その2
モスクワ〜ハンガリー〜スペイン〜ポルトガル国境アヤモンテ〜スペイン


モスクワから一人になった私は23:59発のTisza Expressの二等寝台に乗り込んだ。
4寝台あるそのコンパートメントは、おじさま軍人、青年軍人、イワンおじさんという構成で女は私一人だけ。
その事実を認識した時さてこの2泊3日をいったいどう過ごそうか、果たして
私の身は安全なのか
悪い方にばかり想像してしまったのだけど次第に慣れて「言葉らしきもの」を交わすようになってゆく。
でも、あくまでも「言葉らしきもの」。彼らは、ロシア語オンリーである、当然だけど。
だから前もって伝えたい言葉を会話集から探しておく。もちろん`Thank you.`や`one,two,..`とかも通じない。
完璧ダメでほんとにビックリ。今までこの国で英語が少しでも通じた人は特殊だったんだと改めて思うのであった。
軍人殿は礼儀正しく寡黙だったがイワンおじさんは、親しみやすい人でホッとする。

食料調達は途中停車駅の物売りおばさんからしていたので停車は私にとって楽しみの一つ。
キエフ駅で菓子パンを買ったら大きなのが4つもきてしまう。とても食べきれないわ。「イワンさん、如何ですか?」えっ嫌い?。
翌朝、彼が大きなハムとパンをくれると言う。でも前日の菓子パンでお腹が一杯なので断ってしまった私。
お詫びに今度は私がチョコを如何?と差し出すと
「これは女と子供の食べ物だよ」と、また食べてもらえず。ムムッ難しい。
 
列車では各車両でチャイ(紅茶)が注文できるシステム。
ここのは一杯8カペイカ(=約20円)。シベリア鉄道のはレモン付きだったのに、ここのは
なかなか溶けない角砂糖のみ。
写真をバチバチ撮りたかったけど同室の軍人殿に没収されたらかなわないので用心してあきらめる。

2泊目の夕食にレストランに行こうとイワンに誘われ、もう1人の青年軍人と3人で行ってみる。
すごく簡単なハムステーキが一枚だったけど久しぶりの暖かいお肉が美味しかった。
今までどんなモノ食べていたんだって?「はい・・
パンとチャイです・・」
おまけにですねぇ、イワンがごちそうしてくださるという。「ええ!?コ・困るわ。私多分あなたより懐は暖かいのに」
申し訳ないので丁重にお断り申し上げるのだけど受け取ってくださらない。その上
1ルーブル札を土産にしろと差し出す。
ええ〜!?あたしこそもう使わないから細かいカペイカ(ルーブルより小さい補助通貨)をあげようと思ってたのに〜。
そんなやり取りの後、厚かましくもご好意に甘えてしまった私。
おまけに彼が下車する時ずうずうしくも家への手紙まで託してしまった。(切手は貼ってありました、ご安心を)
お礼はペンだったか、ライターにしたのだったか・・・とにかく一本でごめんなさいね。そして快く引き受けてくださってありがとう。
おかげでウクライナのどこかから心配する家族の元に無事を知らせることができたわ。
もう一人の青年軍人も私が寝ている間下車していったけど、
6カ国語会話集から「
友人」という言葉を見つけて自分の写真の裏に書いて置いていってくれた。
なんだか感動してしまったので
この列車の印象は、
4時間遅れでハンガリーのデブレツェンに着いたことが少しも気にならない程良好だった。
そういえば、青年にはM&M`sの小袋をあげ、大変珍しがられたっけ。

ホルトバージプスタ

やったね!!こうのとりがいる

机の上のオレンジジュースがまずいんだ

ホルトバージプスタの名前に誘われてやってきたデブレツェン。ここで大平原の町ホルトバージ行きに乗り換える。
しかし、降りたとたんに文字は読めない、言葉は通じず、日本人は見あたらない。パニックを起こす私であった。
土曜日で両替所が開いていず、ようやく最寄りのホテルの場所を教えてもらってハンガリーフォリントを手に入れる。
その時背負っていた
バックパックは、なんと約20s。すご〜く重かった。
シベリア鉄道のみんなから半分送り返せとさかんに言われて続けて・・。
実際背負うの好きじゃない私もあまりの重さに耐えかねてショルダー式をリュック式に変えたっけ。
その後もちろんブダペストで次の落ち着き先まで送ったことはいうまでもない。
荷物は軽いのが一番よ。→わかっているなら最初からそうしなさい。→いえいえ、どれもなかなか捨て難くって。
重い荷物を背負ってかなり歩いたものだから、ぐったり疲れてやっかいな目的地までの切符売り場探しをあきらめ、
初日から
タクシーとばして目差すホルトバージに行ってしまった私はかなりの軟弱者。

でも着いた
大平原の夕陽はそりゃもうきれいだった。

ここでは下が居酒屋になっているHortobagyi Fogadoに2泊する。(上の2枚の写真)屋根にコウノトリの巣有り。
ヨーロッパといったらやっぱりコウノトリ。
英語さっぱりのおばちゃんだったがニコニコ大変感じのいい人でようやく落ち着く。
下で地元の人に混じってグヤーシュとパンをいただく。美味しい。さすが本場のグヤーシュ。
BGMはアコーディオンの軽快な音楽だったかなぁ。

残念だったことは新鮮なフルーツとジュースにあんまり出会えなかったこと。
ロシアで食卓に出た野菜といえば
山盛りのきゅうりとポテトくらいだったのでハンガリーでは
「さぞかしたくさんのフルーツにおめにかかれるだろう、美味しい生ジュースもごくごく飲めるだろう!」と
期待してたのに。
特に生ジュースはブダペストでもお目にかからなかった。当時は一流ホテルでのみ飲めたのであろうか?
どこでも目にしたのは上の写真のテーブル上にある
粉を溶いたようなまずいオレンジジュースだけ。


ブダペストは騒々しいけど涙が出るほど美しい都会だった。
イブス(国営旅行社)で紹介してくれた民宿に3泊する。
一泊$5×3日=$15。安いなぁ〜。4畳半くらいの洗面台付きの部屋。
チェックインした早々に、そこのおばちゃんから「ねえ、あんた$持ってる?」と
闇両替をせまられ仕方なくたったの$5だけしてあげた。
公定レートと大して変わらないよ、おばちゃん・・。
ここが見つからなくて苦労している時、すごい
好青年の医学生が助けて宿まで連れて行ってくれた。尤も私の方からお願いしたのだけど。
こんなことが一番印象に残っているドナウの真珠Budapest。
マジャールのかっこいい.あなたにだったら命預けてもいいわ・・


7:00ブダペスト発のバスで11:45ウィーン入り。とたんに物価が跳ね上がる・。
あまりの急激な物価高に驚き同日の15:04ウィーン発Orient Expressに乗りこみ翌日6:44パリ着。
パリも高いや。
そこからまた同日のパリ発マドリード行きのプエルタ・デル・ソルに乗ろうと思っていたのに生憎の
ストライキ
日本人駐在員の方に貼り紙を読んでいただいてわかった次第。
でも2度目のパリだったので、ちょっぴり余裕のホテル探し。
モンパルナスに1泊してルーブルを見学。
まだピラミッドが無い頃で目の前に開けてきたニケの像がとても印象的だった。
翌日、今度こそマドリードをめざす。

プエルタ・デル・ソル号は、さすがにスペイン人のお客様がいっぱいで姦しかったわ。
それにクシェットの一番上があんなに高くて怖くて不便なんて思わなかったわ。
荷物だっていつも上げてもらわなきゃならないし。上ったら最後って感じ。


マドリードは一応2回目なのと宿のおばさんに「お財布は気を付けるのよ。」と念を押されたのとで観光はそこそこにして、セゴビアに日帰りで行って来た。
念願の「
比類無き美しいシルエットのアルカサール」とやらをこの目で見なくては。
行く列車の中でRENFE(国鉄)勤めのおじちゃんに2時間しゃべられ放し。
スペイン語はわからないよと言っているのに。
ああ、いかにもスペイン。ここはスペイン。

アルカサールと水道橋とカセドラルの町セゴビア。なぜかカラスがとっても多いよ。


マドリードから南下してラ・マンチャはカンポ・デ・クリプターナに風車を見に行った。
風車が近づいてくると観光客ずれした子供達が写真を撮ってくれとワンサカまとわりつく。
「この住所に送って」と手渡された紙切れはあまりにお粗末な文字が書いてあったが、帰国後彼女に送ってみた。お人好しだったか。返事無いけど届いたの?

あろうことか、アルカサールの駅前一本道通りのスーパーで買い物をしてお財布を
レジに置き忘れてしまった私。
追いかけて届けてくれた店員さん。
こんなこともあるのよ、スペイン。
まわりはどろぼうだけじゃない。
うれしいじゃないか、スペイン。


でもそんな反面、カンポ・デ・クリプターナからアルカサールに戻るとき
あんまり電車の便が悪いんで道路を歩いて帰ろうとすると
お兄さんの車が「乗ってけ」と止まる。
「乗れよ、乗ってけったら」日本語でいうとこんな感じでどこまでも止まって呼びかける。
どうしたもんかと困った私はお断りして道路をはずれ線路伝いに歩き出す。
ここなら誰も来れまい。ついでに列車も来なかったりして・・・ローカルな線なのだ・・・。
抜けるような青空とアマポーラの花が絵のようだった。

でもすごく疲れた。誰のせい?ちょっとおせっかいだよ、スペイン






『スペイン一行感想文』
「世界で一番かわいそうなのはグラナダの盲人だ」
というのがうなずけるほど美しい町グラナダ。
雪を抱いたシェラネバタをバックにアランブラ宮はどこまでも美しく郷愁をさそう。

グラナダ

名残はつきないグラナダに別れを告げて列車に乗り込み、
夕暮れ時にようやくスペイン国境アヤモンテに辿り着く。
ここから河口まで歩いて行ってポルトガル国境アントニオまでフェリーで渡る。
スペインとポルトガルの南の国境はGuadiana河なのだ。

ポルトガル入りして船着き場からとぼとぼ歩いて駅に着くとまたまた何て事だろう。
明日から2日も連続ストなんですと。

一緒に歩いてきたメキシコ人達は駅で夜を明かすそう。
マニャ〜ナ」(明日)を連発してどうにかなるサ的な人々なんだなぁ、これが。
私は3日後にイギリス入りせねばならず、そのチケットもリスボンで探すつもりなのに。

そこで、もうリスボンは後回しにして、元来たルートを慌ててスペインに引き返し
とっぷり日が暮れた22:30にようやく国境アヤモンテのホテルに落ち着く。
翌朝、バルセロナに向かい目に付いた旅行会社に飛び込む。
長電話のお姉さんにイライラしながら、ハラハラしながら、イベジェットのロンドン行きチケットを
土曜日の閉店間際に奇跡のようにゲットして、その翌日機上の人となった私であった。


とんぼ返りのアヤモンテ


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