まぼろしの子供像

  12・2(土) ジャーナリスト青木悦(えつ)さんの講演


「朝は起こさなくてもさわやかに起きてきて、前の晩に支度をしておいた服にさっさと着替え、朝から生野菜でも何でも、好き嫌いなくもりもり食べて、忘れ物のないカバンを持って元気に飛び出し、――決して、学校へいく時間がきたらトイレにこもったりイヤだと言って玄関にうずくまることなく、近所の人に出会ったらむこうから挨拶される前にさわやかに『おはようございます!』と挨拶をし・・・」

 ――すべてがその反対、という笑い声が会場全体に沸きあがりました。
 「朝は何度も起こしたあげくに、ギリギリの時刻にやっと起きてきて、たんすの引き出しを引っかき回し、時間がなくてヨーグルトしか食べず、『いってらっしゃい!』と声をかけても『ん…。』と言ったか言わないかの状態で出て行く…」

 これはサキの毎朝の状態。ななみ、こうへいとなるとちょっと違って、朝は一回起こせば起きるし、世話を焼くことはあっても『いってきます!』と元気に出ていく。(そしてテーブルの上を見ると筆箱があったりするのだ、こうへいの場合。)

 そうか、私が「なんでもっとこんなふうにできないの!」と思っていたことは、すべて「まぼろし」だったのかと、青木さんのお話を聴いていて気づきました。
 そうやって作り上げた「まぼろしの子供像」、その通りにならないからといって腹を立て、イライラし、余計なエネルギーを使い、挙句に子供を傷つけ…。
 そんなふうに考えれば、バカバカしいことをしていました。ひとり、空回りしていたというか。

立ち止まって振り返る
 ということが最近できなくなっていました。
 日々、忙しさに追われ、ひとつひとつの用事を消化して前に進んでいく、そんな過ごし方をしていたのでした。
 忙しいから、子供たちが何も手伝おうともしないことがよけい目について腹が立つ。「片づけなさい!」「手伝って!」と大きな声を出す。

中学生のとき

 学校を休む、ということはなかったけど、学校へ行くのは義務感でしかなかったな。
 1年のとき入部したバレー部がつぶれてしまい、残ったバスケット部へ、というのは私にとってかなりつらいことで、2週間くらいでやめてしまった。
 やりたかった音楽関係の部はなく、運動が苦手な私などがはいる部というのは「園芸部」だけだった。全然興味はない。園芸部で何をしたのかという記憶はほとんど、ない。校庭の花壇ですこ〜し花をいじった、そんなおぼろげな光景がかすかに浮かぶだけだ。
 とにかく、本を読むことしかやることはなかった。それと、ピアノ。そのピアノも上をめざす気持ちはなかったから、好きな時に好きなだけ弾く。学校ではひまさえあれば図書室へいった。新しくはいった本は片っ端から読んだ。
 休みの日は家事をしてのんびり過ごした。そうじ、洗濯。アイロンがけなど大好きだった。友だちと遊ぶなんてことはめったになかった。
 いなかだったから塾などないし、勉強は自分でやるしかなかったから、夜は7:30からNHKラジオの「中学生の勉強室」というのを毎晩聴いていた。
 とにかく遊ぶところはないし、ビデオなんてもちろんないし、TVそのものに私はあまり興味がなかったので誘惑されるものもなく、純粋と言えば純粋な中学生活を送っていたのだ。――TVに興味がないなんてウソ、と思うかもしれないが、私はTVをボーっと見る時間がもったいないとホントに思っていた。高校時代は下宿生活、その後もずっとひとり暮らしで就職するまでTVなどなかったから、ふだんはTVを見ない。夏休みの高校野球と正月の高校サッカーくらい。TVに執着はない。…サッカーさえ見ることができれば。
 という具合で、今の中学生みたいに忙しくなく、時間がたっぷりあったのだ。のんびり過ごしたり、ぼーっとあれこれ考えたり、空想に耽ったり…という時間が。 
忙しすぎる子供たち
 小学生だって、遊ぶ約束をする時にお互いのスケジュールがなかなか合わなくて、遊びたい時に遊べない。
 今の子供たちは忙しすぎますね。「お母さんがあんたたちくらいの時には…」と言うと子供たちはロコツにうんざり顔を見せ、それ以上聞こうとしない。私もまったくもうあてはまらない、と思う。
 でも、何かに興味を持って取り組もうとする気持ちとか、まじめに考える気持ちってのは同じじゃないかと思うのだ。

 「きまじめさをからかう風潮があります。――私はきまじめさをあざ笑う人が大嫌いです。冗談でかわそうとしたり、照れ隠しのつもりかもしれませんが、まじめに懸命に話す人を、表現する人をあざ笑う風潮、これがとても子供たちの心を、関係をおかしくしています。私は親、きょうだいでもこのまじめさをあざ笑う人とは離れて生きていこうとしてきました。」
 

 これは、青木さんの著書『孤独な、なかよし』の中に書かれている一文です。
 子供たちを見ていると、どうも友だちの目を気にしているというか、あんまりがんばるとなにか言われる、というのが感じられます。「なに、ひとりだけいいかっこしちゃって。」とか、「そんなことやるなんて、めーずらしい!」なんて実際に言われたりするんじゃないでしょうか?
 がんばってる子を見たらそれを認めて自分もがんばる。親がもっと素直に子供を認めてあげなきゃいけないなあ、とつくづく思ったのでした。

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