葛藤 《1》
佑子は理得の様子を見ると、看護婦に指示を出しながら、的確に処置を進めた。
一通りの処置が終わると、佑子は廊下に出た看護婦に、この件に関して口止めをして、ドアを閉めた。
「本来なら、この処置をするのは、須藤先生、あなたですよ・・」
佑子は理得の側まで来ると、処置の間もただ黙って立っていただけの龍に向かってそう言った。
「何があったの?」
「理得の首が赤いんだけど・・・、これはどうしたの?」
何を聞いても答えない龍に、佑子は少し苛立った。
「須藤先生、あなた医者でしょ!」
「・・・佑子、もう、いいのよ。何でもないの、・・・ちょっとお話ししてたら、急に苦しくなって、でももう大丈夫だから・・」
「理得・・・」
佑子が次の言葉を理得に言いかけた時、龍の発した小さな声が、二人の視線を龍に向かせた。
「・・・分からない・・」
龍は確かにそう言うと、足早に部屋を出ていった。
部屋に二人きりになると、佑子は理得のベットに腰を掛け、小首を傾けて、理得の顔を覗き込んだ。
「死にかけたんじゃないの?」
佑子はわざとふざけた様に言った。
そして、真顔になると、理得に迫った。
「理得、何も言わなくたって、この首の色は何があったか教えてくれるのよ・・・、さあ、話して・・」
理得は龍がなぜ医者になったのか自分に話してくれたことを、佑子に伝えた。
「そう、彼は施設で育ったの・・・だから・・・」
佑子は思い巡らす様な顔をすると、再び理得を見た。
「で、そこからどうして首が赤くなったの?」
「私が悪いの、須藤先生の気に障る様な事、私が言ったから・・」
「理得・・いい、彼は医者なのよ、あなたの状態も良く知ってるの、やって良い事と悪い事位分かるはずよ、もっとも、医者でなくても分かる事だけど・・」
佑子のため息混じりの声に、理得はすまなそうな顔をした。
「須藤先生ね、ユ−リの事知ってたの・・」
「えっ・・・・」
佑子は理得の思いがけない言葉に驚いた。
「なぜ?なぜ彼の名前が出てくるの?・・・それじゃあ、原因は彼なの?」
「・・・そうなのね」
「ともかく須藤先生は理得の担当から外すから・・・、明日、私が須藤先生と話してみる、それでいいわね」
佑子は理得におやすみを告げると、重苦しい気分で部屋を出た。
翌日、佑子は外科の医局に顔を出すと、龍の姿を探した。
「須藤先生ですか・・・、まだ来てませんよ」
佑子はチラッと時計に目をやった。
「あっ、そう言えば、昨日電話で熱があるって言ってたから、お休みかしら・・・」
「えっ、そうなんですか!困ったなぁ、今日彼、外来の担当なんですよ・・、しょうがないなぁ・・・、連絡ぐらいしてくれればいいのに・・・、代わりを捜さなきゃ・・」
同僚のぼやき声を遠くに聞きながら、佑子は急いで自分の診察室に戻ると、受話器を取って、住所録から、龍の家の電話番号を探し出した。
「駄目だわ」
受話器を置くと、佑子は昨日龍をそのまま帰した事を後悔した。
結局その日は龍の姿を見ることもなく終わり、次の日の朝も龍は病院に来なかった。
佑子は迷った末、受話器を取ると、自分の手帳にある番号を押した。
「もしもし、上聖総合病院の石橋と申しますが、佐伯刑事をお願いします・・・」
「お待ち下さい」
受付の女性の声と、保留のメロディがフッと佑子の頭の隙間に入り込もうとした時、佐伯の声が佑子を捕らえた。
「もしもし、佐伯ですが・・・」
「上聖総合病院の石橋です。・・・あの・・・お忙しい所申し訳ありませんが、お願いしたい事がありまして・・・」
「どうかされましたか?」
「実はうちの病院の医師が昨日から連絡が取れないんです。それで佐伯さんに探して頂けないかと思いまして・・・」
「まだ2日でしょ、そんなに心配する必要ないんじゃないですか?」
「それが・・・、彼は理得の担当でして、いなくなる前の日に・・・・」
佑子がその先の言葉を躊躇った瞬間、佑子の不安が佐伯に伝わった。
「石橋先生、前の日にどうしたんです?」
「・・・前の日に、理得と言い争いになったみたいで、理得の首が赤くなってました」
「・・・・その医者の名前は?」
「須藤龍です」
佐伯は、予想していたその名前を聞いて、目を閉じた。
「分かりました。僕の方で少し彼の事を調べてみます。分かり次第連絡しますので・・・・」
佑子から龍の住所と電話番号を聞きだしてメモをした後、佐伯は電話を切った。
受話器を置いた佐伯は、上司に二言三言耳打ちすると外に出ていった。
龍のマンションは応答もなく、新聞が無造作にドアに放り込まれたままだった。
佐伯はマンションの管理人室を訪れると、龍の家族構成と、父親の経営する病院の名前を聞き出した。
電話帳で病院の住所を確かめると、佐伯は病院の回りの商店に顔を出し、それとなく情報を集めた。
「実子でない。それは本当ですか?」
「ええ、あの坊ちゃんは施設からもらわれてきたお子さんです。下のお嬢さんは奥さんが産んだお子さんですけど・・・」
「その施設の名前は分かりますか?」
「名前は分からないけど、坊ちゃんが小さい時に、『近くに湖があって、富士山が大きく見える所に住んでた』って言ってたな・・、頭の良い子でね、家でお菓子買っても、計算が速くて、ビックリしたもんだ・・」
「そうですか」
佐伯は店を出ると、携帯でどこかに連絡をして、車に乗って、高速に向かった。
途中パ−キングエリアで止まると、再び連絡を取り、メモを取ると、富士山に向かって走り出した。
龍は車のドアにもたれる様にして立つと、金網の向こうで遊ぶ子供達を見ていた。
無邪気に遊ぶ子供達の中に、龍は小さかった自分を見ていた。
「探しましたよ・・・」
龍がその声で振り向くと、佐伯が立っていた。