その8・完


学生向け旅行社でウィーンの民家を紹介してもらって1週間ほど滞在しました。
私はこの街が大好きです。観光客にとっては楽しくてたまらない街なんじゃないかしら。
見所が多い割にはまとまってあるので移動に時間がかからない、歩きやすい、トラムが充実している、かなり安全、コンサート三昧ができる、等々。物価が少々高いのが玉に瑕。

宿泊は観光の中心となるウィーンリンクから近いところをとお願いしてあったのでトラムで簡単に行けるところでした。
でも指定の場所で降りて探すこと15分。わからないんですよ、そのお宅がどうしても。
とうとう電話して迎えに来てもらいました。すると電話ボックスから約30秒、つまり目の前の広いお庭の家でした。
ドイツ語しかわからないおじいさんとおばあさんにお茶とケーキをごちそうになりながら、
今まで泊まった日本人から送られてきたカードやら写真やら見せられた(よくあるパターンで)後
案内されたお部屋はガレージの奥。
16畳くらいのスペースをペルーからやってきたベロニカとシェアしました。

ベッド、サイドテーブルと洗面台が1つずつ、大テーブルとシャワーは、共同。
これで1週間900シリング。朝食付き。安いでしょ。
ベロニカはリマからの語学留学生。リマでは秘書をしていてお父さんが銀行マンだとか。
なんだか境遇が似てる私達。

彼女もここの家主さん達も「日本人は、お金持ち」って
貧しい日本人の私に言うんですよ。
とある音楽学校なんて半数以上日本人じゃないか!って。
そのせいかどうか私にはウィーンの(特に)日本人女性はおしゃれしてる人が多いな〜と思えました。
ちょうど音楽会シーズンに入ったためか、はたまた旅行者が少ない季節だったってこともあるでしょうけれどね


そんなこともあってコンサート三昧を理由に
馬子にも衣装とついついスーツなんぞを買ってしまいました。
独特のダークグリーンが気に入ったので。

ついでにフリフリレースのブラウスなんぞも買ってしまったのですけどその後なかなか着る機会に恵まれませんでした。
豚に真珠、猫に小判とはまさにこのこと。

一泊190 OS,一週間割引で900 OSですから、それなりなんですの・・。
ポスター貼ったのも私じゃありませんよ。
シーズンだったので毎晩コンサートに出掛けました。
ある晩の確か学友協会ホールだったと思うんですけど私がお世話になった旅行社のお兄さんにばったりでくわしました。
人のお世話しているうちに「もう一度」と思い立ったって来てしまったと。わかるなあ、その気持ち。

ブルクシアターでマクベスを観ていた時、隣のおじさんとおばさんに「ドイツ語は出来るのか?出来ないと何をいっているかわからないだろう?」と言われてしまいした。
それって場違いってこと?と思って悲しくなりましたが
「シェークスピア劇は知ってますから」と負け惜しみを言ってしまいました。
マクベスが好きなのはホントですが実際さっぱりわからなくて情けなかったな。
でもそのおばさんはご親切にも「こちらの方がいい席よ。」とご自分のシートと交換などして下さりかえって大変申し訳ない気分になりました。
見栄張ちゃってすみませんでした。


これは美術史美術館とマリアテレジア像を挟んで対に並んでいる自然史博物館です。
なかなか展示物はバラエティに富んでます。
同じ造りの向かいの美術史美術館は中身が濃くて威厳があってヨーロッパで一番好きな美術館です。

黄色のシェーンブルン宮殿も中身が豪華絢爛でハプスブルク家の目映いばかりの栄華が感じられます。そして何より宮殿の庭に進む時、遠くの丘の
グロリエッテ(凱旋門みたいなのです)が見えてくる瞬間がとてもいいのです。

ウィーンは見所一杯それもまとまってあるので散策しながら見て回れます。
ちょっと足を伸ばしてベートーベンのハイリゲンシュタットや、ホイリゲの集まるグリンツィンク、出掛けていると1週間なんてあっという間でした。


チターの調べが聞こえて来ませんか?ウィーンの共同墓地の並木道です。
さすがに楽聖のお墓を撮ったりという気は起きませんでしたけど「第三の男」のラストは撮ってしまいました。ええ、紅葉が美しかったので。

プラターの観覧車も乗ってみました。思ったより早く動くんですよね。
そして一度にたくさんの人が乗れるんです。
でもただの大きな箱だったのでちょっとびっくりしました。
私は、高いところが大変苦手で、小さい頃東京タワーでさえ、窓に近づくことはできませんでしたが
この旅行では結構いろいろ意を決して昇ってましたな。
列車の窓から幾度と無く目にしていたホーエンザルツブルクの姿が、「おお!やって来たぞ!」という気にさせる
そのザルツブルクの街にようやく降り立つ事が出来ました。
そろそろ2枚目のユーレイルパスの期限が迫ってきているのとお金が底をつきだしたのとで
ミュンヘンからウィーンそしてここでも帰りの航空券を当たり始めました。

どうしても片道は高くつくので、どの旅行社の人も「往復で買いなさい。」と言うのですが
その時の私は復券で日本を再脱出しようなんて考えられなくて、とてももったいない事をしたと思ってます。
結局、学生旅行社でアエロの東京行きが一番安く9万程度だったのでそれに決めました。
もちろんあの頃のどの往復チケットより安かったんですよ。


ザルツブルクの街並み

郊外にある水の宮殿ヘルブルン
モーツアルトの生家があるゲトライデガッセ、山の上のホーエンザルツブルクの城塞のような堅固な姿。
ちょっとバスで郊外に足を伸ばせば水のしかけが面白いヘルブルン宮殿等、なかなか楽しかったです。
エアチケットもたくさん当たってみたので、とにかく毎日歩き回ってました。

左上はザルツカンマーグートのアルターゼーです。
可愛いSLで行ったのですが、いかんせん時期はずれで観光客といえば小数の乗客のみでした。
曇り空でおまけに霧が出ていて遠くの山々まではわかりませんでしたが湖はとても美しいです。
土地の人もとても暖かでよく話しかけてくるんです。おかげで退屈せずに散歩が出来ました。

SLの乗り換え駅付近で、コーヒーを飲んだお店に手帳を忘れたままICに乗ってしまい、
仕方なく次の駅で折り返して取りに戻ったところ、
おじさまがドアを開けたらニッコリしてくれて「私のノート知りませんか?」
って言い終わらないうちに
「これだろ」ってカウンターの奥から出してくれました。

こんなささいな事にうれしくなってしまう私でした。おじさん、ペラペラめくってその奇妙な文字にびっくりしたでしょうね。

右上写真はヘルブルン宮殿の動物園にいた木の枝にぶら下がっているだらけた黒豹です。
ネコ科の動物が
4本の足をだらんと枝から垂らしたまま休む姿なんてとても珍しかったのですが野生の豹もするんでしょうか。

この後インスブルックに向かいイン河の
白味がかったペパーミントグリーンの流れにいたく感動して葉書を書いたのを覚えています。
インスブルックのYHはガイドにとてもきれいと紹介されていただけあって、ドミトリー形式でしたが新しくて清潔でホテルのように快適でした。

その後前ページのようにドイツやスイスを回りようやく一人旅最後の町ウィーンに戻ってきました。
ラストくらいはユースでなくペンションにしました。ホテルじゃないんですけどね。
トリプルの部屋をシングルユースにさせてもらい、おまけにリンクの中で・・結構良いところでしたよ。

最後の日は大好きなクリムトに「また会おうね」のご挨拶。

Der Kuss


Bildnis Emilie Fio:ge
私って外国人の熱いキスの絵や彫刻が好きなんです。様になっていて美しいんですもの。
ウィーンのシュベヒャート空港は噂通り小さくてボーディングゲートからバスに乗って機内に乗り込みました。
「さらばウィーン、さらばヨーロッパ」ととってもセンチになったけど久しぶりに日本の友達に会えることも楽しみなことは事実でした。
噂ほどアエロフロートは悪く無いじゃないか飛行時間だって短いし安い分だけ良心的ではないか、などと思ってみたり。
そしてあの頃、座席は確か自由席だったように思うんですよ。早い者勝ち。でも焦って乗り込むほど混んでいないという。
モスクワへのランディングはとても上手で滑らかでいつ地上に着いたかわからなかったくらい。拍手喝采。
ウィーン→モスクワの案内は独・露語だけだったのに東京行きは、英・露・日語のアナウンス。
ちょっと幅をとる貫禄のアテンダントのおばさん早口日本語だけど、なかなか上手だったわ。



帰国便を知らせる葉書と同時に家に着いたので出迎えてくれたのは びっくり顔の祖母と母と
何より愛しいこの子でした。忘れずにいてくれてどうもありがとう。

母:あんたったら、苦労してすっかり痩せて帰ってくると思ってたら
  なんだろうねぇ、そのまん丸の顔は。

そうなんです。
イギリスのフォードさんちの貧しい食生活から
お菓子への依存癖がすっかりついて、あの4週間で風船体型への一途を辿り
おまけにノルウェーのお家で毎回食べた
極甘のバターとジャムとチーズのトリプルサンドのおかげで、それに拍車を掛けてしまいました。

旅行前と旅行後とでは、10s違った私でした。
人生最大級の重さだった時のお・も・ひ・で

食生活は体型を変えまする・・。


    後記
何だかあっという間の7ヶ月でした。
終えてみて1日や2日で移動するなら私には2週間が丁度良いかな、って感じです。
移動ばかりが続くと体力無いせいか疲れてしまって1カ所に落ち着きたくなってしまいます。
7ヶ月のうち結局3ヶ月余りはホームステイをしてましたし1ヶ月くらいはツアー仲間や友人との旅行でした。
一人も気ままで楽しいですが連れが出来るとそれはそれで、また違った喜びに出会えますね。
この若い頃の旅行は本当に新鮮でいい経験でした。

またやってみたいですけど10年以上ったてしまった今は昔のようにはいきません。
責任とがっちりしがらみがありますしあの頃みたいにパワー無いですから。
おまけにちょびっとですけれど贅沢になってしまいましたしね。

私がここでおしゃべりしたことはもうかびが生えてますから全然情報じゃありません。
情報は生ものです。鮮度が命ですもの。だから実際のお役に立てなくて申し訳ないです。
でもこんな自己満足の思い出話につき合ってくださった方本当に有り難うございました。

あなたのこれからの旅行が素晴らしい物になりますように・・。                       月子


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いつか、言ってくれないかな・・。
と。