慟哭 《4》


「理得、ちょっといいかな・・・」
佑子がそう言ってドアを開けたのは、もう消灯の時間が間近に迫る頃だった。
佐伯に会った事で出ばなをくじかれた佑子は、さんざん迷ったあげく、それでも今日の内に言ってしまいたい気持ちを抑えきれずに、気持ちの整理を付けてきたのだ。
「まりあちゃんは・・・帰ったの?」
佑子の問いかけに理得は頷いた。
「そう・・」
佑子は落ち着いて話せる事に安心しながらも、どこか心細さを感じていた。

「どう、気分は?大丈夫かな、疲れない?」
佑子はちょっと声のト−ンを上げながら、ニッコリと微笑んだ。
「明日から、点滴だけじゃなくて少しずつ食べるようにしないとね・・・、それと体を少しずつ動かすマッサ−ジも、まりあちゃんに教えとかなきゃね」
佑子は自分をまっすぐに見る理得の視線を外すように、窓の方に歩いていき、カ−テンに手をかけると、すっかり暗くなった窓の外に目をやった。

「桜も終わってしまって、もう4月も後少し、時間てなんで自分の思っているスピ−ドで進まないんだろう・・」
佑子はポツリと独り言みたいに言うと、そのまま話を続けた。
「ねえ、理得・・・もうじきにつわりが始まると思うんだけど・・・」
そこまで言うと、佑子は理得の方を振り返り、さっきとはうって変わった表情で、理得を見つめた。
「理得、これから私が言うことをよく聞いて欲しい。友人としてじゃなく、主治医として話すから」
佑子は大きなため息を一つ吐くと、静かな口調で喋り始めた。

「実は・・・、理得の心臓は思ったよりもダメ−ジを受けていて、このまま妊娠を続けると母体の方が危ないの・・・」
「たとえお腹の中で育てられても、出産は・・・たぶん体がもたない・・・あなたが死んでしまう・・・」
佑子は理得の反応を確かめながら、それでも言葉を探しては、話していく。

「主治医としては、わかっていながら、あなたを死なせるわけにはいかないの・・」
「妊娠していない普通の体だったら、無理な運動さえしなければ、静かに暮らしていける」
「お願いだから、赤ちゃんをあきらめて・・・・」

理得は、佑子が思うよりは淡々としていた。
理得は首を横に少し振るそぶりをしながら、ピ−ンと張りつめた空気の中、口を開いた。
「私は・・・いいの・・・」
「私は・・・罪・・・深い・・・」

「罪深い?」

「私は・・・、この子・・・殺して・・・しまう・・・ところ・・・だった・・・」
「あの時・・・、ユ−リに・・・撃つ・・・様に・・・頷いたのは・・・私・・・」

「だって、それは赤ちゃんの事を知らなかったからでしょ?」
理得は今度ははっきりと首を振った。

「でも・・・ユ−リに・・・・そんな事・・・させて・・・」
理得は涙を堪えながら、荒い呼吸を整えようと大きな深呼吸をした。

「ユ−リが・・・赤ちゃん・・事・・・知ら・・・なくて・・・よかった・・」
そう言って天井を見上げた理得の目から涙がこぼれた。

「どうして、ユ−リって人のことしか考えないの?自分の事は?家族の事は?その人がそんなに大事!もう死んでいないのよ!」
理得は悲しそうな顔をすると、佑子を見た。

「生き・・・てるわ・・・」
「私の・・・中に・・・」
理得はよどみのない声で答えた。

「理得・・・、私はあなたの方が大事よ!お願いよ考え直して・・・あなたが妊娠に絶えられる保証はないのよ!」

「佑子・・・、大・・好きよ・・・、でも・・・、この子・・・殺す・・・事・・・出来ない・・・」
「何が・・・あっても・・・産んで・・・みせる・・・」

「・・・・」
佑子はあきらめきれない表情のまま理得を見つめ続けた。
長いこと親友として付き合って来た佑子には、理得の性格はよく分かっているつもりだった。

「どうしても、産むつもり・・・」
「途中で親子共々死ぬかも知れないのよ・・・」
「もし生まれたとしても、あなたはその子を抱くことさえ出来ないかも・・・」
「それでもいいの・・・」
佑子はもう、なんて言ったらいいのかわからなくて、口元を押さえたままその場に座り込んで、声を漏らさないように泣いていた。

「佑子・・・、ありがとう・・・」
「でも・・・、他の・・・選択・・・出来ない」
「この子・・・失った・・ら・・・生きる・・・希望・・・ない・・・」
「この子・・・きっと・・・ユ−リ・・・守って・・くれる・・・」
「私・・・達・・・約束・・・した・・・、ずっと・・・一緒・・・いよう・・・って・・」
そこまで言うと、理得はほっ−と息を吐いて、目を閉じた。

佑子に言ったことは本当だった。
一度は死を覚悟して、ユ−リに託した命を、この子のために生かせるのなら自分はどうなってもよかった。
ユ−リの中に流れていた血と同じ血がこの子にも流れている。
ユ−リの遺伝子がユ−リと同じ細胞をこの子の中で作ってる。
そんなことを思うと、理得はまだ動くこともない胎児を感じることが出来るような気がした。
ユ−リと私はこの子の中で生き続ける。
そんな確信が理得を包んでいた。

「あなたを眠らせて処置することも出来るのよ」
佑子の声で理得はハッと目を開けた。

医者である佑子は、本人の承諾もなしにそんなことができるわけがない事ぐらい百も承知だった。
でも佑子は、自分や家族よりも、ユ−リと言う男に固執する理得が許せないような気がした。
フッと佑子の脳裏に霊安室で眠るユ−リの姿が浮かんだ。
あの男が理得を連れていってしまう気がして、憎しみに似た感情が湧いてくる。

「そんな・・・こと・・・、させない・・・」
理得は腕に刺してある点滴の針を引き抜くと、ゆっくりと起きあがった。
「ここ・・・から・・・出て・・・いく・・・」
理得は、とても病人とは思えない意志の強い目で佑子を見返した。

佑子の負けだった。
もう、理得を説得する事は出来ない。
自分にできる事は、理得を見守り、理得の体が少しでも楽になるように手助けする事だけ。
佑子は理得の側まで来ると、理得の手を取り、背中に手を当てて、ベットに寝かせた。

「ごめん・・・、理得・・・」
「お父さんと、まりあちゃんには私から伝えておくから・・・」

理得はだんだんと顔色が悪くなって、苦しそうな表情を見せ始めた。
佑子は急いで点滴の針を入れ直すと、脈をとった。
この体で後数ヶ月、本当に持つのだろうか?
理得の透けるように白い腕を見ながら、佑子は不安を隠しきれない。

「理得、ユ−リって人も子供よりあなたに生きていてもらいたいと思っているかも知れないのよ・・」
佑子はそう言い残すと、消灯の見回りに来た看護婦に促される様に部屋を後にした。

小さな灯りがともる部屋で、佑子の言い残した言葉がリフレインする。

「あなたは母親にはなれないのよ」
悪魔が囁く。

理得は布団を引き上げながら、誰もいない部屋で泣いていた。
「この子を守る」という意志は変わらないが、ユ−リさえも敵に回すかも知れないという思いが理得を苦しめていた。