ヨーロッパひとりたびその7
旧西ドイツ〜スイス〜イタリア

ワイマールからようやく西ドイツに向かいました。
実は今更ですが
念願のドイツでした。
小さい頃クッキーの缶でノイシュヴァンシュタイン城を見てから
ずっと行ってみたい国の筆頭だったんです。

 記念すべき最初の一歩をどこから踏み出そうかと考えた末
学生の街ゲッティンゲンがいいのではないかと思って降りてみました。
思った通り雰囲気がいい。
本屋さんがたくさんあって店番もアルバイト風な人が多く活気がありました。
八百屋さんでオレンジを買うと
お兄さんに「ドイツ語勉強しているの?僕もなんだよ」と聞かれ
思わずJa! とニッコリうなずいてしまいました。
そうよ、私もドイツ語を習いに来てるのよ」そんな気分にさせる町でした。
今から思えば本当にそうしてしまいたかった。

写真はこの町のシンボル「ガチョウ飼いの娘リーゼル像」です。

Hotel Kaiser Worth
翌日、魔女達が集まるというワルプルギスの夜の舞台を感じたくてハルツ山地のゴスラーに出掛けました。
古い木組みの家がたくさん残るこの町はちょっとした観光地です。
ここに来るまでの間、電車の中で12カ国語を話せるという(ちょっと眉唾?)おじいさまと一緒になりました。
残念ながら日本語はダメとのことでしたが、少し日本語のことを話すと的を得た答えをするんです。
「コンニチハ」
のニチは日だというと、日々新聞(古い!)は、everyday 新聞とでもいうのか、とかGod は、神だと言えば、すぐ「おお!カミカゼ!」って出てきたり終いには、「第二次世界大戦では、同盟国だったな!」と言い出す始末。
本当なんですね、古い人たちにそういう感情が残ってるのはと実感した次第です。
ゴスラーに泊まりながら隣町の温泉保養地バートハルツブルクに足を伸ばしました。
ケーブルカーに乗って山の中腹まで行くとハルツの山々の広がりがよくわかって、おまけに美しいオレンジ色の紅葉が魔女達の集いなんてみじんも感じさせませんでした。

左は近くにあるメルヘンワールドの入り口と白雪姫の展示。
子供だましのようなささやかな物だけど童話好きな私には、結構な娯楽でした。
コーナーに近づくと人形達が動き出す仕組み。

午前中ゴスラーを出発してレーゲンスブルクに夕方着。

池田理代子作・「オルフェウスの窓」より

 ふるさとは 繁き緑に安息し
 ふるさとは かぐわしき花の香に満ちる
 ふるさとは 豊かなるドナウにたゆたい
 ふるさとは なつかしき鐘の響きにふるえる
 ふるさと・・わが心のレーゲンスブルク

と、こんなイメージのまま憧れの地に降り立ちました。

ドナウが流れるこの街は、想像通りの落ち着いた歴史を感じさせる古い町でした。
石畳の道をえっちらおっちら歩くこと20分位だったでしょうか、河を渡ってようやく着いたユースでは、なんとゲストは数えるほど。
6人部屋に2人だけ。
次の晩は、とうとう1人きりになりました。男女別だったのが救い。
こうなるときれいな施設も余裕で使えるし一人1000円は、安い。
夜になると、余分な照明は消されるので大きなユースが肝試し会場のようでした。
こんなに閑散としていても閉めないのね、と驚いたものです。


日曜の朝、ミサに参加してレーゲンスブルク少年合唱団の声をドームで聴いてきました。
言い尽くされた表現ですが心が洗われる感じというか吸い込まれそうな歌声でした。
左はレーゲンスブルク郊外にあるヴァルハラ神殿。19世紀建立らしいので歴史は無いけれど中には主にドイツの偉人達の胸像が並んでいます。
この胸像も,結構お粗末に感じられる物まであってなかなか面白かった。
A.シュティフターが一番シンプルな造りだとかベートーベンには、変な色気があるとか言いたいこと書いてあります。
ビスマルクもあったそうなので本当に新しいんですよね。 注)私のメモ帳より


ここからはドナウの眺めがとてもいいんです。
行きは、バスを使いましたが帰りは紅葉の葉っぱを踏みしめてのんびり歩いて帰りました。
あと船という手もあります。但し季節問わずかどうかはわかりません。


この後、ウィーンにてホームステイを1週間、ザルツブルクに5日間ほど滞在し、再びミュンヘンに戻ってきます。

美術館ノイエ・ピナコテークや
ルードヴィッヒUの城ヘレンキームゼー(湖の中にある城で 地下から出てくる王の食卓が有名です)などに足を伸ばし、
その後バイエルンのハイライト私のクッキー缶のお城を見にゆきました。


ノイシュヴァンシュタインの外観は、あまりにも有名なのでパスさせていただきますが
その窓からの贅沢な眺めと
さらに山を登ったところにあるビューポイントのマリエンブルックから下を覗いて足が震えた眺めを載せますね。
お城内部は、激しい豪華さに辟易しますが、ふと窓の外に目をやると癒されるとでもいいましょうか。溜息が出ます。
お父様の城といいこの城といい建立した場所は大正解でしたね。
皮肉な事に当時の莫大な浪費が今では貴重な観光収入源となってますし。


ノイシュヴァンシュタインの窓から

マリエン橋の下、川は流れる

王が慕っていた従姉
オーストリア皇后エリザベト
映画では、故ロミー・シュナイダーが
好演してました。

バイエルンは、バスで転々としました。
いつもバスに乗りあわせる旅行者は同じメンバーだったりして笑えました。
この時顔を会わせてお話しして住所交換しただけなのに未だにクリスマスカードのやり取りが続いているメキシコの女の子がいます。
お互い「きたら寄ってね」と書いてますが実際今会ったら絶対わからないだろうな。

翌日、オーバーアマガウに滞在し映画「神々の黄昏」の城を制覇しようとリンダーホフに行きましたが・・・ダメですね、この時期は。
先に行ったヘレンキームゼーもそうでしたが庭の飾りはほとんど雪囲いをされて大変寂しい様相を呈してます。
もちろん一番人気のワーグナーの世界が広がる王の洞窟も閉まってます。

その後ヴィース教会などを見ながらミッテンバルトに進みました。

私がバイエルンで立ち寄った中で最も気に入った可愛い村ミッテンバルトです。
バイオリン製作のマティアス・クロスで有名なんだそうで彼の銅像やバイオリン博物館もあります。
家々の壁は美しいフレスコ画で飾られています。澄んだ川が流れています。
マスがいました。

村からは、近くの山頂までロープウェーが出てまして昇ってみると左上のようなパノラマが広がります。
落ちそうで恐かったけれど雪の山頂を踏みしめてとても清々しい気分でした。
今でもあの時の私が、何を想っていたのか鮮明に思い起こせる銀世界です。
だからきっと一番気に入っているんでしょう。
11月のことだったのでたくさんのペンションが閉まっていて宿探しにはちょっと大変な思いをしました。
ようやく見つかったのはガストホフで1泊35DMでした。
何もないけど清潔な感じが好感持てました。
すぐ上の写真はこの部屋の窓から撮った写真です。
毎日こんな景色で目覚めていたら心が平和にスタートできるような気がしませんか。

「山はいい!」と感激してスイスアルプスも見ることにしました。
まずは、ベルンYHに宿をとりそこから日帰りでアイガー、メンヒ、ユングフラウに出掛けました。


アーレ川
ベルンはスイスの都市にしては珍しく 湖に面していない、アーレ川と良くマッチしたしっとりとした印象の街でした。
でも決して田舎くさくなくて首都に住むんだったらここがいいなと思いました。
(あくまで観光客的感想です)

アーレ川には小魚がたくさんいました。

ところでベルンは一応ドイツ語圏ですが、お店の人(だけかな?)はありがとうをメルシーって言うのですね。チューリヒもそうでした。ダンケより上品そうだから?

アイガー・メンヒ・ユングフラウ


スイスの登山鉄道は、ユーレイルパスが使えないし高価なので予算の無い私は、
終点ユングフラウヨッホまで行かず麓のクライネシャイデックで山々を仰ぎ見ることにしました。

でもどうしてどうして好天に恵まれたいそう美しく見えました。
特に夕暮れ時。下のグリンデルワルドが霞んで見えます。
沈みゆく太陽はことさら美しくて。
同じ日本人の連れも出来たので何時間くらいその辺りをプラプラしたでしょうか。
ハイジの世界ってものいいものだと心から思いました。


その後、スイス観光は 銀行ばかりのチューリヒ、ジュネーブ、ルツェルン、モントルーで終わりにし、今度はイタリアを目指しました。

スイス国鉄は何も言わなかったのにイタリアの国境を越えた途端予約料ですって。2,700リラ(当時約270円)也。
額ばかり大きくて実は全然大したことないのですが この違いはなぜでしょう。
国境を越えるとそれまで仏・英・独の順に流れていた車内アナウンスが今度は、伊・独・英そしてしばらくして仏語の順番に変わりました。
スイスも仏語・独語圏によってアナウンスが違っていましたど、国境越えるとまた違って面白いなぁと思いつつ
ミラノを控えてこっそり
2度目の胴巻き(1度目はスペイン・笑)をした私。

手始めに「最後の晩餐」が見たくてミラノ中央駅に降り立ちました。
しかしなんと目指す教会に着いてみると1時間前に閉まっていたのです。
大体、閉館が、1:15なんて誰が思うでしょう。気まぐれなイタリアンタイムだわ。
そもそも最終時間確認をしなかった私が悪いのだけど日曜日でもせめて3時までやってよと、
自分勝手な私は大変恨めしく思ったものです。
さらなる不運は翌月曜が休館日だってこと。こんなところだけ他国並なんだもの。

おまけに街を歩くとチャオチャオ攻撃。
イタリア人男性は手当たり次第に女性に声を掛けるのが義務?もしくは礼儀?って思ってるって本当なんだわと、
情けないけど免疫の無い私は余計疲れたのでした。
それから大変恐い思いもしまして駅前のホテルに戻って早々に寝込んでしまいイタリアはまたの機会にと
翌日ドイツ目指して北上してしまいました。

でもミラノ中央駅は博物館のような立派さで「この国はちょっと違うぞ」という気にさせたのは本当です。
重い歴史と文化と南国の明るさと陽気さがあるとても素晴らしい国だと思ってるのも本当で
あの男性軍を扱える
イタリア女性はえらい!と思ってるのも本当なんです。

イタリアから戻ってまず降りたのはドナウエシンゲンという小さな町。
この町にある上の写真の泉も数あるドナウの源のひとつだそうです。いかにも「ここからドナウは始まる」みたいな気がする澄み切った水でした。
この合流地点からドナウ川になるそうですが出典不明、何を見てメモしてあるのでしょう?
実際土地の人がそう言ってたのかな。


故郷フランクフルトの美術館にあるゲーテ

マールバッハ/シラー国立博物館

ハイデルベルク/カールテオドール橋と城を望む

 学生の街というとやっぱりミーハーな私はハイデルベルクもはずすわけにはいきません。
でもですねぇ、観光地なんですよね。こちらは。当然日本人も多くて学生牢のノートの1/3位は日本人の名前でしたよ。
夜、ユースで一緒になった日本人の女の子と行動を共にして学生酒場と言われるところにも行ってみました。

将来うちの息子留学してくれないかなあ。お母さんはまたあの気分を味わいたいです。(母の夢)
 
遠き国より はるばると ネカー川の なつかしき
  岸にきませる わが君に 
                    今ぞささげん この春の いと美しき はなかざり』
   マイヤーフェルスター「アルトハイデルベルク」

そんなこんなでこの後はハイデルベルクのYH,シュトゥットガルトのYHに何日か落ち着きそこを拠点に
ラインの景色を眺めつつ、ケルン、ボン、フランクフルトに足を伸ばしてドイツにおさらばしたのであります。
でも本当はライン沿いの小さな町で最後の夜は過ごしたかったな・・ワイングラス片手に流れを見ながら、・・うぷぷぷぷ。



そんなにうまくいくわけないのですけどね。

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