氷華 《1》


ロックフェラーセンターにあるクリスマスツリーに灯りが入って、ここニューヨークでもクリスマスムードは否が応でも高まりを見せ始めている。
佐伯はその高いツリーを見上げながら、出来るならばクリスマスは日本で過ごしたいと思っていた。
きっとその頃までには理得の子供も産まれているだろうし、クリスマスに乗じてプレゼントを贈る事だって出来る。
出産祝いって名目もあるが、なんとなくクリスマスプレゼントの方が贈りやすい気がした。

最近ショーウインドウを覗いては理得が喜びそうなものをあれこれ考えるのが楽しい。
龍からのメールでは理得も順調そうだし、きっと無事何もかも終わるだろう。
『俺はサンタクロースになれるかな・・』
佐伯はそう心の中で呟いてみた。
『いや、足長おじさんの方がいいか・・』
サンタクロースが年に一回しか現れない事に気が付いた佐伯は、雪が降りだした舗道を歩きながらもう一度呟いた。

どちらにしても理得と産まれてくる子供の為に影ながら力になりたい。
それで十分だと思える自分が佐伯は不思議でもあった。
それはきっと理得がこれ以上困惑したり悲しそうにする姿を見たくないからだろう・・・。
男の愛を受け入れる隙間が理得の心にはもうない・・その事はよく分かっている。

八景島で銃弾に倒れた2人の姿はハッとするほど美しかった。
美しいというと不謹慎かも知れないが、瞬間そう思ってしまったのは事実だ。
ユーリマロエフはあの時やっと何もかも捨てて、愛する女の元に辿り着き、彼女を手に入れた。
銃弾を受け入れた理得もまた、彼を抱き留めた。
横たわる2人は触れ合ってこそいなかったが、まるで見えない手を繋ぎ合い、安心したように目を閉じていた。

佐伯はふらっと立ち寄ったカフェで熱いコーヒーを啜りながら、あの日の事を思いだしていた。
今年の3月の事なのに、随分昔に見た夢のような気がするのは、封印してしまいたい記憶だからだろうか・・。
あの時マロエフを拘束しておいたならば、彼も理得もまた違った人生が待っていただろう。
「必ず成し遂げると約束したんだ。愛する女と・・」
あの時のマロエフの目が忘れられない。
俺には何も出来なかった・・・。
口に残ったコーヒーの苦さが、もう一つの苦さと重なって佐伯の胸に広がった。
そうした時間はゆっくりと流れていく。
窓の外の雪は止みそうにない。

佐伯は窓から視線を戻すと、日本に帰ってからやらなければならないもう一つの仕事の段取りを思い描いた。
滞在中の短い時間にやらなければならないこと、それこそ日本でなければ出来ない事だった。
佐伯はあのユーラルで眠っている加納倫子に付いて途中まで調べていた事柄を、友人に頼んで先に進めてもらっていた。
彼女の死亡した年の前後を含めてての数年間の間に出された捜索願いの中に該当する名字、名前があるかどうか。
佐伯には治安も悪く対外的に国交を閉ざしていたあの国に女性が長期間滞在していたとは思えなかった。
たぶん死亡するちょっと前には日本にいたはずだ。
そうなれば、日本にいた家族から行方不明として届けが出て当然だし、もしそれがなかった場合は身寄りがないことを意味している。
そうなると施設やその他の狭い範囲を調べればいい。
きっとどこかで引っかかる・・佐伯の刑事としてのカンがそう言っていた。
「21世紀を迎えるどころではないな」
佐伯はそう言うと、コーヒーの最後の一口を飲み干してそっとカップをテーブルに置いた。

店の外に出てコートを羽織ると舞い散る雪がすぐにコートに白くて小さな模様を作り出す。
何気なくポケットに手を入れた佐伯は右手に触った感触に気付き、そっとそれをポケットから出した。
それは理得からもらったハンカチだった。
最後に海で会った後、帰りがけにそっと手渡されたものだった。
「急だったのでこんなものしか用意できなくて・・」
そう言ってすまなそうに包みを差し出した理得の顔がふっと浮かんだ。

「僕にですか?」
そう言って受け取った後、包みを開ける間も神妙な顔をしてた理得。
「ありがとうございます」
そう言って顔を上げた僕を見てやっと笑顔を見せてくれた。

あの笑顔にもうじき会える。
佐伯は空を見上げ、そして静かに歩き出した。