成人の日に思うこと
(2002.1.15)
毎年思うことは同じだけど、去年よりはましだったのかな?と思える自治体主催の成人式。
こんなに意味のないものにお金をかけることはない、と私は思うのだ。
そこまでして、20歳をお祝いしてあげたいの? なんのために?
成人式って七五三やひな祭り、お節句と同じ、と私は思う。
だからそれぞれの家で祝えばいいことで、なにも自治体でやってあげなくてもいいことだと思うのである。
成人式なんてやりたくない家だってあるわけだし。そんな面倒見のよいことしてあげなくてもいいんじゃない?
それで式典をめちゃくちゃにされたりしたら、踏んだり蹴ったり。
だいたい、アンケートをとれば70パーセント以上の若者が「おとなの自覚はない」って答えてるそう。(今朝のTVによれば)
そんなら「成人式」なんて出なきゃいいじゃない。
私は昔から、この成人式が疑問でならない。
今年はそれぞれ工夫をこらして、成人式を迎える人たちが計画をしてやったとか、浦安市はディズニーランドで成人式をやって大好評で、出席率が高かったとか…。(親同伴ともなればもう、完璧に七五三の延長。っていうか、これでそういう家族の行事が完成するということか)
私もそういうエンターティメント的な催しをやればいいんじゃない、と思ったりするのだけど。無料のコンサートとかね。
だけど、そういう楽しい催しだったとしても、私は成人式には出席しなかったと思う。
高い振袖を買ってもらって成人式に出るというのは、私には耐えられない…というかポリシーに反することで、当然成人式など出席しなかった。
私にとっては何の意味もないことだったから。
学生だったし、親のスネかじってる身で何が成人だと思っていたのである。ただでさえお金がかかってるのに、この上に振袖だなんて、とんでもなかった。
学年末試験が近いから――というのを口実に、実家へは帰らなかった。
当時私は吹田市民だったから吹田市から成人式の案内がきたけど、もちろん無視。
当日、振袖姿の女の子を見てもうらやましいとは思わなかったし、むしろ「あんなかっこうしなくてよかった」と思ったものだ。
しかし成人式に出なかったことで、私はこの日とてもいい思い出ができた。
合唱部の先輩たちが、成人式に出なかった私ともうひとりの友人を誘い出して、ステーキをごちそうしてくれたのだ。シャンパンも。
とてもうれしかった。
成人式に出られなくて寂しい思いをしているのではないか、と下宿まで来てくれたのだったが、今でも思い出すと心がふわっとあったかくなる。
私の親はそういう形式的なものを大事にするタイプなので、娘が成人式に出ないというのにはたぶんがっかりしたんじゃないかなぁ。なので今、孫によく言う。「サキちゃんが成人式のときにはきものを買ってあげるからね。」と。
結局七五三と同じくらいの意味しかないのね、成人式って。
結婚する前だったか結婚後だったか、知り合いの人が(私はその人が大好きだけど)「娘に成人式の着物の着付けをしてあげたくて、着付けを習った」と言っていたのを聞いた。
「へぇ〜、そんなものかしら?」と思ったけど、私は娘がふたり生まれても、「成人式に自分で着付けしてあげたい」とはやっぱり思わない。私が着付けを習ったのはあくまでも自分のため。
私は自分の娘たちに、振袖を着て成人式に出たい、などという娘に育ってほしくないと思っている。