葛藤 《3》
「僕を捕まえに来たんですか?」
龍は佐伯の顔を見ても、特に動揺したそぶりも見せずに、平然とそう言った。
「何か捕まるような事をしたんですか?」
佐伯も同じ様な口調で言い返しながら、龍との距離を縮めて行く。
「知ってるんでしょ・・・、だからあなたがここにいる、そうでしょ、違いますか?」
「石橋先生が、あなたが行方不明になったと心配して、僕に連絡してきただけです。まあ、真代さんの首が赤くなった事は聞きましたが・・」
「僕が絞めたからです。フッ、これって殺人未遂ですよね・・・、犯人は僕です」
龍はまるで他人事のように、唇の端に笑みを浮かべていた。
「あなたがそう言っても、きっと真代さんは認めないと思いますよ・・・」
佐伯のその言葉を聞いたとたん、龍の目の色が変わった。
「あなたも真代さんと仲がいいみたいですね。彼女の事良く知ってるし・・・、僕なんかよりきっと・・」
「須藤さん、たぶんあれからいろいろと調べたんでしょ。今は情報社会だ、手段はいくらでもある。表面だけはいくらでも調べられる」
龍は佐伯の顔を見つめた後、金網の向こうで遊ぶ子供たちに目を移した。
「僕の事も表面は調べましたか?じゃあ、中身も教えましょうか・・・」
「僕がこの施設の前で立っていた時、まだ片言でしか喋れなかったそうです。職員の人がやっと僕の名前だけは聞き取ってくれて『りゅう』という名前だけが僕に残されたんです」
「母に記憶も、もちろん父の記憶もありません。須藤の両親に引き取られて、医者の道を目指し、やっと一人前になったと思ったらこのざまです」
「『かわいそうですね』って言ってもらえば、気が済みますか・・・」
「あなたは自分しか見てない」
「自分だけ見てていけないか!今まで自分を守るだけで精一杯だった。他の誰かを守りたくても、愛し方さえ分からない・・・・」
佐伯の言葉に龍はたまらなくなって声を上げた。
「本当に分からないんだ・・・」
龍は金網に手を掛けて、消え入りそうな声で言った。
佐伯は龍の背中を見ながら、喋り始めた。
「ある男が祖国に母親と幼い兄弟を人質に取られ、日本に滞在中の父親を暗殺するために弟と二人でこの国に来た。税関で弟が怪しまれ、職員に追われて逃げる途中、怪我をして歩けなくなった弟をナイフで首をかっ切って殺した」
「その後もその男は父親の所在を調べるために日本人に成りすまし、ある女を利用して、まんまと暗殺に成功した。ところが、その男の祖国に残してきた家族は、処刑されていて、男はひとりぼっちになってしまった」
そこまで聞いたとき、龍は振り返った。
佐伯は続けた。
「男にはさらなる指令があった。でも男は組織を背き、テロを阻止し、そして、多数の爆弾の爆発を防ぐために、愛してる女の心臓の前にあった爆弾のスイッチを打ち抜いた」
「・・・そして、女の元に歩み寄る途中で、撃たれて死んだ」
「ユ−リ・マロエフ・・・、もうきっとあなたも知ってますね。私は彼と真代さんの繋がりを深くは知りません、でもあの二人はお互いを信じてた」
龍はじっと佐伯を見つめている。
「彼に嫉妬して、その矛先を真代さんに向けるなんて、最低だ」
「あなたも同じ男でしょ。もう少し大人になりなさい。今のあなたは、欲しい物が手に入らなくて、泣き叫んでる子供だ」
佐伯は後ろを向いて歩き始めたが、2,3歩進むと立ち止まった。
「今度、真代さんを危険な目に遭わせたら、その時は容赦しません」
佐伯はそう言い残すと車のドアを閉めて、来た道を戻って行った。
残された龍は、のどかな風景の中に立ちつくしていた。
佐伯は帰る途中、佑子に連絡をした。
「石橋先生ですか、佐伯です。・・・ええ、今彼に会ってきました。・・・そんなことは分かりません、後は彼次第です。僕は仕事に戻ります。では、失礼します」
佑子の「えっ」っと言う声に、一瞬携帯を切るのを躊躇したが、佐伯はやはりそのまま携帯を切った。
『真代さんに会いたい』
佐伯はフッとそう思ったが、結局は車の方向を変えることは無かった。
佐伯の電話が切れてから、佑子は佐伯が何故龍を連れて戻らないのか理解しかねていた。
「全くみんな何考えてるんだか・・・」
佑子は立ち上がると、理得の病室に向かった。
「理得」
「あぁ、佑子・・」
「何見てたの?」
理得は一瞬ためらった後、写真を佑子に渡した。
「これって・・・」
「ユ−リの家族よ。でも今は誰も生きてない・・・」
「誰も?」
理得は黙って頷いた。
「そう、彼の血筋は理得に残された訳か・・・、じゃあ理得が頑張らないとね」
佑子はわざと明るくそう言った。
「うん」
理得もいくらか和らいだ表情で答えた。
「でね、須藤先生の事だけど、心配するといけないから、言わなかったんだけど、あれから行方が分からなくなって、今日も病院に来てないの」
佑子は自分を見上げた理得の顔を見て、慌てて続けた。
「でっ、でもね、佐伯刑事が探してくれて、見つかったから大丈夫よ・・」
『とりあえず』佑子はそう言いそうになって、慌ててその言葉を飲み込んだ。
「・・もう大丈夫」
佑子は自分に言い聞かせるようにもう一度くり返した。
「はい、これ、彼からもらった大切な物」
佑子はそう言って、持っていた写真を理得に返した。
「彼にもらったんじゃないの・・」
「えっ、そうなの?じゃあどうして持ってるの?」
「佐伯さんが彼の持ち物から探してくれたの・・・」
「・・そう」
廊下を歩いていた佑子は、中庭にある紫陽花のまだ小さくて白い花弁に目を留めた。
『佐伯さんみたい・・・』
佑子はそう思った。
『溢れる想いを秘めた沢山のつぼみ、でも彼はきっと色鮮やかに咲くことは無いのだろう』
再び廊下を歩き始めた佑子の中に、ほろ苦い物が流れた。