雨垂 《2》


雨の音がする・・。
ガラス戸の流れ落ちる雨を指で追いかけている理得が、薄ぼんやりとした明かりの中に浮かんでいる。
その髪に唇を寄せ、後ろから腰に手を回しているもう1人の存在がガラスに写って見える。
古い映写機で見てるようなその映像は、駒送りでゆっくりとした動作を重ねて、見ているこちらの呼吸さえも止めそうだ。
耳元で囁き合いやがて向き合った2人は、恍惚の表情でお互いを見つめ、唇を重ねて逢瀬を楽しむ・・。
白い壁に理得の細い手首が延び、それを捉えた手は指を絡め、何度もその指先を組み替える。
雨の音か、衣擦れの音か頭の中ではもう分からなくなっていた。

止めろ、止めてくれ理得、そんな顔でそいつを見るな。
君は何を見てる?未来じゃないのか?
そいつは過去だ・・、君が向かうべき未来にはいないはずの男だ。

目の前に繰り広げられる光景に背を向けることも出来ずに見つめる自分がいる。
理得の口から漏れる切ない声が、龍の神経の糸を切り、感情を逆撫でする。

「止めてくれ!」
雨音だけの静寂が龍の叫び声で震えた部屋は、理得のカルテが散乱し、アルコールの匂いが満ちていた。

理得がユ−リ・マロエフを愛するのは許せると思っていた。
所詮愛しても幻だと、高をくくっていたのかもしれない・・。
愛されなくても愛することで自分を保って行けるとずっと信じてここまで来たのに、まさかこんな形で2人の愛を見せつけられるとは思ってもみなかった・・。
病院に戻ってきた理得が以前と違って見えたのは思い過ごしじゃない。
実体の無い男はそれなりの方法で愛しい人に会っていた。

「お前の望みは何だ!彼女の命か!」
理得の日毎悪くなっていく容体が龍の声を荒らげた。
「ユーリ、ここにもこいよ、俺とも会ってくれ・・・、お前と話がしたい・・、何を彼女に言った?何を言ったんだ!」
ベットの上で頭を抱えた龍の悲鳴が空気を引き裂く。
目覚めたと同時に体の奥底に沈んだ氷の塊はどんどん龍の体の体温を奪っていった。

じっとしているのは絶えられない。
龍はベットから降りると窓を開け放った。
この部屋の空気ではない外の空気が欲しかった。

ベランダには雨が降っている。
「まるで涙雨だ・・」
龍は可笑しくなって笑った。
雨に打たれて笑いながら泣いた。
「これが試練か・・」
以前佐伯が言った言葉を龍は思いだしていた。
「運命と戦う為の試練・・これがそうか・・・、なんてバカな道を俺は選んだのだろう。苦しくて胸が張り裂けそうだよ・・どうして彼女に俺は会ったんだ。何がそうさせた、俺はどうすればいい・・」
「誰も答えてはくれないんだな・・・」
龍の嘆きは雨音にかき消されて地面に落ちていく。

彼女にとっての幸せは生きる事じゃないのか・・?
子供と一緒に生きる事じゃないのか?
俺はその手助けをして、彼女と子供を守って行きたいんだよ。
ユ−リ・マロエフ、お前はそれを奪い去るものなのか?

この先の不安と残された希望が混沌の中で交錯する。
絶望と自信が交互に頭をもたげ、その度に身体がまるでジェットコースターに揺られるように振り回される。
そうか、俺は嵐の海に出たんだ。
波を読んで、天候を見ていないと沈む・・。

理得という存在の後ろにユーリ・マロエフがいる。
そしていつか俺はヤツと相対する時が来る。
無二の存在の彼女を、お互いに引き合って壊してしまうのか、最後の手を離すのはお前なのか俺なのか、いつかその時が来る。

「それでも・・、それでも俺は離さない。お前には渡さない。理得を愛してる。俺は彼女を生かすことで幸せを見つけたい。お前とは違う。お前は彼女を死して幸せを奪う者だ・・・」