お願いだから、がんばる場をこれ以上奪わないで!
1998.3.5
最近の学校教育では、生徒を同じラインに並べて競わせることを極力避けているように感じられる。昔は校内で読書感想文、書写、図工、マラソンなどでよく競い合った。
ところが最近では、それらは行事として存在はするものの「賞はなし」という具合。運動会でもタイム別に走らせたりして、あまり差をつけないよう配慮しているようだ。私は子ども時代、特に何ができたわけではないが、友だちが入賞するのをうらやましくは感じたが、ねたんだり、やる気をなくしたりすることはなかったように思う。―中略― 「個性を伸ばす教育を」というスローガンはよく耳にするが、このような状況で個性がどうやって育っていくのだろうか。別に賞をとらせたら個性が育つとは思っていないが、差をつけない配慮は不必要ではないかと思う。 (3月5日、毎日新聞)
全国で同じように感じている人がいっぱいいるのだと思いました。
「競争させるのはよくない」「順位をつけるのはよくない」――裏を返せば、「ぬきんでるのはよくない」「みんなと同じくらいがよい」ということじゃないかと思えます。そんなんで、どうして「個性を伸ばす教育」ですか?
競争心をあおる必要はないけど、子どもだって成長していろいろなことを身につけていく中で、相手がいればこそ、お互いに刺激しあってさらに上へ、という気持ちが生まれていくわけでしょう。
相手の方が上、ということを認めたり、でもこのことに関しては私の方が負けない、と自信を持ったり…って自然なことじゃないですか?
モンダイは、それすらも奪ってしまおうとする今の学校の姿勢です。マラソンで順位をつけるのが何故よくないんでしょう?じゃあ、オリンピックはいったいなんの意味があるんですか?目標をどこに定めればいいんでしょう?――自分なりのタイム?きれい事言ってごまかさないでほしいです。
うちの子が通う小学校でも、長年の伝統(?)だった持久走大会がなくなってしまいました。「順位をつけるのがよくない」という理由にはあきれてものが言えません。サキなどは苦手な方だったけど、10番以内にはいりたい!という目標を定めて、必死でがんばってました。練習の時はいつも15〜20番くらいだったのに、本番ではなんと10位にはいることができて、見ていた私も感激しました。
私自身、持久走は何より苦手で、逃げてしまいたいくらいでしたが、とにかく完走するということだけ考えて、やはり必死で走りました。
1年に1度くらい、死ぬ気でがんばる場があってもいいと思うのです。順位はその結果であって、何位であっても、どの子にとっても大きな意味のあるものです。
皆勤賞について
先日の懇談会の時、卒業するときに「皆勤賞」を表彰するのはどんなものか、ということを話し合ってほしいと言われました。
「皆勤賞」なんてめったにもらえないと思いますよ。うちの子たち風邪ひいて休むなんて珍しいことではないですから、もう初めから皆勤賞なんて関係ないけど、6年間休まずに通うって、そりゃーすごいことですよね。そんなにがんばったのに表彰してもらえないなんて、悲しくなっちゃう。もちろん結果であって、皆勤賞のために学校へ通うわけじゃないもんね。
とまあ、そんな具合に、すべてがこんな調子。
皆勤賞のことを付け加えて書くと、これをもらうために少しくらい熱があっても登校してしまう(あるいは親が登校させてしまう)ということが少なからずあるようで、それもまた困りますけど…。
賞ってのは結果として与えられるもので、大事なのは「がんばって全力を尽くすこと」。6年間過ぎてみたら1日も休んでなかった。おお、スゴイ!! これでいいじゃないですか。表彰に値すると思うよ。
サッカーの岡田監督が、確かパラリンピックに出場する選手たちを励ます席で、「勝つために全力を尽くせ。全力を尽くしたなら、結果はどうでもいい。」という意味のことをおっしゃってました。
近頃、「勝つために全力を尽くせ!」なんて言葉はめったに聞かれませんから、私はこの岡田監督の言葉にえらく感動したのです。
こうやって、子どもたちを励ましてほしい。大事なのはその過程なんだ。1位を取るために必死になる、そしてその結果何位だってかまわない。がんばったことは絶対評価されるし、自信にもなる。
競争させない(1位をめざす気持ちを否定する)、表彰しない、ってことは、子どもの「目標」を奪い、やる気も喪失させ、さらにほめることさえ否定するような、…マイナスにむかうことしか考えられません。子どもはほめて育てるっていうでしょ。(そんなの大人だって同じ。仕事でほめられれば、もっといい仕事しようってやる気になるもん!)
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