覚醒 《2》


龍は病室の前で、目を閉じて、大きく息を吐いた。
「失礼します」
龍が病室に入ると理得は以前のまま、落ち着いた様子で座っていた。

「真代さん、先日は申し訳ありませんでした」
龍は理得に視線を合わせられないでいた。
「首は大丈夫ですか・・・・」
龍が理得の首に目をやると、理得は優しく微笑んでいた。

「須藤先生、私は大丈夫です、もう何ともありません。それより、先生の方こそ、私のせいで、辛い思いしたんじゃないですか?」
「いえ、僕は・・・もう・・」
龍は理得の瞳を黙って見つめた。
理得は微笑んでいる。
まるで、全てを許して、全てを包んでしまうように・・。

「あの、僕は真代さんの担当から外されました。当然ですよね。でも、たまに来て診察してもいいでしょうか、僕も出来るだけ真代さんの力になりたい・・」
理得はゆっくりと頷いた。
「私の方こそよろしくお願いします」
「僕を許してくれとはいいません、でも、僕を信じてくれて、ありがとうございます」
龍は頭を下げると、部屋を後にした。

理得を見ると、胸が苦しい。
理得が今でもユ−リ・マロエフを愛しているのが分かるだけになおさらだった。
自分の想いが報われないかも知れない不安と、焦りが突き上げてくる。
でも、龍は耐えた。
親を恨む気持ちも、理得を愛する気持ちも、何もかもの雑念を自らの力で封印していた。
それは、とてつもなく辛い作業だった。

龍はその日から、医者としての仕事を精力的にこなした。
患者の辛い気持ちを汲み、誠心誠意、患者に尽くした。
仕事に没頭している時だけが、唯一救われる時間だった。
手術も進んで執刀した。
自分を試し、尚かつ自分を信頼してくれる患者との繋がりを強く感じて、それはとてもやり甲斐があった。

6月に入ると、理得のつわりが始まった。
ただでさえ体力のない理得は、絶えず襲ってくるむかつきに閉口していたが、それを決して口には出さなかった。
佑子は日増しに弱っていく理得を心配していた。
理得のつわりは思っていたよりも、ずっとひどかった。

「点滴は外せないわね」
佑子は理得の病室で、そう呟いた。
「ごめんね、佑子、がんばれなくて・・」
「理得が悪いんじゃないわ、運が悪かったのよ、前に使ったのでなくなっちゃったかな?、今回はしょうがないわね・・」
佑子の冗談に理得は力無く微笑んだ。
口からろくに食事のとれない理得は、横になったまま起きあがることもままならなかった。

「お姉ちゃん」
まりあはそんな姉を見かねて、何かと世話を焼いていた。
「今日はね、紫陽花の花を持ってきたのよ、キレイでしょ」
「そうね・・・、まりあ外は今日も雨ひどいの?音がするけど」
「うん、もう毎日雨でカビが生えそうよ」
「それも坂口君からもらってきたの?」
「うん」
まりあは嬉しそうに笑った。

「坂口君優しい?」
「うん、とっても・・」
「お姉ちゃん、まりあが毎日楽しそうで嬉しいわ」
「ねえ、今度連れてきて、お姉ちゃんも、自慢の坂口君に会いたいわ」
「え〜、お姉ちゃんに会わせると、拓麻の気が私からお姉ちゃんに移っちゃうかも知れないからなぁ・・」
「何言ってるの、こんなおばさん相手にしないわよ」
理得とまりあは可笑しくて笑い合った。
こうして姉妹で話す時間が、唯一つわりの辛さを忘れさせてくれる時間だった。

佑子は自分の診察室に龍を呼んだ。
「神崎先生とも話したんだけど、是非あなたの意見も聞いておきたい」
「理得の心臓は弱ってるでしょ」
「そうですね、だいぶ心拍も弱いです」
「このままで大丈夫だと思う?」
「今はなんとも・・」
「そう・・」
「何とか乗り切ってくれれば、いいけど・・、後1ヶ月も、すれば安定期に入るのよ・・」

佑子が深刻な顔をしてると、突然電話が鳴った。
内線の赤いランプを確認すると、佑子は受話器をとった。
「石橋先生、大変です、真代さんの意識がありません」
「何ですって!、すぐ行きます」
「須藤先生、理得の意識がなくなったそうです、いっしょに来て下さい」