ななちゃんが生まれた日 

―1989年4月11日(火)のこと― 


12年もたったのかあ。
 ――12年前の4月11日は嵐だった。朝は天気がよかったので布団を干し、助産院へ健診に。(当時は静岡に住んでいた。駅南にある「増田助産院」へ通っていた)
 ところが健診が終わって昼頃、帰るときに雨が降り出し、あっという間にどしゃ降り。
 しかも、おなかにおもた〜い痛みが。…なんと、陣痛が始まってしまったのである。
 ひええぇぇぇ…!
 とにかく家へ帰って、入院の荷物を持ってこないと。
 バス停までは歩いて10分ほど。そこまで歩く間にもびしょ濡れになってしまった。
 おまけにバスはなかなか来ない。陣痛は痛みを増す。
 仕方なく、タクシーに乗る。その頃にはまだめずらしい女性の運転手さんで、私が陣痛が始まっていると言うとあわてて、車から降りるときなども手を貸してくれた。
 干しっぱなしだった布団は雨に濡れて重たくなっていた。それをなんとか部屋の中にとりこんで広げ、夫の職場へ電話。すぐに帰って来てくれると言う。
 その間にシャワーを浴び、縫いかけだったサキのパジャマに急いでミシンをかけた。(サキは前日に実家の母に連れられて、いなかへ行っていたのだ) 

     


 
実は、予定日は20日だったのだが、助産院で知り合った人が一足先に産んで、ひとりだけ入院していたのだ。
そしたら増田先生(助産婦さん)が「ひとりで寂しいねえ。Yoshikoさんがそろそろだから、ちょっと電話してみよう。」とおっしゃったというのだ。(あとで聞いた話)
 前日に先生から「どんな感じ?この前の健診のとき、そろそろかと思ったから、とにかくあしたいらっしゃいよ。」と電話があった。まさかそういう話だったとは。
 まだまだ先だと思っていた私は、内診を受けて(その時初めて!)すぐに陣痛が始まるなどとは思ってもみなかった。――この内診は、魔法の内診だということも、あとで知った。なんか、先生の手でぐるっとまわされた(?)気がしたのだ。
 ベテランの助産婦さんだからこそできることだと思うのだが、そうやって先生はある程度コントロール(?)することができるのだ!
 ――そんなわけで私の陣痛は始まってしまったのだ。

 
陣痛がきているとはいえ、のんびりミシンをかけていたくらいだから、痛みはそれほどひどくなかった。
 しかし、夫が帰ってきて2時すぎ、そろそろ行こうかと車に乗って走り出したら、その振動で一気に痛みがひどくなってきた。
 陣痛が始まった時点で実家へ電話してあったので、父があわてて母とサキを連れて静岡の助産院まで駆けつけてくれた。車で2時間近くかかっただろうか。



 分娩室は、といったらいつも診察を受けているところ―待合室とはガラス窓一枚隔てたところなので、父はびっくりし、私が陣痛で苦しんでる声がまともに聞こえてきてはたまらん、とすぐに外へ出て行ってしまったそうだ。
 実際は、私はラマーズ法の呼吸法に集中することで必死に痛みを逃していたので、待合室にいた母も不思議に思ったほど、私の声というのは聞こえなかったそうだ。自分でも、声をあげたという記憶はない。
 先生と、もうひとりベテランの森田先生(助産婦さん)。ふたりでのんびり話などしながら、お産は進んでいった。
 私はもちろん、必死! 出産に立ち合う夫は腰をさすってくれている。「もっと強くさすってよ!」なんて私は怒っている。
 痛みはまだこんなものじゃない、と思っているうちに、最後のヤマ。「力を抜いて!ハッ、ハッ、ハッ、ハッ…!」
 分娩室にはいってから1時間くらいか。

 「女の子ですー」と先生の声。
 お、おんなのこ?…シマッタ。オトコノコノナマエシカ、カンガエテナカッタ…

 
夫がへその緒をはさみで切る。
 サキと実家の母がすぐに分娩室の中へはいってきたと思う。私は放心状態。
 ななみ(もちろんまだ名前はなかったが)は産着を着せられて、約2時間、私のベッドのとなりの小さなベッドに寝かされていた。
 その間、ときどきふぎゃ〜と声を出して泣くのだが、生まれたばかりの赤ちゃんて、涙をぽろぽろ流して泣くのだということを初めて知った。(サキの時は大きな病院で、生まれるとすぐに新生児室へ連れていかれたから)
 きれいな目から流れる涙を見て、私は感動した。2時間、じーっと眺めていて、飽きなかった。

 2時間が過ぎて、私は生まれたばかりのななみを抱き、2偕の部屋へ上がっていった。――母はびっくり仰天していた。自分で抱っこしていくなんて!と。
 用意されていた夕食はてんぷら。さくらえびのかき揚げがおいしかった。それにも母は驚いていた。「昔はおかゆだったのに!」と。



 
1週間の入院生活は快適だった。
 助産院の6畳の和室で、ひとりでのんびり。もちろん、ななみはずっと一緒である。生まれて2日目の晩だけ、先生が私がよく眠れるようにと、赤ちゃんを預かってくれた。
 食事はおいしくて、毎回楽しみだった。
 「ななみ」という名前は私が考えた。―生まれる前日、バスに乗って静岡のおまちへ買い物に行った時、窓から眺めた葉桜がとてもきれいだった。はっぱがきらきらと光って。
 「はざくら」って名前にしようかと思ったのだが、「うばざくら」なんてあだ名がついたらかわいそうだと思ってやめた。
 「ななこ」という名前も好きだった。「ななは」…いろいろ考えているうちに、「ななみ」という名を思いついたときはうれしかった。きらきらと光る海を連想したのだ。そうよね。これからは女の子も広い世界を視野に入れて、七つの海をまたいで活躍するように…なんて、夢はひろがるのだった。    (2001.4.11)
  

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