計略 《1》


「須藤先生おめでとうございます」
龍は呼び出しを受けた院長室で、開口一番そう言われて、困惑の表情を浮かべた。
「あの、何がおめでたいんでしょうか?」
「須藤先生そんなに照れなくてもいいですよ、結婚決まったそうじゃないですか。お相手は血の繋がらない妹さんだそうで・・、やはりあれですか?少し離れてみたらお互い大事な人だって気が付いたってところでしょうか?」
「院長、どこでそんな話しを聞いたんですか?」
「どこって、昨日君の婚約と結婚式の日時を知らせる手紙が家に届きましたよ」
「そうですか・・」
龍は後ろ手に握っていた拳に力を入れた。

「さっき、お祝いの電話をお父さんにしたら、ちょっと頼まれ事をされてしまってね。まあ、私の方としては少々困るんだが、承諾しときました」
「父が何か?」
「結婚を機に、君を須藤の病院に迎え入れたいとおっしゃってね。次期の院長として、いろいろ勉強してもらわなければならないからと」
「・・・・」
院長はニコリともしない龍の事を不思議にも思わず、自分の事のように嬉しそうに喋り続けた。

「21世紀になってすぐに結婚式だなんて、若い未来溢れる2人には打ってつけです。いや〜本当におめでとう」
「ありがとうございます」
龍はやっとそれだけ言うと、院長室を後にした。

医局に戻った龍は、電話に手を掛けながら、黙って座っている。
これが全て楓と両親の仕組んだ事だとは分かっている。
あの日、楓の意味ありげな微笑みの答えがこれなのか・・・。
龍は運命の見えない糸が自分を縛って、がんじがらめにしていく様が目に浮かんだ。
それに、きっとこの事はすぐに病院中に広がるだろう。
そう思うと、理得の事が気になった。
理得はどう思うのだろう?
とびきりの笑顔で、僕を祝福するのだろうか?

龍はその日重い足取りでマンションに帰った。
玄関の前で龍がカギを取り出そうとしていると、中から音がして、ドアが開いた。
「お帰りなさい」
そこには勝ち誇ったような顔の楓が立っていた。

「婚約者だって言ったら、管理人さんが開けてくれたの。龍ダメじゃない、ポストに郵便物がそのままだったわよ」
楓はテ−ブルの上にある郵便物の山を指した。
「2001年1月6日・土曜日・大安、ねっいい日でしょ。21世紀になって初めての大安の日なの、龍が話しにならないから、パパとママと3人で決めたのよ」
無言でいる龍の前に、楓は自分たちの婚約と結婚の文字が踊る手紙を差し出した。
龍はその手紙を受け取ると、内容に目を通した。
そして読み終わると、それを床に放り投げて、襟元のネクタイを緩めながら、ウイスキ−の瓶に手をかけた。

何も言わず、グラスに氷を入れ、瓶を傾ける。
「お前も飲むか?」
龍は楓の顔も見ずに言った。
「私はいいわ」
その声を聞いて、龍は瓶を置き、代わりにグラスを手にした。
「俺達の結婚に乾杯」
龍は楓の目の前にグラスを掲げ、喉を鳴らしながら一気に飲み干した。

「なんで、何も言わないの!」
龍の姿を見ていた楓は、急に声を荒らげた。
「言いたいことが沢山在るんでしょ!」

「俺は施設にいた所を引き取ってもらって、いい環境の中で生活し、医者に成ることも出来た。全て須藤の両親のお陰だ。それは感謝している」

龍はリビングの窓に近づいて、窓を開けた。
ク−ラ−が効いている部屋に、なま暖かい風が容赦なく吹き込む。
「外は熱帯夜だ。この窓一枚で天国と地獄だな」
窓を閉めて、龍は呟いた。

「その両親が決めたことだ、こうして通知もされて、今更俺が何を言おうが、何1つ変わることは無いさ」
「そうだろう!」
振り返った龍の顔は、楓が今まで見たことの無い顔だった。

「今日からお前は俺の妹ではない、俺の婚約者だ。なんなら泊まっていくか?好きなようにしてくれ…」
龍はネクタイを取るとテ−ブルの上に置き、ソファに座って無言のままの楓を見上げた。
「お前が望むなら、何でもしてやる…この間の続きでも…何でもだ」
「バカにしないで!」
楓はそう言い放つと、その場から駆け出した。
ドアが思い切り閉まる音を聞いて、龍はフッと微笑んでソファに横になると、殺風景な天井に行き場のない思いを見ていた。

「お姉ちゃんがね、退院するの」
まりあはバイト先の居酒屋で、拓麻に嬉しそうにそう話した。
「でね、退院のお祝いのパ−ティをやろうと思ってるんだけど、どう思う?」
「そうだね、お姉さんきっと喜ぶよ。俺も手伝うからさ、家の中も花をいっぱい飾って…、ところで肝心の料理はどうするの?」
まりあは拓麻の意地悪い質問に、口を尖らせた。
「私だって相当の腕よ。お姉ちゃんが入院してからずっと自炊してるんだし、なによりここで毎日修行してるじゃない」
「味見を修行って呼ぶんだ」
「もう、拓麻たら」

「料理なら俺が手伝うさ」
二人のやり取りをニコニコしながら聞いていた店長はそう口を挟んだ。
「本当ですか〜」
まりあは両手を組んだまま、小躍りしている。
優しい笑い声が辺りに広がる。
「楽しみだなぁ、早くその日が来ればいいのに…」