愛鷹データマップ1

愛鷹になるまで     名前の由来


 駿河志料、駿河名勝志、駿河国志等を見ると何れも「足高」と書いているのを見ればその始めは足高山と呼んでいたのである。
 駿河国志に
  足高と人はいえども不二ヶ根の
    裾野につづくあし引きの山   日達上人
  足高のように聳えて名にしるき
    山との国の雪のとこしね    不知読人

 富士の脚部に聳える高い山であるという意であろうと思われるが、足高が愛鷹と呼ばれるようになったのはいつの頃からであろうか。

 愛鷹とは端高から点じたものであるという説もある。その端高とは足高火山の南端にある一峰の意で、はじめは愛鷹火山の全峰を指した意味ではなかったかが、その端の一峰に桃沢神社を祀って、愛鷹明神とよび、また牧場を愛鷹と呼んだことなどから、いつとはなしに足高が愛鷹となり、さらに愛鷹火山の全峰を意味するようになったのであるが、その時代は詳かではない。
 『足高(愛鷹)山の概要』清水吉彦に拠ると、山名について次のように期されている。
 「鎌倉時代には之を波志太山(吾妻鑑)(源氏一統志)又訛りて鉢田山(吾妻鑑)とよび、足利時代から徳川の中世にかけては多く足高を用いた。和漢三才図絵(正得年間)にも足高を用い、その道中記の如きは何れも足高の文字を用いている。
 思うに鎌倉以後或る時代鎌倉の当時呼びし「ハシタ」の「ハシ」に品の良い愛の字を当て「タ」を鷹に改め、「ハシタカ」称へたであろう。この「ハ」が何時の間にか母音の「ア」に変化して、「アシタカ」になり、これに通りのよき足高の文字をあて共用さられたであろう。この愛鷹の文字を始めて作りしは今の郷社桃沢神社の鎌倉以後の神職興津氏と思う。同家所蔵の古文書中永禄二年の文書は愛鷹を、元亀三年の文書には足高を用い、天正十八年のものには亦愛鷹を用い爾来愛鷹を専用している。
 即ち足利中世以後の通用文字は足高にして、神社は始めは愛鷹、中頃両者を混用し後に愛鷹と定めたであろう。」と、『明治新選駿河国志』を見ると
 「師歯迫山、
  万葉集に師歯迫山とあるのは此の山の事なるべし、と桑原黙斎は云えり、この説拠るところを知らず。」と、

『駿河記下巻』に
  「愛鷹山、
  或作足高葦原等亦日新山万葉集に師歯迫山とあるは此山のことなるべし」と、又、同文中に
「駅鈴云、足鷹山は元平地なりしが延暦二十一年三月雲霧晦冥なること十日許り有て後山となる。是神の造る山と伝。後に出来たるにや新山と伝。中略嶽の東の方芝山の嵩に足高明神の禿倉あり。是は山宮と号す、本社は州津の庄にあり。」と、

万葉集
 荒熊之住伝山の師歯迫山責而問汝不告

宝治百首
 君すまばおくれんものかあらくまの
   しはせの山をいくつこゆとも   従三位頼政

新六帖
 しげり行しはせの山の熊つづら
   くるるにながき水無月の空    衣笠右大臣

夫木
 あらくまのなれてすむなるしはせ山
   やまもいかにかはげしかるらん  後嵯峨院

 これを見ると万葉の頃(天平時代)は、この山のことを師迫山と呼んだようである。

「愛鷹山」  吉原市教育委員会刊  より

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愛鷹データブック2

  愛鷹になるまで              移り変わり


   円錐形の成層火山
      数十万年前、洪積世に富士山と同時代に噴火。
      当時、2000mから2300mの端麗な姿を富士 山とな
      らびそびえていたと思われる。

 B  この成層火山に放射谷が発達すると、侵食が進行しはじ
    める。ひとたび侵食が始まると冬は雪崩、また、降水によ
    り加速度的に山体は崩壊を始める。

 C  ついには、谷頭は火口壁に達し、これを崩し、火口部を谷
    頭とする渓谷が発達する。この渓谷によっていよいよ侵食
    が進み山体の高さは低くなる。

 D  旧火口壁、大岳・呼子岳・位牌岳・袴腰岳は馬蹄形に連な
    る。渓谷は南西方に開口しここに集まった降水は須津川と
    なり山体をうがつ。
   端麗な円錐形の火山は、深い放射谷でうがたれ、頂部を欠
  いた鋸歯状のががたる峻険な姿を見せる。富士川方面より望
  む愛鷹山は連峰状のスカイラインを形成する。

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愛鷹データブック3

愛鷹連峰の主役たち


  現在、愛鷹火山を代表する峰は、北西より南東に
      越前岳   1505m
      呼子岳   1313m
      鋸岳     1280m
      位牌岳   1457m
      愛鷹山   1187m
   とS字状に連なり、連峰の背骨を形成する。呼子岳
   より南に
      大岳     1253m
   越前岳より小谷を隔てて
      黒岳     1086m
   が寄り添う連峰状の山容を見せている。

 これらの峰峰は、4つに区分される。
   1.大岳・呼子岳・鋸岳・位牌岳
      足鷹連峰の本体で典型的な壮年期の地形を見
      せる。

   2.越前岳・位牌岳北東尾根
      連峰の北半分をしめる。壮年期の侵食地形で、
      谷の形が単純。

   3.連峰東山麓一帯
      古い火山の特徴を残している。

   4.黒岳
      北隅に位置し、寄生火山的な存在で、噴火の歴史は新しい。

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愛鷹データブック4

愛鷹連峰の名脇役


  
  愛鷹峰峰の中でも鋸岳と呼子岳は侵食が著しく、深い谷からそそり立っている。わけても、須津川と大沢
 による谷頭侵食は稜線をその名に示すごとく、尾根を鋸歯状に分かたれ、ほとんど直立してそびえる。
  その歯は、西方より呼子岳・蓬莱山・無名峰・一の歯・二の歯・三の歯・四の歯・五の歯と連なり、位牌岳
 に達する。

  2つの沢の源頭部に位置するこれらの峰は、集塊岩質の岩石で侵食を受けると妙義山に似た地形が形
 成される。また、岩脈も多く貫いているがいずれも、幅数m以下で節理も細かく横に入り風化が進みやすい
 条件が整っている。

  このような岩石で形成された斜面の急な谷壁は、わずかな降雨でも崩壊し、落石も頻発する。一雨を境に
 して稜線上のルートは変更を強いられることもある。また、冬期には凍結により岩石が浮き上がり、落石が
 間断なく発生する。

  現在、各種山岳誌などでしばしば取り上げられ紹介されている。そのためか、ルート上の整備はかってな
 いほどよくなっている。至る所にロープが固定され、緊張することはあっても、身の危険を感じることはなくな
 った。ルートは、すべての歯を巻くように付けられている。もう、歯の上を草の根にしがみつくようにし、いざっ
 てすすむこともない。このためもあり、休日ともなれば、いく組かのパーティを見ることができる。

  源頭に近づいた須津川は、割石沢を左にわけ、いよいよ鋸ルンゼに達する。左手より、第一ルンゼ、第二
 ルンゼ、第三ルンゼである。稜線まで1時間を要する。ここは、危険地域に指定されている。

愛鷹連峰トップページに戻る  北面沢を遡る


愛鷹データブック5

愛鷹連峰の谷


 足鷹連峰には、100以上の沢がある。これらの沢をモモサワ(百沢)と
呼ぶ。長さ2kmをこえるもの70。うち、顕著なものが10を数える。
 
 須津川
 富士山の大沢に相当する沢で、鋸岳に源を発し、大岳・呼子岳・鋸岳・
位牌岳の水を集め「熊が谷」となり、火口壁を侵食し、沼川合流点まで
12.5kmを要し、1400mの標高差を駆け下る。
 しかし、降雨時でなければ、水の流れは東名ガードより100m上流で
消え伏流水となる。一度雨が愛鷹山を潤すと、濁流となり沼川に押し寄
せる。
 このように、水量の変動が激しい須津川で、侵食が激しく進行したのは、
以下のような要因が考えられる。

  1. すでに谷頭部の侵食が一定量に達している。
  2. 成層火山であるため、溶岩の間に侵食に弱い火山砂・れき層などをはさんでいる。
  3. 山体が侵食に弱い凝灰角れき岩からなっている。
  4. 数度の隆起運動が起こり、海面と河床との落差が大きくなった。


 大沢

 大沢の源頭部である割石峠でも、20〜30度の斜度である。反対側割石沢の登路と比べ、大沢遡行は体
力的にも負担が少ない。源頭部と離れると10度程度の傾斜に移り、登山口まで続く。この谷も侵食に弱い
凝灰角れき岩と薄い溶岩の互層で何回かの隆起もあいまって激しい侵食に見回れたと思われる。しかし、河
床は周囲の谷壁より供給されたおびただしい岩屑が厚く堆積し河原状になっている。大沢は連峰東面のす
べての水を集め黄瀬川となり、沼津市内で狩野川に合する。


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愛鷹データブック6

愛鷹連峰を装う生き物たち


富士山地域の特定植物群落へのいざないより抜粋
前略 
 浅黄塚から十里木へのコースをたどれば、十里木の頼朝の井戸に至る。この森は、富士南麓で残された唯一のものといえる古い落葉広葉樹の天然林である。小面積ではあるが、樹幹を大きく広げたブナやミズナラの姿が印象的である。
 十里木からは、愛鷹山塊上部のブナ原生林への登山道がある。十里木にもっとも近い越前岳へはともかく、割石峠の険を持つこの山塊のブナ原生林の全貌を把握することは容易ではない。十里木には、またアシタカツツジの保護された群落もある。これは、別荘地の中を抜けたところにあり、裾野市の管理するものとなっている。途中、右手の山頂を見ると黒岳の杉巨木群が見える。この巨木群へは、須山から愛鷹山へはいった林道から登ることができる。須山の部落内にある須山浅間神社は、須走浅間神社と同じく杉巨木を持つ神社であるが。ひっそりとしたたたずまいで建っている。
中略
 須山から愛鷹山の麓を下和田へ廻り、この山中奥深くは入ったところに下和田天然杉学術参考保護林がある。林道が崩壊し、経路さえ定かでない今となっては、そこへ達することさえ困難さを感じるが、静岡県下では他に例を見ない素晴らしい天然の群落が、一団地として黒々と繁っている。


須山浅間神社の社叢
裾野市須山
富士山東南麓 標高850m
この社叢は、約20本のスギの巨木から成っている。このスギは胸高直径がおずれも1mをこえる巨木であるが、中でも最大のものは目の高さの2.3mに達する。
 
このスギの巨木群の縁には、ケヤキ、アカガシ、モミが生育するが、これらの巨木は、須山地区の天然林の要素で、アカガシは富士山麓の分布の上限に近いものである。


頼朝の井戸の森

裾野市十里木 
富士山南麓 
標高800m

 十里木の村落地内にある。ブナ、ミズナラ、イタヤカエデ等を主要な上層木として持つ、小面積ながらよくまとまった落葉広葉樹林である。
 写真は、林内から頼朝の井戸の方を見たもので、中央はミズナラの巨木で、四方に張った枝がこの森の古さを示している。井戸の由来を尋ねると、5万騎の将兵を動員した壮大な富士の裾野の巻狩りの折り、源頼朝公は岩間から流れる湧水に喉をうるおし、その美味成ることに感嘆して、手にした朱塗りの椀を淵に投げ入れたとある。今は、そのような湧水はないが、付近にある岩は湿気を帯びており、岩壁には富士山では希なイワタバコが生育する。
 この森の亜高山層、低木層は不明瞭である。林床はスズタケでおおわれた自然の環境のもと、刈り取りによって草地となった人工的な場所から成る。この草地の一部には、フタバアオイ、シロヨメナ、キクバドコロ、アカショウマ等の草本植物が見られる。この森は富士南麓に現存するほとんど唯一の古い天然林として貴重なものである。
 ブナやカエデの幹には、イワギボウシ、ツルアジサイ、ツルマサキなどの着生殖物が見事に生育していて、この森の古さを語っている。

 保護の現状
 歴史上の事柄を背景として保護されている林分で、社寺林的性格を持つ。裾野市指定天然記念物。


十里木のアシタカツツジ群落
 裾野市須山字藤原2430 富士山東南斜面平塚の西薬2km 標高1,040m 面積2ha
 この群落は、十里木高原別荘地の西側の山林内にあり、ここへ行くためには別荘地の中を通り抜けなければならない。この群落は、付近一帯に分布するアシタカツツジの特に見事なもので、ヒノキ造成地の中の保護区として、所有者である財団法人須山振興会の手によって毎年下刈りが行われて手入れされたものである。この保護区は、樹高4〜10mの若齢の落葉広葉樹二次林で、ホウノキ、ニシキウツギ、ウツギ、マユミ、フジザクラ、ミツバツツジ等が高密度に生育する。これらの樹木や潅木の一部は、アシタカツツジ保護のため下刈りによって除去されている。この二次林内におけるアシタカツツジは樹高3〜7cmで、多くは分岐し又は株立ちとなっている。成長は旺盛である。
 十里木一帯は、昭和40年頃までは、ススキ草原や潅木林が相当面積にわたって広がっており、ここにアシタカツツジをはじめ、アツモリソウ、マツムシソウ等の植物が多く見られたが、その後、植林されたヒノキが成長したり、ゴルフ場などの開発によってこれらの植物は極度に減少しつつある様子がうかがえる。

 保護の現状
 裾野市天然記念物 昭和42年10月14日指定

アシタカツツジ ツツジ科
  Rhododendron Komiyamae Makino
 愛鷹山、富士山十里木一帯、天子岳のみに知られる植物。落葉低木で、樹高は普通5m位までのものが多いが、10mに達することがあるといわれる。一説によれば、わが国最大の樹木になるツツジとのことである。根本から多くの枝を分かち株立ち状となる。
 十里木における花期は5月末頃である。花は枝の先の混芽から1〜4個出て咲く。ヤマツツジににているが、より小型の花で、色はヤマツツジの橙赤色に対して紫色を帯びたピンク色である。雄しべは、花冠より突き出し、5〜9個である。
 ヤマツツジとの間に中間型と思われる個体も見られ、今後の研究が待たれる植物である。


愛鷹山のブナ原生林
 愛鷹連山の中央部。裾野市、駿東郡長泉、沼津市、富士市
 標高800m〜1,500m 面積625ha

 愛鷹山は、数十万年前に噴火した古い火山で、開析された多くの谷と複雑でけわしい山稜を持つ。一連の山々から成っている。この山麓の中央部標高800m以上にブナの原生林がある。このブナの原生林は、ブナ・ツクバネウツギ群集、ブナ・ヒメシャラ群集、ブナ・スズタケ群集等と報告されているが、大別して、スズタケを伴う林分とこれを欠くものとに分けることができる。
 ブナ原生林のよく発達するところは、主峰越前岳(1,507m)と呼子岳の西側及び位牌岳(1,457m)を中心とする東斜面である。鋸岳の西側は、絶壁を連ねた火口壁となっており、ブナ原生林の生育する範囲ではあるが、潅木や着生殖物のみが崩壊をくり返す絶壁にへばりついている。
 最南端の愛鷹山の何面頂上付近はブナにヒメシャラ、アセビが多く生育し、一部にヒノキの造林木を見る。

 保護の現状
 愛鷹山県自然環境保全地域、土砂流失防備、水源函養保安林


下和田天然スギ学術参考保護林 

裾野市下和田 沼津営林所管内本河原国有林 愛鷹連山東斜面 下和田源流部
 標高950〜1,100m 面積4.61ha


 この天然スギは、上層木にモミ混生しているのがわずかに目立つが、スギの密度の極めて高い純林である。大小さまざま、樹形も多様なスギの天然樹がこのようにまとまって繁る黒々林相は、スギという日頃人工林として見慣れた樹木が、天然の姿ではこのように繁るものかと感嘆させるものを持っている。それは一見古い人工林のようでもあるがそれとは、自ら異なる林の様子をしている。林内に入ると、このことがよりはっきりする。即ち、スギは、谷よりも尾根に集中して生育し、ある場合にはスギは岩場を好むかのようにさえ見える。垂直に伸びたものもあれば盆栽の松のように幹太く、大枝を横に張って樹高の低いものもあるという具合で実に多様な姿をしている。斜面に沿って密に生育するところでは、スギは斜面下方にのみ片寄った枝針を持っている。このような林の構造は、ツガやシラビソの天然林のそれと似ている。精英樹としてしていされたスギもあり、立派な成長を示す。
 この杉林は多種類の広葉樹が混交しているが、中でもヤマグルマの多いことは注目されている。直径20cmに達するヤマグルマとスギ巨木がひとつの巨岩に根をはわせている様子は、この杉天然林の特徴ともなっている。
 この杉林は、愛鷹連山の山中深く入った下和田源流左岸に、谷筋から山腹にかけて広がっいて、そこへ達することは容易ではない。下和田のバス停から徒歩でゆくとすれば、集落のはずれから4kmをこえる林道を歩き、そこから約1.5kmの沢登りをしなければならない。


黒岳山頂のスギ
 裾野市須山 黒岳山頂 標高1,086m
 黒岳は、愛鷹連山越前岳の北東に伸びる尾根の先端にある山である。この山の頂を含む尾根に沿って20数本の杉の巨木が繁っている。一帯は、伐採後の樹高1.5〜2mの高密度の落葉樹潅木林と針葉樹若齢造林地となっている。したがって、黒岳の杉は遠くから坊主頭の山頂にきわ立って見える。この杉巨木群に達するには、須山から黒岳の南に入る林道をたどり、右手に現れる小さな祠から約1時間ほど登山道を登るとよい。

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