過去 《1》


理得の遺体を、僕は結局、最後まで見ることはなかった。
お通夜の席でも、僕は奥まった場所で、ただじっと遺影を見つめていた。

赤ちゃんの名前が「悠」と決まったのを石橋先生に聞いて、僕は少しだけ嬉しかった。
「りゅう」と「ゆう」、この2つの響きがどことなく似ていたからだ…

「赤ちゃんはどうなるんですか?」
名前を教えてもらった時に、僕は心配になって石橋先生に聞いた。
「ああ、悠君はね、まりあちゃんが育てるって…」
「まりあちゃんが?」
「うん、最初、お父さんが自分の養子にすると仰っていたのだけど、理得にもそう頼まれたからってね。でも、まりあちゃんがね、悠君がお腹にいたときに、拓麻くんが愛おしいって言って笑っていた笑顔を忘れられないから、自分が大切に育てたいって言ってね、それでいろいろ相談したんだけど、お父さんもまりあちゃんに任せることにしたのよ」
「そうですか…」
「まりあちゃんも、大変だけど、これで気持ちも落ち着くかもしれないし、こうなって理得も喜んでいると思う。悠君はまりあちゃんにとって、いろいろな命の生まれ変わりだから…、優しくできなかったお母さんの分、なくしてしまった子供の分、愛していた拓麻くんの分、それに理得の分も入れてね、悠君を愛して育てる事でもう一度最初からやり直して育めるから、それはまりあちゃんにも必要な事でもあるの」

そう言えば、彼は言っていた。
「僕は全ての結晶、産まれて来るべくあった存在、全ての苦しみを解き放つ…」
そして
「僕の分身…」
でもあると。
でも僕には分からない、僕と君の繋がりが…。


僕は佐伯刑事にメールを送った。
クリスマスには日本に戻ると連絡は受けていたが、会って言うのは嫌だったからだ。
いったいどの顔で、彼に会えばいいのかも分からない。
こうなってしまった以上、会っても何も出来なかった自分の力のなさを再確認するだけだろうし、理得がいなくなってしまった今、僕たちを繋ぐ糸は切れてしまったも同然だ。

ただ、どうしても「死んだ」とは書けなかった。
死に目にも会わなくて、遺体も見ていない僕には、どうしてもそう書けなかった。
実際、理得は死んだのではなく、天使の羽を持って、僕の手の間をすり抜けて、あの彼の手を取ったに過ぎない。
きっと今頃は、彼の腕の中でその羽を休めているのだろう。
そうして、時々、子供や家族の元を訪れて、あの微笑みを浮かべるのだ。

僕は理得の手を離してしまった。
彼女の涙に、僕の心は揺れた。
愛する形は1つではない、この愛の形もある。
僕は最後にそう悟った。
退くのもまた愛だと。
苦しくても、それが愛だと。

「ありがとう、先生…」
理得、君が最後に残してくれたこの言葉を今は嬉しく思うよ。
君を想うときはいつも優しい気持ちになれる。

これから僕は、どこに向かうのだろう。
もう数日で今年が終わり、そして21世紀が来る。
楓との結婚式も、もうそこまで来ている。
僕はそうして、ずっと、このまま、ここに止まったまま、生きるのか?
体は未来に生き、心は過去のまま。
僕は、そう、止まったままだ。
だから涙も出ない。