悲劇 《4》


「どうしたの成次、今頃になって・・」
「まりあ、そんな嫌そうな顔しなくてもいいだろう。それともそこにいる若い彼氏に俺のこと話してないのかな?へへっ、じゃあ自己紹介しますか。俺は今富成次、こいつの男やってました」
成次のにやりとした顔を見て、まりあはゾクッとした。
もう成次とは関わりを持ちたくないのはもちろんだが、これ以上拓麻に自分の過去を知られるのはもっと嫌だ。
「行こう拓麻」
まりあはそう言うと再び歩き出し、拓麻の手を引っ張った。

「おっと、まりあ俺はお前に用事があって来たんだ。もう少し話を聞いてもらわなきゃ困る」
「今富さんでしたね。見ての通り俺とまりあはもう付き合っている。まりあがあんたとどう付き合っていたか知らないが、もう終わったんだろ。しつこい男は嫌われるぜ・・」
それまで黙っていた拓麻は冷ややかにそう言った。
「俺はまりあに話があるんだ。てめぇはおとなしくそこに黙ってろ。いやどこか出掛ける用事があるんならどうぞ・・、まりあは俺がちゃんと届けるから・・」
成次はまりあの腕を掴んで、血走った目をギラつかせた。
そのまりあを掴んだ手を拓麻がふりほどいた瞬間、拓麻の腕に痛みが走った。

「てめぇは邪魔だっていってんだろ・・」
「きゃ−−!」
まりあは血の気が引くのを感じながら、悲鳴を上げた。
「今のは利き腕じゃなかったから、かすっちまったが、今度は外さないぜ・・」
成次はサバイバルナイフを右手に持ち替えて、まりあと拓麻の前でひらひらさせている。
拓麻は切られた腕を押さえながら痛みで顔を歪めた。

「俺は本気だ。命が惜しかったら引っ込んでろ・・」
成次のドスの利いた声には揺るぎがなかった。
まりあはハンカチで拓麻の腕を縛ると成次の前に立った。
「分かったわ、話を聞くから拓麻に手を出さないで・・、拓麻すぐ戻るから先に行ってくれる?」
二人の男の間に立ったまりあは動揺を抑えながら努めて静かに話した。

「さすがまりあだ物分かりがいい。ここじゃ何だからちょっと来てくれるかな・・、何すぐ済むよ、すぐに賑やかなパ−ティ−に戻れる・・」
まりあは振り向いて拓麻を見つめた。
微かな微笑みを向けるまりあを、拓麻も見つめ返す。
まりあはそのまま1つ大きな息をすると、覚悟を決めたような顔をして、もう一度成次と向き合った。
「いい子だ。さあ・・」
成次と共に遠ざかって行くまりあに拓麻は胸騒ぎを覚えた。
まりあが見せた慈愛に満ちた微笑みが脳裏に蘇って、いっそうそれを増幅させていく。
『ヤツはまりあを返す気なんてない・・』
瞬間的にそう思うと拓麻は走り出していた。
そしてまりあの腕を掴むときびすを返して家の方向に駆け出した。

まりあは一瞬何が起こったか分からなかったが、自分の腕を掴んでいるのが拓麻だと知ると暗たんたる思いだった自分が嘘のように思えた。
まりあは全力で拓麻と共に走った。
『あそこまで行けば・・』
夜の闇に中で自分の家の白い門が自分たちを救ってくれる崇高な門に見えた時、突然拓麻の足が乱れた。
小さな呻き声がしたかと思うと、ゆっくりと体が道路に崩れていく。
隣からするハアハアと言う息づかいの主が成次だと分かると、まりあは光るその物体を凝視した。
手にしているサバイバルナイフは根元まで血でヌメヌメとして、握っている手も赤く染まっている。
「いやぁぁぁ−−!拓麻!」
急いで駆け寄った拓麻の背中には赤い染みがどんどん広がっていた。

佐伯は時計を気にしながら、早足で歩いていた。
病院では無いところで理得に会えるのはもちろん事件以来初めてだ。
今日は少しお酒を飲んで、和やかな気持ちで理得と理得を愛する人たちと過ごしたい、佐伯はそう思っていた。

それにしても蒸し暑い夜だ、佐伯がそう思ってポケットのハンカチに手をやった時、女性の声が聞こえた。
職業柄敏感に反応した佐伯はすぐに顔を上げ、声のする方向に走りだした。
人影が見えると、佐伯は緊張しながら駆け寄った。
「どうかしましたか?」
その声で振り向いたのがまりあだと分かると、佐伯は驚きを覚えながらも、呆然として立っている男の顔を見た。
「今富、お前・・」
成次はサバイバルナイフを両手で握りながら、手を震わせていた。
「俺にはまりあが必要なんだ・・。俺にはまりあが・・、まりあが・・」
成次は聞き取れないような小さな声でいつまでもそう呟いていた。