慟哭 《1》


神崎の診察が済む間、まりあはベットの中にある理得の手をずっと握っていた。
「そうですね、はっきりとは言えませんが、徐々に意識が戻っているんだと思います。早くて2,3日、遅くても10日以内には意識が回復するでしょう」
神崎の言葉を聞いていたまりあの顔がパァッと明るくなった。
思わず振り向いた先にいた佑子の顔も、ほっとしているようだ。
「ありがとうございます」
まりあは病室から出ていく神崎に向かって頭を下げた。
「佑子先生もありがとう。良かった・・、お父さんにも連絡しなきゃ・・」
まりあはバッグを持つと、電話をかけに急いで部屋を出ていった。
「理得、もう少し待っているからね・・・」
佑子は誰もいない部屋で理得にそう話しかけていた。

その日から、まりあの喜びは少しずつ増えていった。
「先生、今日も少し目を開けました」
「指が動いたんです」
そんな毎日で、まりあは明日が来るのが楽しかった。

そして最初に理得の目が開いてから一週間後、理得の枕もとで、ベットに伏せるように眠ってしまっていたまりあの頭を誰かが撫でていた。
その感触で頭を上げたまりあの顔を、理得が微笑みながら見ていた。
「まりあ・・」
確かにそう言った。
あまりにも突然で、まりあは言葉が出なかった。
「ありがとう・・」
理得がそう言ったとたん、まりあは泣きながら理得に抱きついた。
「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」
理得の瞳にも涙がにじんでいる。

しばらくして、やっとまりあは涙を拭きながら理得から離れると、その手で看護婦を呼ぶブザ−を押した。
「どうしました?」
看護婦の返答も、待つのがもどかしい。
「真代理得の・・、お姉ちゃんの意識が戻りました」
「すぐ行きます・・・、よかったですね・・、石橋先生にも連絡します」
まりあの声も、看護婦の声も、外の春の陽射しの様にきらきらしていた。

「理得!」
佑子は病院の廊下を走るようにして、理得の待つ病室に駆け込んだ。
「佑子・・」
「やっと会えたね理得、長かった・・」
「佑子・・、ありがとう・・」
佑子は理得の脈をはかりながら、嬉しそうに微笑んだ。
「どう、気分は?なかなか起きてくれなくて、こっちはやきもきしてたんだからね」
「うん・・、まだ・・、上手く・・、しゃべれない・・」
「体も・・、動かない・・」
理得は単語を繋ぐように喋っている。
「大丈夫、約一ヶ月近く眠っていたんだから、そのうちだんだんと喋れるようにもなるし、体も少しずつ動かせるよ。でも激しい運動はだめ、しばらくはベットでおとなしくしていなきゃ、まりあちゃんもいるし、安心よ」
理得は頷くと、瞳に涙を浮かべた。
「泣かないでよ、こっちまでもらい泣きしそう・・」
佑子はメガネをずらすと、そっと涙を拭った。

「あたし、ちょっと電話してきます」
まりあは二人の様子を見て、席を外した。
病院の外に出ると、靖男に連絡したが、上手くつながらない。
仕方なく会社に連絡すると、応対に出た女性が靖男が帰ってきたら伝えくれると言ってくれたので、とりあえず携帯を切った。
まりあは今切った携帯を見つめながら、成次の携帯の番号を押した。
「もしもし・・」
「あっ、成次、あたし、まりあ」
「まりあ?・・・最近お前電源切ってばっかしで、ぜんぜんつながらねぇじゃんか!」
成次の声は明らかに不機嫌そうだった。
「ごめん、お姉ちゃんの意識が戻りそうだったんで、ずっと病院にいたから、電源入れられなくて・・・」
「それでね、さっきお姉ちゃんの意識が戻ったの・・」
「なんだぁ〜、そうか、それはよかったな・・」
「何よ、その言い方!」
「よかったって言ってんじゃんか!・・・・俺、もうしばらくこっちにいるからよぉ、結構居心地いいんだ。お袋が身の回りの面倒見てくれるし、小遣いはくれるし、ダチはいるし、どうせお前は病院につきっきりなんだろう、・・・あっ悪い、ダチが呼んでる、じゃ切るからな」
まりあは切れた電話を握りしめて、ため息をついた。
今はどうすることもできない、まりあはそう自分に言い聞かせると、理得のいる病室を見上げて、歩き出した。

「まりあちゃんが戻るまで、ここにいてあげるからね」
佑子はそう言うと、理得のベットの横にある椅子に座って、理得の指を一本一本、マッサ−ジし始めた。
「佑子・・」
「ん?」
「あの人は?・・」
「あの人?」
佑子の表情が固まった。
「誰?あの人って・・」
佑子はわざと何も知らない風に聞いた。
「私と・・、一緒に・・、撃たれた人・・」
佑子はその言葉を聞くと、やっと理得の目を見た。
その目は真剣だった、そして何もかも覚えてると言っているような目だった。

佑子は考えていた。
これから話さなければならない事は沢山ある。
ひとつひとつ解決していかなければ・・・。

「ユ−リ・マロエフって人のこと?」
ユ−リという名前を聞いて、理得はビクッとした。
「彼なら・・・」

佑子は迷っていた。
理得の精神状態を考えると、本当の事は言えない。

「彼なら大丈夫、理得が助かったんだもの、彼も別の病室にいるわ」
佑子はわざと明るく振る舞った。
理得は目をそらした佑子の顔をずっと見ている。

「佑子・・、本当の事・・、言って・・」
「あなたが・・、嘘・・、言うとき・・、頬が上がる・・、私・・、知ってる・・」
理得の涙が溢れそうな瞳を見て、佑子はもうごまかせなかった。

「彼は・・・、死んだわ」
佑子はぽつりと呟いた。
沈黙が続く中、理得の瞳から音もなく涙がこぼれた。

「いやあぁぁっ〜!!」

急に理得は叫ぶと、起きあがろうとして、体を激しく動かした。
「動いちゃだめよ!」
佑子の制止を振り切って、理得は抵抗する。

病室の近くまで来ていたまりあは、理得の叫び声に驚いて、慌てて駆けつけた。

「どうしたの、お姉ちゃん!」
「まりあちゃん、理得が動かないように押さえてて!」
佑子はそう言うと、部屋の外に出て、廊下にいた看護婦に向かって叫んだ。
「鎮静剤持ってきて、早く!それと酸素吸入器も!」
佑子の慌てた様子に驚いた看護婦は、急いでナ−スステ−ションに走った。

理得は泣きながら大声で叫ぶのを止めない。
まりあと佑子は理得の体を押さえるのに手一杯で、他にどうすることもできないでいた。
ようやく看護婦が戻ってきた。

理得の腕に注射針を入れると、やっと理得も動きを止めた。
ハアハアと息も荒く、顔色が明らかに悪かった。
急いで酸素マスクをあてるが、理得は息を深く吸おうとしなかった。

「理得、息をして、苦しいでしょ!」
理得は首を振って、苦しそうに答えた。
「私も・・、一緒に・・、逝きたかった・・」
それだけ言うと、鎮静剤が効いてきたのか、理得は目を閉じた。

佑子とまりあは、理得の意識が戻るこの一ヶ月が、実は理得の悲しみと苦しみを遅らせるための時間だったことを、今初めて知ったのだった。