計略 《2》


朝日がカ−テンに射している。
まりあは隣で眠っている拓麻を起こさないようにベットから下りると、身支度を始めた。
朝食は何にしようかと思いながらベットの側を通ると、眠っているはずの拓麻に手を握られた。

「おはよう」
「ゴメン、起こしちゃった?」
「ううん、さっきから起きてた・・」
「じゃあ、着替えるのをずっと見たての?」
拓麻は目をくるっと回して、頷いた。
「こら〜!!」
まりあはまだ裸のままの拓麻の胸に飛び込んだ。

ひとしりきじゃれた後、急にまりあは拓麻を見つめた。
「拓麻・・」
「どうしたの?」
「好きよ」
「俺も・・」
ゆっくりと口づけを交わす二人。
まりあはまさに幸せの絶頂にいた。

拓麻と初めて結ばれた夜、まりあは男の人がこんなにも自分を大切に扱ってくれる事に、驚きを隠せなかった。
成次は口では優しかったけど、何事にも自分中心で、自分が満足すれば後はおざなりで、事が済めば髪を撫でてくれることも無かった。
でも拓麻はいつも自分の事を考えていてくれる。
先走ることもなく、自分勝手でもなく、満ちるまで根気よく愛してくれる。
満たされる喜びを感じて眠る夜は、何もかも忘れて羽の中に埋まっていくような心地よさを与えてくれた。
この人となら一緒に生きてゆける。
まりあは拓麻と築くであろう未来を思い描いては、幸せを噛みしめていた。

まりあが朝食の準備を終わる頃、拓麻はコ−ヒ−を入れ始めた。
拓麻が泊まった朝はコ−ヒ−を入れるのが彼の仕事だった。
コ−ヒ−の香りが漂うと、一緒にほっとした空気が漂うような気がして、まりあはコ−ヒ−がドリップされる様子を手に顎を乗せながらいつも見つめていた。
拓麻のコ−ヒ−を入れる作業を見るのが好きだった。
そしていつものように二人で出掛けて、同じ駅で降りて、それぞれの場所に向かう。
いつもと変わらない朝、でもその日1人の男がずっと二人の後をつけていた。

「こんにちは」
そう言って、まりあがいつものようにナ−スセンタ−を通り過ぎようとした時、後ろから看護婦に呼び止められた。
「真代さん、ニュ−スよニュ−ス」
「どうしたんですか?」
「あのね、須藤先生がご結婚なさるんですって・・」
「えっ!そうなんですか?」
「ねえ、ビックリしたでしょ。もう病院中の看護婦が大騒ぎよ、だって須藤先生あの通りカッコイイ上に優しいし、みんな憧れていたから・・」
「それで、相手は誰なんですか?興味あるなぁ」
「ああ、そうそうそれがまたビックリなのよ。なんと妹さんなんだって・・・」
「妹さんて・・・」
まりあが困惑の表情を浮かべると、看護婦はこう付け加えた。
「須藤先生は、妹さんと血が繋がっていないそうよ・・」

「楓さんと須藤先生が結婚か・・」
あまりにも突然の出来事で、理得のいる部屋に入っても、まりあはボ−ッとしていた。
そんな様子を見ていた理得は、不思議そうに尋ねた。
「まりあ、どうしたの?さっきから独り言いったりして・・・」
「あっ、うん、あのね須藤先生が結婚するんだって・・・」
「結婚?須藤先生が?」
理得も驚きを隠せない。

「それで相手が・・楓さんらしいの・・楓さんと須藤先生は本当の兄弟じゃないんだって・・・」
「時々ね、楓さんと携帯で話したりするんだけど、そんなこと一言だって言ってなかったし・・、ちょっとね・・」
「そう」
理得は自分の事を好きだと言った時の龍の顔を思い出していた。

「だって、須藤先生だってそんなこと言ってなかったし、おかしいと思わない?」
「どうなんだろうね・・。結婚は二人のことだし、きっと色々とあるんじゃないかな・・」
「そうかな・・」
まりあは解せない顔をしながらも、理得の言葉に頷いた。

龍に会ったらもう白状させるんだと息巻いていたまりあだったが、結局この日はまりあがバイトに行く頃になっても龍は病室に姿を見せなかった。
夕方になって、理得が窓際で椅子に座りながら、赤くなってゆく空を眺めているとドアが開いた。
理得が目をやると、龍が入って来るところだった。
いつもなら「こんにちは」と明るく言うのに、この日は無言で、理得と視線を合わせようともしない。
明らかにいつもの龍とは違かった。

「こんにちはと、こんばんはの境は何時なのかしら?」
「先生は何時だと思います。こんな夕方はどういえばいいのか何時も迷うんです。こんにちはにしてはもう寂しいし、こんばんはにしては明るすぎるし・・」
理得は夕焼けの空を見ながら龍に尋ねた。
「もう、知ってるんですね・・」
龍は理得の質問に答えずに、そう言った。
理得は龍のその言葉を聞いて、伏せ目がちに龍の方を見て、ゆっくりと顔を上げた。

「何も言わないで下さい、あなたにだけは祝福の言葉を言って欲しくない」
龍は早口でそう言うと、理得の側に来て、夕焼け空を見上げた。
「先生・・・」
「楓との結婚は楓と親が決めた事です、もう僕にはどうすることもできない。それに結婚すればこの病院にもいられなくなる」
「でも、僕の気持ちは誰にも変えられない・・。僕は全てを束縛される訳じゃない・・」

夕日に照らされている龍の横顔に光るものがあった。
理得はその横顔をじっと見つめている。

「あなたを好きでいていいでしょ。もう僕に残された自由は心だけだから・・・」
空から彩りが消える頃、龍はそう呟いていた。