激流 《1》
喫茶店で運ばれて来たコ−ヒ−を一口飲むと、やっと龍は落ち着いた気がした。
看護婦から刑事が来ていると聞いた時には、理得の事が気になって、仕事が手につかなくなっていた。
まさか自分が刑事の後をつけるなんて、思っても見なかった、でも今の自分はどうだ、これが現実なんだ。
龍は佐伯を見ることも出来ずに、コ−ヒ−に揺れて写る自分の姿を見ながら、そう思っていた。
佐伯は佐伯で、さっきあたかもユ−リに見えたこの医師が、どうしてそう見えたのか考えていた。
「僕に似た人って、誰ですか?」
佐伯がその声で龍を見ると、佐伯はさっきの錯覚が、その龍の持つ目の中にある事に気が付いた。
確かにこの目は見たことがあった。
「いや、似ていたと思ったんですが、今こうして見ると、別に・・・、どうやら私の勘違いのようです」
佐伯は相手の出方を見るために、そう言ってゆっくりと微笑んだ。
「それより、何故、私の後をつけたりしたんですか?」
こうなると、刑事の佐伯に完全に主導権は握られ、龍はやっとさっき思い切って質問した事をはぐらかされて、観念するしかなかった。
「実は、僕は真代さんの外科の担当になった、須藤と言います。彼女の心臓のケアをしていますが、どうしてあんな怪我をしたのか気になって、本人に聞くのも気が引けますし、刑事さんに教えてもらおうと思いまして・・」
「石橋先生にお聞きになればいいのに・・・」
「はぁ、どうも僕、あの先生苦手でして・・」
「ライフルで撃たれた怪我です。それ以上なにか・・」
余裕の佐伯に比べて、龍の劣勢は明らかだった。
思い詰めた表情の龍は、何を思ったか、急に佐伯に向かって頭を下げた。
「お願いです、僕に真代さんの事を教えて下さい。彼女を撃った犯人は誰なんですか?」
龍の目は真剣だった。
佐伯は自分の知らない間に、理得の側に、龍の存在があった事だけでもショックなのに、ユ−リ・マロエフと同じ様な目で《愛の告白》なんか聞きたくなかった。
「あなたが仕事熱心なのは、よく分かりました。しかし私も捜査に関係することをたとえ主治医のあなたでも話す訳にはいきません」
「すいません、時間がないので、失礼します」
佐伯は時計に目をやると、伝票を持って立ち上がった。
『ユ−リ・マロエフは1人で沢山だ』
佐伯の想いが、残された龍に届くわけもなく、龍はかたくなな佐伯の態度に不審感を抱きながら、その後ろ姿を見送った。
病院に戻った龍は、パソコンの前に座ると、インタ−ネットを繋いで、検索サイトを開いた。
「テロ・・、事件・・」
思いつく言葉を入力しては、膨大な量のデ−タ−を一つ一つ調べる作業が続く。
「たしか、入院の日は、・・・3月だった。ベットに掛かっていたプレ−トには3月・・・そうだ20日だ」
「あった、これだ」
もう薄暗く、パソコンの画面だけが明るく光部屋で、龍は画面に広がる記事を丹念に読んでいた。
『八景島でテロの未遂事件・・・、狙われたユ−ラル共和国のウラノフ夫人は無事・・・、犯人の人質になった真代理得さん(30)は撃たれて意識不明の重体、真代さんを撃った犯人はSWATに狙撃されて死亡・・』
「だから、犯人は誰なんだ・・」
龍は関連記事を手当たり次第探した。
「ユ−リ・マロエフ(27)・・・ユ−ラル共和国の工作員・・」
龍はその一行を声を出して読んだ。
「こいつだ」
「ユ−リ・マロエフ・・・、お前は真代さんの何なんだ」
龍は携帯を取り出すと、妹の電話番号を打ち込んだ。
「もしもし・・、楓、ちょっと用があるんだけど、今日時間在るか?」
「うん・・・、だからそれは会ってから話す・・・、じゃ後で・・」
龍は今から自分がしようとしている行動が、モラルに反してるのかもしれないっと、頭の片隅で考えていた。
しかし、もう自分を止めることが出来ない。
あの静かな病室で、自分の命を省みずに、新しい命を守る理得が、愛おしい。
初めは、自分を産んで、外国の男の元に走った母親とだぶってしまい、見るのも嫌だったはずなのに、今は気が付くと理得の事を考えている。
龍は早く理得の状況を把握したかった。
今ならまだ、子供を産むことを止めさせて、理得自信が生きていく道を選ぶ事が出来るからだ。
「俺なら幸せに出来る」
そんな自信だけが今の龍を動かしていた。
「いらっしゃいませ」
居酒屋で働くまりあの声が、にぎやかな声に混じっている。
「どうぞ、こちらの席に・・・、お客様お1人ですか?」
「ええ、後で友人が来ることになってるんだけど、今は1人です。そうだなぁ・・、レモンサワ−と焼き鳥下さい」
「はい、今、お水とおしぼりお持ちしますね」
龍から言われた特徴で、まりあは一目で分かったから、ワザとまりあの目に付くように楓は振る舞った。
結構ハイペ−スで楓は飲むと、酔った振りをして、まりあの世話になり、帰る頃には、携帯の番号を聞きだしていた。
「ごめんなさい。結局友達もこなかったし、あなたに迷惑ばかりかけちゃって・・・、まりあさん・・今度また来るときは、お土産持ってきますから・・」
「いいえ、迷惑だなんて、私もお友だちが出来て嬉しいです。また来て下さいね」
まりあは楓を送り出すと、いつもの仕事に戻っていた。
まさかそれが龍の妹だとは知らずに・・。
楓と入れ替わりに、1人の男が店に入ってきた。
「成次」
まりあは小声でそう言うと、成次の腕を引っ張って、店の外に出た。
「どうしたの?」
「どうしたって、酒飲みに来ちゃ悪いか・・」
「別にそうじゃないけど、わざわざあたしがいる店に来なくても・・・」
「いいじゃないか・・、お前がいればツケがきくし・・・」
まりあはため息つくと、成次を連れて店に入り、ビ−ルとおつまみを成次の前に置いた。
「お酌ぐらいしてくれよ・・・」
「ここは、そんなお店じゃ無いの・・」
まりあがそう言って目の前から消えると、成次はぶつぶつ言いながら、ビ−ルをコップに入れて、飲み始めた。
「こんばんわ」
「坂口君」
まりあの声で坂口を見た成次は、まりあに話しかける坂口の姿を刺すような視線で見ていた。