計略 《3》
声を押し殺して泣いたのは初めてだった。
何もかもを否定されてしまった悔しさが、楓に声を上げて泣くことさえも許さなかった。
惨めさが頭の先から、足の先まで余すことなく広がって、後から後から涙が溢れてくる。
どのくらい泣いただろう・・。
しばらくして楓はベットからのろのろと下りると、ドレッサ−の椅子に座わり、泣きはらした顔を鏡でぼんやりと見つめていた。
鏡の向こうに龍が自分を見る顔が写る。
あれはなんの感情もない他人を見る目だった。
『妹であることもなくしてしまった・・・』
その現実が重く楓の心にのし掛かる。
龍が欲しくて欲しくて、自分のものにしたかった。
結婚さえしてしまえば、全て上手く行くはずだったのに・・何かが違う。
龍を本当に手に入れるためにはどうすればいい?
『龍は私のもの・・誰にも渡さない・・・・』
虚ろな目で宙を見つめる楓がそこにいた。
携帯の着信音が鳴っても、成次はなかなか出ようとはしなかった。
どうせろくな電話じゃないことは分かっていた。
「しつけえなぁ・・」
長いこと鳴り続ける音にイライラした成次は、やっと携帯に手を伸ばした。
電源を切ろうと思ったが、表示された番号を見て成次は通話ボタンを押した。
「もしもし・・」
「もしもし・・、誰だか知らないが用がないんなら切るぜ・・」
「・・私が誰だか分かる・・、あなたにお金をもうけさせてあげた女よ・・」
「・・・この声は、やっぱりあんたか。あの高飛車な姉ちゃんが俺に何の用なんだ」
「ねえ・・・お金に困ってない?」
「また美味しい話があるのか・・・、今度は何だ」
「この世から1人無くして欲しいの・・」
「ふん、やばい話だな・・・、残念だけど俺はそう言う類のことはやらない主義なんだ」
「それに俺は今それどころじゃない、他を探してくれ・・」
成次は耳から離した携帯を少しの間眺めていたが、無表情のまま親指を動かし、ズボンのポケットにそれを押し込んだ。
そして成次は急いで通りを挟んだ花屋の店先にいるまりあと拓麻の姿を確認した。
「ユ−リ、今日も動いたのよこの子。きっと男の子ね、すごく元気がいいの」
「私はあなたに似た男の子がいいわ・・・、目も鼻も口も全部あなたに似ればいい・・そして私が幸せに育てるの・・誰よりも幸せに・・」
理得はユ−リのライタ−を眺めながら、ひとしきりユ−リとお喋りをしていた。
今日あったことや、嬉しかったこと、いろいろなことをユ−リに伝えて理得の一日が終わる。
親子3人の楽しい一時、それが理得の心のよりどころだった。
ベットに座って両手を差し出せば、いつでもユ−リが抱き締めてくれる、そんなユ−リの存在感が日増しに理得の中で膨らんでいた。
思えばユ−リが生きている間は何時もピリピリとした緊張感が辺りにあって、こんなに心が和むことは無かったような気がする。
ユ−リにはいつも悲壮感が漂っていた。
それはあの夜、ユ−リとただ一度結ばれた夜もそうだった。
「あなたが心の底から笑う姿が見たかった」
ライタ−を優しく撫でながら、理得は生きていた頃のユ−リを想い、泣きそうになるのをこらえていた。
その日は夜になっても窓の外はむせ返るような暑さだった。
ク−ラ−の効いた病室は快適だったが、どうも寝苦しい。
窓のカ−テンから漏れてくる月明かりは青白く部屋の中を照らし、眠れないでベットにもたれる理得を白く浮かび上がらせる。
消灯の時間はもう1時間前に過ぎている。
病院の生活は規則正しくて、眠れない夜も関係はない。
「ガタッ」
しばらくして、声もなくドアが開く音だけが静かな部屋に響いた。
看護婦の見回りにしては早すぎると理得は思った。
人の気配はするのに、いくらたっても声はしなかった。
「だれ?」
理得の小さな声が、侵入者を咎めるように言う。
「あなたが羨ましい・・」
声の主はゆっくりと動き出すと青白い月明かりの中に、徐々に姿を現した。
妹のまりあに似た長い髪が、理得の前にサラサラと風もないのになびいていた。