別離 《1》
理得と佑子は誰もいなくなった家の中で、交わす言葉もなくソファ−に座っていた。
ほんのちょっと前までは賑やかで楽しい筈だったこの場所が、今は不安と悲しみで包まれている。
佑子の携帯の着信音が鳴り響くと、二人は顔を見合わせた。
「須藤先生から・・」
佑子はそう理得に言うと受話器を耳にあてた。
「・・・そうですか、・・まりあちゃの様子はどう?・・・うん、そう、じゃあお願いします」
「佑子・・」
理得の心配そうな声に、佑子はひとつ大きなため息をつくと理得の手を握った。
「手は尽くしたんだけど、出血が多くて・・・病院に着いたときはもう・・」
「それじゃあ・・坂口くんは・・」
「理得・・」
佑子は涙を溢れさせる理得を抱きかかえると、同じように涙を浮かべた。
「ごめんね、理得。医者なのに何もできなくて、目の前で倒れた彼を救うことも出来ないなんて・・・」
あの時、佐伯が呼んだ救急車が到着する前に現場に来た龍が応急処置をして病院に付き添った結果がこれでは、もう他にどうしようも無かったのは事実だろう。
それでも命を救えなかった事が同じ医者としてなにより悔しい。
「まりあちゃんは鎮静剤で眠ってるって・・、須藤先生がずっと側にいてくれるから大丈夫よ・・」
佑子はそう言ったきりメガネを外した。
理得は胸が潰れる思いだった。
愛しい人を亡くす悲しみは分かりすぎる程分かる。
まりあが自分の子供を亡くした悲しみから立ち直り、新しい幸せの中に未来を見つけたその時に、何故こんな事に?
理得の脳裏に佐伯が連行した成次の能面のような顔がよぎった。
きっと誰もが幸せが欲しくて生きてる筈なのに・・どうして・・。
理得が悲しみと疑問が交錯する頭で何を考えても、明確な答えはいつまでも出なかった。
「坂口拓麻は亡くなったそうだ」
受話器を置いた佐伯は、うなだれてる成次に向かって怒った様な口調そう言った。
「分かっているのか?お前がしたことは人殺しだ。殺人なんだぞ!」
「・・・」
「何とか言ったらどうだ。すいませんでしたの一言もないのか?」
「俺も死ぬからおあいこだ・・」
「何だって・・」
「医者からはもっても後一年だって言われた。俺の体、案外ボッコでね、肝硬変が進んでて前に一回血を吐いたら、医者のやろう同じ所がもう一度破裂したら、今度は助からないかもしれないって言いやがった・・」
「それで自暴自棄になってやったのか?」
「俺は死ぬ前までまりあに側にいてもらいたかっただけなんだ・・、あいつを殺すつもりなんてなかった。刑事さん一人で死ぬのは怖いんだ、俺だってね・・」
成次は最後まで表情を動かさずにそう言ったまま唇を噛みしめた。
「今富、いいか誰だって死ぬときは一人なんだ。どんな偉い学者でも、大金持ちでも、貧乏人でも、ホ−ムレスでもだ・・。ただ安らかな気持ちで死んでいけるかそうでないかは、歩んできた人生で違う。おまえは自分の歩いてきた人生を振り返ってみろ」
「・・・・」
「お前は自分の事だけ考えて生きた来たんだろう、その結果がこれだ。こんな事さえしなければ安らかに死ねたのかも知れないのにな・・・・でももうお前に残された道は祈りしかない。これから生きている限り坂口拓麻の冥福を祈るんだ」
「それに・・きっとあの世で坂口拓麻はお前のことを待っている。・・覚悟しておくんだな」
佐伯はキッパリとそう言った。
愛するものを奪うような行為を佐伯はどうしても許せなかった。
それは奪われたものにしか分からない痛みを彼自身が知っているからだろう。
佐伯は目の前の成次を見ながら、その先に嘆き悲しむまりあの姿を思い、そして同じように胸を痛めているだろう理得のことを思っていた。
拓麻の葬儀が終わっても、まりあは抜け殻のようだった。
身体はここにあるのに、まるで魂はどこかに置き忘れたような様子に理得も心を痛めていた。
じっと空を見つめていたかと思うと、急に涙ぐみ、時を忘れて泣き続けるような毎日が続いた。
「拓麻は私と知り合わなかったら死なずに済んだのに・・」
まりあは時々ポツリとそう呟いた。
理得はその度に答えに窮した。
慰める言葉が見つからない。
ただ側にいてまりあの涙を拭い、抱きしめてあげる事しか出来ない。
時が必要なのだ、時がゆっくりと心を癒してくれる。
『過去と現在を行きつ戻りつして、やがて現在と未来を見上げるようになるまで、きっと私が側にいてあげる』
理得はそう思いながらまりあの背中をいつまでもさすっていた。