スペイン旅行3(完) モンテフリオ・コンセグラ・セゴビア・アビラ・マドリード

グラナダからトレドに向かう途中、白い町を見るため、あえてローカル道を走りました。
くねくね道を気分悪く1時間半ほど走り抜けると突然視界が開けモンテフリオの町が見えてきました。
小さなこの町(村)は道が狭くセンターなんて走ろうものならすぐ立ち往生してしまうのでした。
よって丘の上までは上らずアイスを食べて路地を散策したのみです。
茶色の大地とオリーブ畑に囲まれたモンテフリオの白い景観は、まるでレゴブロックのようなおもちゃの世界でした。

アンダルシアの高速沿いで特に目にした牛の影。この牛の看板は何を意味しているんでしょう?境界というわけでは無さそうです。 ・・・どうやら近くにレストランがあるという印らしいです。このページをアップ直後に在欧の方から教えていただきました。



オリーブの実は木の下に網を広げ棒で幹を叩いて落とすという方法で

収穫されていました。これって一般的?
迷いながらもなんとか昼過ぎには交通の要所ハエンに到着。
バルに入りTortillaトルティーリャ(スペイン風具たっぷりオムレツ)の昼食。重たい鍵を借りて外のトイレに行くのが面倒だった。

さて、今夜の宿泊地はトレド。途中、日没までに写真集で魅せられたラ・マンチャのConsuegraで風車見物をするのも目的の一つ。
そして4時少し前だったでしょうか、どうにか風車群に到着、目標達成。


コンセグラの風車群
丘の上には風車が並んでいます。その隣にはこの地方にはよくある古城。
当然風が強いです。コートを脱いでいたので寒くて震えてしまいました。
尚言わせていただくと 
空はもっと青い方がいい
時間的に遅いのか、冬季休業なのか この時、観光客は皆無。 実際は土産物屋さんになったり中を公開したりしているらしい。

★付記★ 2003年11月16日
このコンセグラはサフランの町として有名で毎年10月の最終日曜に(あら、ちょうど夏時間が終わってからですね)サフラン祭りが開かれるのだそうです。
サフランの開花期間は約2週間。香辛料を得るために家族総出で花を摘む姿は、思わずみている方が腰が痛くなりそうな・・・、だって想像してみて下さいよ、広大な畑一面に咲いているクロッカスみたいな丈の低い花を根気よく摘んでいくんですもの。  と、2003年11月16日 放映の「道浪漫」を見て思ったのでした。

日もとっぷり暮れてようやくトレドに到着。 パラドールは旧市街を望む高台にあったので判りやすく、迷わずチェックイン。

対岸からトレド旧市街を望む



直接予約の電話をしたら、満室だと断られたので在蘭日系旅行社にお願いしました。
月「すみません、パラドールの予約をお願いしたいんですけど・・。」
O氏「はいはい、グラナダですか?トレドですか?」

おお、いかにも日本人が多そうではないか。
確約は出来ないといいつつも見事取ってくれました。
大変気持ちの良い部屋とロケーションでしたが、案の定日本語はよく耳にしました。

中世の町さながらと絶賛されるトレドの「スペインの鼓動が伝わる」(by T.モリーナ)旧市街に繰り出しました。
古い街並みがそのままに残るトレドですが、丘の上にそびえ立つアルカサールはスペイン内戦(1936-39)で破壊され,戦後に再建された物だそうです。
まだまだクリスマスのイルミネーションが残っていてイエス生誕の物語も広場に飾られ、賑やかにサンタを乗せた汽車まで走っておりました。でも一歩石畳の狭い路地に入ると金物細工が軒を連ね昔を偲ばせるのであります。
このすぐ脇を流れるのがRio Tajo、タホ川ですが、これがポルトガルに入るとテージョ川と呼ばれ遠くリスボンの海に注いでいるのです。
そんなことをぼんやり考えながらアルカンタラ橋に佇むとそのまま思いは流れに乗って人々が可能性を求めて大西洋に旅立っていった大航海時代にまで遡れてしまうのでした。これも何やら謎めいた町トレドの魔法かしらね。

この時も駆け足旅行で翌日はなんとマドリードを越えてセゴビアまで行ってしまうのでありました。


セゴビアのアルカサール

アルカサールの窓から望む
この写真、レタッチで煙らせたわけではありません。霧雨が降っていましたので霧で霞んでいるのです。
幻想的な風景でした。私はこういう寂しげで、どこか現実から離れて記憶のページに誘い込まれるような朧気な情景にたまらなく惹かれるのです。まるでタルコフスキーの「ノスタルジア」の回想シーンのような。

セゴビアには大きな広場にかかるトラヤヌス帝時代に建設された(87-117)全長813m、最高所約30mという堂々とした水道橋があり、旧市街と共にユネスコの世界遺産に指定されています。
カスティーリャ地方は豚の丸焼きとガーリックスープが有名です。
丸焼きは食べませんでしたがスープはいただきました。こってりニンニクが入っています。温まります。私が役に立たないので2人で1Lのサングリアは飲み切れませんでしたが、持ち帰りたいほど美味しかったです。

セゴビアから城壁都市アビラヘ


アビラの遠景
全長2.5qの城壁で囲まれた難攻不落の城塞都市アビラも世界遺産指定の町。
この夕暮れ時の写真で町の全景がわかるでしょうか。
1515年スペインで親しまれている聖女テレーサがここで生まれ、いくつもの修道院を建設したことから、カトリック信仰の町としても有名です。
カテドラルだけは見学できて、あとは町の小道を散策しました。
ここで買ったお皿とサングリア用のピッチャーは年に1、2度活躍します。
とっぷり日が暮れ雨と霧の中、高速をマドリードに向かいました。恐かったですよ、富士山の濃霧の中を走っているみたいなスリルを味わってしまいました。こうしてホテルにようやくチェックイン出来たのは、午後8時すぎのことでした。

マドリードでは早速日本食レストランに行ってしまったりして・・・。ううぅ、とても美味しかったりして・・・感激。
しかし夜、外を歩くとすごく寒かったりして。その点だけはオランダとあんまり変わらんと思ったりして・・・もこもこブーツに履き替えました。

歴史有るスペインの首都ですから、そりゃもう見所はたくさんあるわけで、写真もそこそこ撮りましたが、大していい出来でも珍しくもないものばかり。
というわけで、ここは
有名人のマハさんお召し物を纏った状態でマドリード代表としてご登場いただきました。
プラド美術館に行く前に遊具のある公園で息子を小一時間遊ばせると、おかげ様でバギーに揺られて美術館に到着する頃は、ぐっすり寝付き、静かに絵画鑑賞ができたひとときでありました。

有名なゲルニカを見ようと外に出ると以前あった隣の別館から移されて、全然別のソフィア芸術センターとやらに移されていたことを知るのでした。
こちらは夜遅くまで見学可能だったので、夕方訪れました。
モダンアートが多くてポッと顔が赤らむ世界もあって、そして大好きなクリムトも来てました。楽しい再会の時でした

え〜、マドリードこれだけって思われます?そうなんですよ、あとは、王宮見物と有名店が建ち並ぶセラーノ通り、最大のデパートであるエル・コルテ・イングレスでお買い物をしたくらい。あの大きな街を頼りにならない人々に道を聞き、間違った地図を片手にかなり彷徨ながら。

南欧は、衣料品のサイズが北に比べて小さめなので、主にハルさんのものをたくさん買いました。私はといいますと、別に北サイズというわけではありませんが、大きめの物をゆったり着るのが好きなのであんまり困っていなかったのです。
食べ歩きは和食というか中華というか、花友(Janatomo)レストランさんがお安く美味しかったです。
あんたら、何しに行っているのと言わないで。`93年のお話でした。

そうして・・・2001年の現在、出来上がったこのページを成長した海に見せると、
「スペインと言ったら思い出すのは・・・だよね」

あれ?
           
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