飛翔 《1》


佐伯は資料に目を通すその時まで、自分が考えてる事を肯定したいのか否定したいのか、分からないでいた。
そのせめぎ合いの中で、佐伯の視線は確実に事実に向かっていた。
事実だけが知る得る真実の中に救いを求められるかどうか、それを見極めたい。
そんな気持もあった。
そう今、ユーラルにいるだろう全ての人々の為に…。

佐伯のページをめくる手が止まった。
「やはり、そうか…」
探し当てた目の前の名前は確かに記憶の中にある者だった。
留学生はこの時期、該当者はその者しかいない。

これを彼が知ったら…

須藤龍、いや今の彼は加納リュウだろうか?
彼の中では、探し出そうとしてる母も、眠っている彼も、そして理得も、彼と同じ命をまだ持っているに違いない。
だから、母親が死んでいると知っても、そう落胆はしないのではないか?
佐伯はそう思った。
あの手紙は、彼が一番求めていただろう愛情も彼に与えたような気がする。
そう言う意味では満たされていたのではないか?

でも、もう1人のこの人物は、彼にどう影響を与えるのか?
もしかしたら、彼を壊す事になりかねない…

佐伯は残り少ない休暇を考え、すぐに受話器に手を掛けた。
早く手続きを取らなければ、間に合わないかもしれない。
まして今は正月だ、時間がかかってしまう。
「ビザが取れたらすぐに連絡してくれ…ああ、すぐにだ、正月で申し訳ないが急用なんだ…」

受話器を置く間もなく、佐伯は次の番号を押した。
ユーラルに行く前に楓にも全てを話さなければならない、その為には裕子の話も聞かなければ。
きっと彼女はあの傷の事を知っているはずだ。
時間の都合を聞いて、佐伯はやっと受話器を置いた。
冷たくなってしまったコーヒーは、胃に刺さるように佐伯の気持をチクチクと痛めつけた。
苦い口後がそのまま今の心の上を流れていく。

佐伯は、かつて訪れたユーラルの大地を思い出していた。
青の大地は清々しく、あの時の自分の気持を受け止めてくれた。
でも、きっと今は迷彩の大地で、やはり気持そのままに自分を迎えるのだろう。
「真代さん、まだ終わらない…まだ終わっていなかった…、最後まで見届けるのが僕の役目だろうか?その為に君に会ったのか?」
人は誰しも生きている上で運命(さだめ)があり、役目がある。
佐伯は今それを実感していた。

「結婚式は中止します」
楓は両親にそう電話した。
今はだいぶ慣れた両親だか、感覚としては親として思えない両親に、そう告げるのは尚更辛かった。
なんとか私の記憶を取り戻そうとしてあれこれしてくれていたのに、それも実現しないままで、私が喜ぶなら結婚式は盛大にと、準備に追われていた両親なのに…。

理由は龍がいなくなったからだとしか言わなかった。
警察には連絡したので、心配しないでとも言った。
でも、手紙の事は言えなかった。
須藤の親もまた龍の親だ。
きっとショックを受けるだろうから…
いつか話さなければならないが、今はその時ではない。
そのいつかはきっとやってくる…、物事には時期があるんだ…、なんだかそんな気がした。

佐伯刑事から連絡もあった。
明日の午後に龍のいた病院に行った後、その帰りに私の所に来て全てを話してくれるそうだ。
それを聞いて私は、一緒に病院に行ってもいいかと尋ねた。
どうせなら記憶を無くした病院で、全てを聞きたかった。
そこから一歩を踏み出したい。

…何を聞いても動じない勇気を下さい…私は飛びたいのです…