葛藤 《2》


楓は病院の待合室の隅で、人目に付かない様にしながら、まりあの姿を探していた。
昨日一日連絡がとれなかった龍の事が、どうも頭から離れない。
こんな不安な気持ちになるのなら、龍をけしかけるんじゃ無かったと、楓は後悔していた。
朝になっても捕まらない龍が、楓の心の中でどんどん形を変えていくのが、不思議でもなく、自然な事のように受け入れている事が楓自信も信じられなかった。

「まりあさん・・」
まりあがエレベ−タ−の前で待っていると、聞き覚えのある声が後ろからした。
「楓さん・・・」
まりあは思いも寄らないと所で楓に会って、驚きを隠せない。
「どうしたんですか?何処か具合でも悪いんですか?」
「ううん、何処も悪くないわ。実は兄がこの病院に勤めていて、ちょっと用事があって来たの・・」
「それより、お姉さんこの病院に入院してるの?偶然ね・・・」
楓の顔を見つめていたまりあは、パッと顔をほころばせると、嬉しそうに楓に話しかけた。

「・・・もしかしてお兄さんて、外科の須藤先生のことですか?」
「そうだけど・・」
「うわぁ〜、そうなんだ、楓さん、須藤先生は姉の担当なんですよ。そうか・・・、同じ須藤だもの・・・、兄弟だったんですね」
「まあ、そうなの?偶然が重なったのね・・・、ねぇ、まりあさん、これも何かの縁だから、お姉さんにお会いしたいわ、兄の仕事ぶりなんかも聞きたいし、いいかしら?」
「ええどうぞ、姉もきっと喜びます」
まりあと楓は並んでエレベ−タ−に乗り込んだ。

「ねぇ、ここって産科の階よ、下りる所間違えたんじゃないの?」
「ううん、ここでいいの。姉は妊婦さんなの」
「だって、兄の担当は外科よ」
「実は心臓に怪我をしてて、そのケアに時々須藤先生が来て下さってるの・・」
楓はまりあの姉が妊婦と聞いて、内心驚いていた。

「ちょっと待ってて下さいね。中の様子を見てくるから・・」
楓は廊下の窓から中庭を見ながら、龍の心中を思い図った。

「楓さん、どうぞ・・」
その声で振り返った楓は、ゆっくりと病室に入っていった。

リクライニングにしたベットにもたれるように座っていた理得は、軽く会釈すると優しく微笑んだ。
「こんにちわ、須藤楓と申します。いつも兄がお世話になってます。今日は突然押し掛けてしまって申し訳ありません」
楓はいつものハキハキとした口調で、そう言って頭を下げた。
「いいえ、お兄さんにお世話になってるのは私の方です。それに、今ちょっと聞いたんですけど、まりあも楓さんにいろいろお世話になっているみたいで・・・、姉妹そろってご迷惑掛けてしまって、すいません」
「そんな、私は別に・・・」
楓は、はにかむ様に笑顔を向けた。

「それより、お加減いかがですか?兄はちゃんと仕事してます?アメリカから帰ったばかりで、どうも妹としてはちょっと心配で・・・」
「それは大丈夫、須藤先生優しくて人気あるんですよ、ねっ、お姉ちゃん」
まりあの言葉に理得は頷いた。
「そうですか、安心しました。ねぇ、まりあさん、お姉さんもこんなに綺麗なら、美人姉妹で、回りが放っておかないわけね・・、羨ましいわ」
「そんなことないわよ、楓さんだって、綺麗じゃない、本当は引く手あまたなんじゃないの?」
「私は駄目、この男みたいな性格直さないと、恋愛はほど遠いわ・・」
3人はお互いの顔を見て笑い合った。

しばらく笑談した後、楓は理得の病室を後にした。
病院の外まで見送りに付いてきたまりあは、楓に改めて礼を言った。
「成次の事、どうもありがとう。まだちょっと信じられないけど、昨日も連絡ないし、こんなにあっさり別れてくれるなんて思っても見なかったから、驚いてるの・・・」
「・・・それに、今日は楽しかった。私とお姉ちゃんの二人きりだし、後はたまにお父さんがきてくれる位だから、また顔を出して下さい」
「お姉さんのご主人は、どこか遠くに行ってるの?」
楓は不思議そうに尋ねた。
「姉は結婚してません。実はある事件に巻き込まれて、怪我をしてこの病院に入院した時に妊娠しているのが分かったんです。お腹の中の父親はその時に死んでしまって、もうこの世にはいないんです」
まりあの顔はだんだん暗く悲しげになっていく。
「・・・それに、姉は・・、姉はその心臓の怪我のせいで、子供を産むのも危ないんです」
楓は涙を見せるまりあを抱きしめた。

楓は人混みの中を歩きながら、今あったばかりの理得の事を思い出していた。
あの百合の花を思わせる様な、清楚で、凛とした美しさの裏側にいったいどれほどの想いを抱えているのだろう。
理得に会って、龍がだんだんと変わっていく様が、楓には何となく想像できた。
でもそれと同時に、たとえようもない感情が楓の中に生まれていた事実もこれで理解できた。
この感情の正体が知りたくて、理得に会ったのだから・・。

楓は公園で遊んでいる男の子と女の子に、小さい時の龍と自分の姿を重ねていた。
私は逃げていたんじゃない・・・・、認めるのが怖かったんだ。
お菓子屋のおじちゃんが話していたのを何気なく聞いてしまったあの日、いつものようにふざけて龍のほっぺにキスする自分の心臓が高鳴ったのが怖かった。
『本当の兄弟じゃない』
その事が・・、龍が遠い人になってしまうのが怖かった。

あの時、ああして抱え込まなければこんなに回り道はしなかった。
「今頃気付くなんて・・」
楓は当て所なく歩いていたが、その足は確実に龍のマンションに向かっていた。