ヨーロッパひとりたびその6
旧チェコスロバキア〜旧東ドイツ

チェコへのビザはウィーンで取りました。
チェコ大使館の受付は11時まで。時間をちょっとでも過ぎるともうアウト。
カーテンをササ〜ッと閉めてしまう。大変シビアであります。

一日目は容赦なく時間切れで取れず、翌日もう一度申請用紙に記入して提出。
出来上がりを知らせる受付番号の呼び出しはドイツ語ゆえ 
聞き逃したら後回しになるんじゃないかとハラハラ・ドキドキして待つ。
約2時間じっと辛抱してようやく取得。

長年のあこがれの百塔の街プラハ。
ミーハーな私はカレル橋の上で劇的な再会を演じてみたくてイギリスで知り合った友人を呼び寄せました。
なんて美しい街でしょう。たゆたうモルダウ。プラハ城の遠景。「
ああ来てよかった」Part2でした。
このころは入国時に
強制両替というのがありましてビザの滞在日数分コルナに両替しなければなりませんでした。
私は、5日分のビザをもらっていたので
$18×5=$90は必須でした。


  
入国した日に書いた手紙を打ってみます。
ほとんど自分用ファイルですから適当に読み飛ばしてくださいね。
ウィーンを出た列車はプラハ本駅に1時間10分遅れで到着。
東ドイツの車両で今時珍しい
ゴワゴワ、ザリザリのトイレットペーパーを使っていた。
列車は東欧にしては珍しくがら空きで9:30発で16:30着のこの間コンパートメントに私はたった一人で乗っていた。
オーストリアからチェコに入った時、家などの風景はガラッ変わるものではないけれど国境には
有刺鉄線がはりめぐらされていた。
延々と続いてる。私は、川が境界かと思ってたけど違うみたい。
 
 オーストリア国境のパスポートコントロールは至って簡単。
私のコンパートメントに明るく「グーテンターク」(グリュースゴットじゃなかったんですよね、なぜか)で入ってきて「またウィーンに戻るのかい?他にどこにいくつもり?」とか余分な事まで話してく。

 それから列車はのろのろとボーダーを越えチェコ側の国境駅に入っていく。
まずパスポートコントロール。別に怖くは無いけれど、まじめな顔したおじさんがパスポートに判を押す。
おじさんが出て暫くすると若いお兄さんが来て部屋の外へ出てくれと言う。
座席の下とか棚の上とかちょちょいと検査する。何にもないから端から見てると実にこっけい。
次に今度は別のおじさんが来て所持品検査をする。
私は未だかつて荷物の中身を調べられた事はない。
今度も「カメラは?ラジオは?ウオークマンは持ってるか?」と口頭質問だけ。私全部持ってる。でも問題なし。
そして最後にチェコのコルナは持ってないねと強く念を押され終了。
実は昨日ウィーンでコルナと東独マルクを買っておこうと思ったのだけど時間切れで出来なかったのだ。
東欧は自国通貨の持ち込み持ち出しは厳禁なのだけどウィーンでは公然と東よりいいレートで売っているそうだから。

さて最後に来たのは強制両替のおばさんたち。

本当は$90でよかったのだけど$100札しかなかったもので、それを差し出し792コルナもくることになってしまった。
使いきれるかな?トラムもメトロも全部1コルナなんだよ。
物価は安いし部屋で食べる分には100円あればいいくらいだもの。
とにかくこうして全部で5回の係員にお世話になってようやくチェコ入国。
あの列車、ベルリン行きなんだけど、いったい何時間遅れで着くのかしらね。
 
本駅を降り立ってさびれた道を歩くこと15分。若者向けの宿泊斡旋所(CKMだったか?)に行く。
辿り着いたら「フル!よ。他の紹介所に行きなさい。」とお姉さんが地図を開いていちいち通りの名前を3つも4つも書き込んで行き方を説明してくれたので、その親切に感動していると、あらま説明が終わったらその地図を引っ込めてしまったではないか。
ああ
この国は地図もただではくれないんだ。
に今の長い説明が覚えられるわけないじゃない。

あきらめて「
歩き方」の極めて簡単な地図をたよりにもう少し近そうなチェドック(国営旅行社)に行く。
5人ほど人がいて待つこと5分。
私「あのう、ホテル紹介して欲しいんですけど・・」
お姉さん「あなたドイツ語かフランス語出来る?」
私「Nein」
お姉さん「じゃあ、あの人空くまで待って」待つこと10分。
手すきになった別のお姉さんにさっきと同じ事を言う私。
お姉さんU「All hotels are full,sorry.」ですって。
sorryがあるだけまだましなのか。でもひどい。
「じゃあ、他の紹介所に行けばあるでしょうか?」しつこく聞く私。
「I don`t know.」すごい官僚的冷たさ。
そのうち閉店時間になったらしく窓口にはカーテンがササーッとひかれてしまった。
どうせこんなことなら旅行ドイツ語でトライしてみればもう少し早く事実がわかったのにな・・・ブツブツ。

途方に暮れた私がトボトボとチェドックを出てくると待ってましたとばかりにタクシーのおじさんがやってきて「
$10くれるならホテルにただで連れて行ってやるし、2泊分交渉してあげる」と持ちかけてきた。
ギョッ、きっと
闇両替してくれって後で迫るんだろうな〜、と思ったけれどあんまり疲れていた私はそれも仕方あるまいと話に乗ってホテルを斡旋してもらいました。
案の定ホテルのフロントと話をつけてくれた後、$50を1000コルナでどうかという。
ハンガリーのフォリントは強いので闇両替のメリットはたいしてなかったけどチェコのコルナは公定レートの4,5倍ともいわれてたので、この言い値はちょっとボリ気味。
とにかく早くチックインしたくて、あっさりOKしてしまったけどおじさんに美味しい思いをさせてしまって後の旅行客に迷惑だったかな。
 

と、こんな手紙を書いた私は当時の状況を切に訴えたかったんでしょうね。
読んでくれた方お疲れさまでした。そしてどうもありがとう。
あの頃の東欧のガイドブックって僅かしかなく中でも「歩き方」は行動の仕方が書いてある頼もしい本でした。
初版本を切って持って行ったので今手元にはありませんが、もう一度読んでみたいです。
ウィーンでチェコのビザを取ればいいという発想を教えてくれた「歩き方」に感謝してます。 


チェコと東ドイツは友人と行動を共にしました。一緒にいて楽な人だと良き道連れになります。
食事もホテルも安上がりでグレードアップできますし
といっても当時のチェコや東独はホテルは原則的に自由には選択できませんでした。
東独などはホテルバウチャー無しにはビザが発給されなかったはずです。
 プラハがあんまり素晴らしいのでビザの延長をしに行くとたっぷり半日かかってしまいました。
ビザ待ちはすごい行列でしたよ。

そういえばプラハの地下鉄で警官に捕まってしまいました、ハハ。
切符はいつもしっかりパンチして乗っていたので検札官に堂々と見せると、
「ダメだよ、
ペナルティ100コルナ!」なんて言うじゃありませんか。
私に落ち度は無いと確信しているのですごく憤慨して、
「これのどこがいけないのよ!」と分からない言葉で応戦すると延々と説明を始める警官。
「じゃ、ポリスに行きましょう」と私も後には引けず派出所で再度説明を求めたのであります。
「よく、見てご覧」と渡された私の使った切符をもう一度見てみる・・、とやってしまってました。
使用済み切符を再使用してました。裏にも表にも時刻が押されているじゃありませんか・・、あらら。
仕方がない、私の負けだわ・・、と100コルナも払う羽目になりました。
あそこでインクが薄いから気が付かなかったとか、もっと主張していたらどうなっていたかしら?
私、回数券で買っていたから未使用切符は、まだまだたくさんあったのよ。
でも使用済みを同じポケットに入れておいたのが間違いだったわ。とんだ赤っ恥。


ヴィシュフラド
モルダウを見下ろす高台に
ヴィシュフラド墓地があります。
スメタナやドヴォルザークが眠っています。
写真はためらわれたので
私ったら、どこかでコーヒー飲みながら思い出してイラストを描いてみたらしい。
メモをアップするに当たり実際の本の写真と見比べてみると全然違うじゃない。
記憶力有るんだろうか私。

で、アップできないわ。

コノピシュツェ城 中は剥製のオンパレード



この後プラハ郊外のコノピシュツェ城と現在のスロバキアの首都ブラチスラバに一泊。
ブラチスラバは物価が安くて近いせいかウィーンから人々が来ているらしく 買い物客が多かったような気がします。

その後ベルリンを目指します。
本当は列車の中でビザを取ってドレスデンに降りたかったのですが、本の通りには行かないものですね。
許してもらえず西ベルリンに行く羽目になったと言うわけです。


東ベルリンから見たブランデンブルク門

西ベルリンではチェックポイントチャリーとフリードリッヒシュトラーセの2つのポイントを往復して一日ビザで東ベルリンへ1日観光してきました。
東のブランデンブルク門には近づく事ができず遠目に夕陽の沈む美しい姿を見ました。
と同時に壁一つでこんなにも違うものかと街の表情を見て思いました。
本当に全然別の世界なんです。違う時代みたいな。
空気も違う。友人が西ベルリンはアメリカ的だと言ったせいか、よけい東側が重々しかった。
 その後
東独観光のビザホテルバウチャー(これが西側向けのホテルなのでけっこう高いんですよ、よって3日分に止めておきました)を取得後、
マイセンからドレスデンに進みツヴィンガー宮殿で小学生の時図書室で見た美しい顔のマリア様
念願のラファエロの「
システィーナのマドンナ」が見られて大満足でした。
これも友人の助けがあったからです。ありがとうね。

ドレスデン 

システィーナのマドンナ




 ドレスデンでは、宿泊ホテル リリエンシュタインの横にスーパーがあったので行ってみると
なんとそこに
森永充填パック豆腐と日本酒のワンカップ(ひょっとしたら、ブリックパックの大関だったかも)が売ってました。
それからドレスデンの駅には
自動切符販売機がありました。とても画期的でした。
それを見た友人が「
腐っても東独か」って言ったのが印象に残っています。
失礼な言い方で申し訳ないですけど。


エルベ河は遠くハンブルクまで流れて北海に注ぎます。
それだけで旅情がかき立てられてしまう。



これは多分ドレスデンのブリュールのテラスからエレベ川の眺め。でもマイセンかも知れないんです、スミマセン。
とっても見晴らしの良いロマンチックな高台があるんです。
なぜかカップルは皆無でした。おばさんたちがペアで休息しているくらい。
時間帯もあるでしょうが旧東欧で、西欧並みのラブラブなカップルを見ることはほとんどなかったのです。


 ゲーテの家を見にワイマールにも行ってみました。
小さくて見所のたくさんある町でしたが素朴な感じでした。
その素朴さが統一後行ってみると・・すごい!早速ベネトンがここにも進出してました。
町全体があか抜けちゃって
前に泊まったホテルエレファントもすっかり様変わりしてしまってバスロープがついていたりして、驚きました。


ホテルエレファント・統一前


BACK TOP NEXT BBS