら(上記写真)夫がもうダウン気味。
ホテルに戻って寝ることとする。
つくづくここが近代的快適ホテルで本当に良かったと思う。
窓は大きく明るいしエアコンはあるし・・。
近くでメロンとリンゴを買い食べさせる。
風邪薬とミネラルウォーターをガブガブ飲ませられてベッドに横になるハル君。
「早く良くなってね。」
あらら、まるでこれらの絵のような私達?
P.Bruegel [Cockaigne] ダウンしたハル君↑ Fra Filippo Lippi「聖母子」 看病する私・・なんてね!→ |
昼から寝て一晩汗をかき続けた彼は翌朝熱も下がってなんとか元気を取り戻し
美術館に行くと言い出す。
まあ当初の予定なんだし、本人が大丈夫だというので信じて(都合いいかしら?)
アルテピナコテークを目指す。
その時、運悪くアルテ・・の方は修復中で主だった作品は
ノイエ・・(主に19世紀以降の作品を展示)の方に一時的に移されていた。
上の2作品も本来ならアルテで見るもの。
なかなか見応えのある美術館だった。
おきまりの美術館カフェをしてミュンヘンよ、さらば!
この日は大移動。宿泊地はデュッセルドルフのつもり。
途中ニュルンベルクで昼食。
お土産に小指ほどの大きさでとても美味しいという「ニュルンベルクソーセージ」を探してみる。
お店に入ってもそんなに小さいのが売っていない。
`ニュルンベルガーヴルスト`と勝手に言って聞いてみたけど通じない。
なんていう名前なんだろう。普通すぎてわからないのかしら?
3軒目でようやく、ちょっと大きいけれど、らしきものを発見。隣家の分も買ってみる。
ヴルストを探してさまよった、ニュルンベルクのどこかの街角
夕方、念願の日本食を購入する為、宿泊するデュッセルドルフに到着。
後で聞いた話によるとメッセ開催中で宿はどこも満杯だったそう。
この街だけは予約をしていなくて・・でも、運良く最初の宿でOKが出た私達。
親切なおばさんが「唯一空いているよ、早くおいで」と言って招き入れてくれたその部屋は
5階建てのトップに位置する清潔だけど屋根裏のようなお部屋だった。
ひゃ〜、一人旅以来のシャワー・トイレ共同部屋。洗面台だけかろうじて付いている。
エアコン無し。暑い。窓を開ける。すごくうるさい。深夜になれば静かになるのか・・。
頭をかかえるハル氏の唯一の救いは近くに日本食レストランの「大都会」があったこと。
なかなか美味しい夕食を済ませて、私と息子は満足の眠りにつくけれど
彼はあまりの騒々しさに眠れなかったようで気の毒であった。
翌日は本や食品をしこたま買い込んで日本人の街を後にした。
その後、数日していつもの快適な気温の夏に戻っていった。やれやれ。
そして8月も終わりに近い頃やって来た友人たちは、あまりの涼しさに風邪を引いて帰っていったのである。
完
おつき合い有り難うございました。