ヨーロッパひとりたびその1
横浜港〜ナホトカ〜ハバロフスク〜シベリア鉄道〜モスクワ

今は昔、こんなツアーがありました。

横浜港を出発して船に揺られて当時ソ連と呼ばれていた国のナホトカ港に到着。
そこから列車でハバロフスクへ。
ハバロフスク一泊後シベリア横断鉄道ロシア号に乗り
途中イルクーツクに一泊して一路モスクワまで。
そしてモスクワからはお好きな場所に旅立ち下さい」


参加者は、カナダ人、イギリス人を含む男子6名女子4名。カップルが一組参加以外はみな一人参加でした。
 4月25日横浜港出発〜旧ソ連ナホトカまで2泊3日の船旅。
三等船室だったはずがガラガラにすいていたため、二等の窓付き4人部屋シャワー付きにアップグレードしてくれました。

私たちはその部屋を女性3人で使いました。
とにかく私それまでの生活の疲れがどっと出て、おやつ抜きでひたすら眠っていました。
食事時間はこうでした。8:30朝食、12:30昼食、16:30おやつ、19:00夕食。
ロシアの食事はあんまり美味しくないけれどボリュームたっぷり
珍しく起きている時はビリヤードやらおしゃべりやらに花が咲きました。
とっても旧式でしたがプールもゲームセンターもありました。
快適でしたが揺れるんですね〜、これが。ちょっと揺れが大きくなると私はもうダメ。即ベッドに戻ってしまいました。
ロシア人のキャプテンはフレンドリーで一緒に写真なんかとってくれましたしお話もしてくれました。
何しろ乗船客が少なかったので退屈だったんでしょう。

 
17:00ナホトカ港に到着後、面倒な入国検査を経て今度は19:50発の列車に乗ってハバロフスクへ向かいました。
ここでインツーリストのガイド ガーリャさんに初めてのご対面でした。
彼女は、バレエをやるそうでまことにスリムなお体。
きれいな方でした。インツーリストのガイドってけっこう美味しい仕事でしょうね、きっと。
ホテルも食事も私たちと一緒でしたしモスクワで解散になった後は何日か連休が取れるとのこと。

 

ハバロフスク市内にて列に並ぶ

アムール河 まだ氷があります。

ハバロフスクには翌日の11:35着。下車した私たちは専用バスでインツーリストホテルに向かいました。
ここには
アムール河のロマンがあります。氷がひしめき合いながら大河を下る姿は圧巻でした。
散歩しながら知り合ったロシアの青年と話している(と言っても身振り手振り本を指さしての会話)と
ポリスに見つかり彼らは注意を受けてしまいました。
軽率でした。
一泊して翌日13:34ハバロフスク発。


売店と物売りおばちゃん
上左はロシア号と私達です。
すっきりと単独で列車全景が写っているのが無いんです。ふざけている写真ばかりで。
私はデイパックより管理のし易い大きめポシェットが好きでカメラ、メモ、お金を入れてました。
 
中央の写真は二等寝台の中です。上段はカナダ人と日本人女性の仲のよいカップルでした。
左の咲ちゃんはロシア・中東をほぼ一年かけて回るそうで、ロシア語・アラビア語が読めた才媛。
ロシア語を教えてもらっているところ。実は全然身に付かなかった・・。
ハバロフスクを13:34に出発した列車は車中2泊3日して
バイカル湖に近いイルクーツクに20:41到着しました。
バイカル湖って思ったよりずっと大きかった。ウランウデという駅を過ぎると見え始めて
それから3時間位ずっと湖畔を走り続けるんです。
ようやく湖が見えなくなって終わったかなと思うとイルクーツクの駅到着でした。
ここで下車してまたインツーリストホテルへ宿泊。咲ちゃんと二人部屋。
夜はみんなでホテル下のバーでお酒を飲みました。

氷の残るバイカル湖

翌日はバイカル湖と湖畔の村の観光でした。
私の長年の憧れの湖でした。もう5月なのにまだ一部が凍っていました。
海のように広がっていて氷がキラキラ光ってとても美しい姿を見せてくれました。
これが見られただけでも「
ああ来てよかった。」と素直に思えました。
そんな気分に浸った後湖畔のホテルバイカルで昼食をとりました。

バイカル湖は「聖なる海」と呼ばれて淡水湖なのに海の動物がいたりとか
とにかく世界中でここしかいない生き物が180種以上いると言うお話でした。
(残念ながらバイカルあざらしは見れませんでした。)
もちろん世界最深、表面積は第8位だそうです。

右の写真は、湖畔の小さな村です。
気のいいおじいさん達が一緒に写真に入ってくれたりしました。
写真は要注意と言われていたので心配してましたが、約1名ホームで駅舎を撮っていた
マニアの男性がポリスか駅員にフィルムを抜かれた事件があったのみでした。

バイカル湖畔の村


こんな景色がどこまでも続く  車窓より

20:51イルクーツク発、とうとうモスクワまでノンストップ旅行です。今度は、3泊4日かかります。
ここから列車がスピードアップしたような記録があります。
クラスノヤルスクで大河
エニセイを渡り、ノボシビルスクでオビ河を渡り、河好きの私としてはとてもご機嫌なのでありました。
途中駅で物売りのおばさんからパンを買うのもうれしかった。
50カペイカで大きな袋いっぱいのパンが来ました。(1ルーブル=240円くらいでした)
こんなにいっぱいどうするの??って感じです。分けあって食べましたけど。
飽くことなくどこまでも続く白樺の林、タイガも美しかった。
ウラルを越えてヨーロッパに入りそして最後は
ボルガ河を渡っていよいよ終着駅であるモスクワ・ヤロスラブリ駅に到着となったのでした。
 当時ノンストップでウラジオかナホトカからモスクワまで八日間かかったそうです。
時差七時間の旅でしたからガーリャさんが教えてくれるローカルタイムに七回も合わせたことになります。
彼女は、時々ウォークマンを借りたりポーカーを見て「
これは、資本主義のゲームです。」とのたまわったり楽しい方でした。
車掌の青年もよく私たちの所に来て時計の交換をせがみました。

豪華なモスクワの地下鉄ホーム

私たちはモスクワのコスモスホテルに2泊して市内観光をした後、最後の晩餐をしてそれぞれの前途を祝福してお別れしました。
日本直帰が3名。ヘルシンキ2名。ポーランド経由ロンドン1名。チェコ経由バンクーバー2名、咲ちゃんがグルジアのトビリシに。
そして私がハンガリーのデブレツェンをめざしモスクワ・キエフ駅から深夜一番最後の旅立ちでした。

そこには、駅の外灯の下、異国の地で初めてのたった一人に緊張しながら一生懸命自分の寝台を見つける私がいました

陶酔気味で失礼!

2006年10月追記:『シベリア鉄道9400キロ』、旅行人2005夏号『シベリア鉄道特集』は読み物兼ガイドになります。brogにもアップ。

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