激流 《4》


「こんな細い腕で・・・、もっと太らなきゃダメですよ」
理得の腕を放した龍は、いつもの優しい口調でそう言った。
理得の怯えた顔が、龍の医者としての理性をギリギリの所で引き戻したからだ。

「僕がなぜ医者になったか教えてあげましょうか」
龍は理得の顔を見ないようにしながら、唐突に話し出した。
話していなければ、押さえ込んだ感情が今にも頭をもたげそうだった。

「僕の育ての親は長いこと子供に恵まれなかった。だけど医者であった養父は、跡継ぎがどうしても欲しかった。だから跡継ぎを探した・・・」
「・・・そう丁度こんな季節だった、施設で生活していた僕の所に今の両親が来て、『今日からあなたはうちの子よ、そして、あなたはお医者さんになるの』って言ったんだ」
龍は自分を静める様に、部屋の中を歩きながら、話を続けた。

「これは後で知った事ですが、両親は沢山の施設を回って、医者になるのに相応しい子供を捜していたそうです。条件があって、まずは男の子である事、健康な事、性格が穏やかである事、IQが飛び抜けて良い事、最後は両親の所在が分からない事だったそうです。・・・笑っちゃいますよね」
「でも皮肉にも、僕がもらわれて来て、すぐに養母は妊娠したんです。僕はその子が怖かった・・・、この贅沢で夢のような生活が奪われてしまうかと思うと、その子が消えてしまえばいいと思った程ね・・」
龍は窓際まで来ると歩くのを止めて、壁にもたれ掛かると、遠くを見るような目つきをした。
「僕は神様に祈った、・・・いっぱい勉強して医者になるから、この生活を奪わないでって、・・・ふふ、しばらくして僕には妹が出来ました」
理得は無言のまま、自分を見ようとしない龍を、じっと見つめていた。

「それから僕は勉強しました。約束を守って医者になる為にね・・・」
「・・・・」
「今も本当の両親の行方は分かりません。僕にとっては分からない方がいいんです、今の生活を守る為にね・・・、だから同情はいりません」

「どうして・・」
ドアに向かって歩き出そうとした龍は、理得の言葉に反応して動きを止めた。
「どうして先生もそうやって、自分を傷つけようとするの・・・」
龍は静かに体の向きを変えると、ゆっくりと理得を見た。

「本当は何が怖いんですか?」
「怖い?」
「何を怯えてるんですか?」
「・・・僕は別に何も怖がったり、怯えたりしていません・・・、真代さんこそ変なこと言わないで下さい」

「本当のご両親の事を知るのが怖いですか、先生の産まれた理由を知るのが怖いですか?」
「分かったような口を聞くな!」
龍の動揺を隠すように上げた大声は、龍の押さえていた感情までも解き放ってしまっていた。

「あなたはどうしてそう、何もかも分かったような顔をして、穏やかでいられるんだ・・・、その子を産む前に死ぬかも知れない、たとえ産んでも生きられないと分かってるんでしょ、あなたこそ、もっと怯えたらどうです」
「その、ライタ−はあなたの命を助けてはくれませんよ・・」
「・・・・・」

龍は焦点の合わないまま、理得に向かって歩き出した。

「僕ならあなたを助けられる。生きてく上で、あなたに何一つ不自由はさせません」
龍の足元はふらついて、真っ直ぐに歩けなかった。

「殺人犯の子供を産んでどうするんだ・・・・、産まれてきたって、父親も、母親もいない子供は幸せになれない・・・」
「先生・・・どうして・・・」
「驚きましたか、・・・真代さん、僕が何も知らないとでも思ってたんでしょう、でも知ってるんです。彼と僕は似てるそうですね。何処が似てるんです?教えてもらいたいですね」
「・・・・・」

「僕はね、真代さん、今まで女性を好きになっても、それは全部自分の欲望を満たすためだった・・・、医者の看板と、お金と、ちょっとした優しさで、みんなあっさり手に入った。だから僕は愛なんて信じてなかったんです・・・」
「その僕が、・・・まさかね、自分でも信じられませんが、どうやらあなたを愛してしまったらしい・・」

龍はそう言うと、ベットに座っていた理得を抱きしめた。
理得は事態を把握できないまま、声も出せずにじっとしていた。

「僕に教えてくれませんか、ユ−リ・マロエフはどんな風にあなたを愛したんです。あなたのその唇に何回口づけたんですか・・・」
理得は耳元で囁く龍の声で、初めて事の重大さに気付き、声を上げた。

「先生、離して下さい。・・・須藤先生、離して!」
「彼を呼んでみればいい。死んだ人間は何も出来ないんですよ、真代さん」
「あなたにユ−リの何が分かるの?」
「少なくとも、僕なら愛してる人の心臓を撃ったりしません」
少し体を離して、理得の唇に顔を近づけようとした時、龍の頬に痛みが走った。

理得は泣きながら龍の頬を打っていた。
「あなたも僕を捨てるんですか、僕の両親みたいに・・・」
龍は2,3歩後ろに後ずさりすると、テ−ブルの上に手をついた。

「どうして、誰も僕を愛してくれないんだ、・・・・愛して欲しいのに、みんな偽物の愛ばかり僕に与えて、もう沢山だ!」
「先生が欲しいのは、私の愛じゃなくて、ご両親の愛です、すり替えてるのは先生です」
「違う!親の愛なんていらない、欲しいのは君だ!」
龍は理得の首に手を回すと、力を込めた。

「僕と生きるって言ってくれ、さあ、早く・・」
理得は苦しそうにしながらも、悲しそうな目で龍の瞳をまっすぐ見ていた。
「ユ−リ・・」
理得は薄れそうな意識の中で、小さな声を漏らした。
その声を聞いて、龍は狂ったような声を上げ、理得の体を押し倒した。
苦しそうに息をする理得を、龍は看護婦がドアを開けたのも知らずに、見下ろしていた。

「真代さん、消灯ですよ」
その声で、我に返った龍は、驚いて看護婦を見ると、次に目の前で苦しむ理得に気付き呆然としていた。

何気なく病室を覗いた看護婦は、龍の姿と、苦悶の表情を浮かべている理得を見比べて、ただならぬ気配に気付き、すぐに部屋に入って理得の様子を見た。
「真代さん、大丈夫ですか?真代さん、・・・須藤先生、いったいどうしたんです、先生?」
看護婦は放心状態の龍を気にしながら、ナ−スコ−ルをして、佑子を呼んだ。

「容体が悪いって、どうしたの?」
あわただしく理得の病室に入った佑子は、そこにいた私服の龍を見て、不安が胸に広がって行くのを感じていた。