未来 《2》
「君の父親は、知っての通り日本で死んだ。
あの時、彼は、家族を犠牲にしてまで、国の暴走を止めようとしていたんだ。
その為に、国の機密を持ち出し、米国に売ろうとしてた。
今思えば、それは、自分の運命を狂わせた国の思想をも恨んでの事だったのでないか。
もし国が、自由な思想を持つ国家だったなら、ささやかな幸せを創り上げる事も出来ただろうに。
だからじっと時が来るのを待っていた。
彼は、亡くなった沢山の命の重さを、ずっと背負ったまま生きてきたんだ。
それは君の母親の分の命でもある。
だが、最後にはユーリ・マロエフに撃たれた。
あれはわざとだった。
わざと息子に撃たれたんだ…。
一方で捨てた家族を、もう一方では守ろうとしていた。
その為の選択だった。
無駄死には出来ないが、国を出た時から、覚悟はしていたんじゃないだろうか…。
君の父親はそんな目をしていた」
「なるほどな」
龍は頷いてみせた。
だが、その目に素直さはない。
「で、熟慮断行した、そのお偉い考えの結果がこれか…、あの丘の上を見てみろよ!誰も生きていないじゃないか!」
龍の鋭い声が響く。
「それは…」
言葉に詰まる佐伯を見て、龍は薄ら笑いを浮かべた。
「自分の家族を守ることも出来ないくせに、国を変えるなんて大きな思想を追った結末は悲惨だよなぁ。
あんな小さな子供まで、それで巻き添えを食ったんだ…、それがあいつの罪だ。
だから息子に殺されて当然さ、当然の結末だ」
龍はそう言わずにはいられなかった。
自分の荒れ果てた気持を、父親に擦り付ける事で吐き出してしまいたかった。
その言葉を聞いて、佐伯は結んだ唇を引き締めた。
「確かに君の言うとおり、マロエフ家は皆、非業の死を遂げた。
だが、誰かがやらなければ、今のこの国の平和はなかったんだ。
それを君の父親が仕掛け、最後には息子であるユーリ・マロエフがその意志を継いだ。
君だって分かっているんだろう…
不条理を受け入れなければならなかった…そういう流れの中にあの家族がいたんだと…」
そう言って向けられた佐伯の真っ直ぐな視線を、龍は避けるように逸らした。
「なら、これはどうだ。
好きだった女が愛した男は、半分は血の繋がった弟だった。
そんなことも知らず、死んだその男の影に怯え、悩み苦しみ、涙した。
ざまはない、兄の威厳は丸つぶれさ、それを知った俺の気持ち…、あんたに分かるか、佐伯さん!」
雪は立っている佐伯に容赦なく降り積もる。
それは龍も同じだった。
だが、龍はさらなる雪を求めていた。
それは、二人の間を遮るような白い壁。
これ以上、誰にも自分に触れられたくはない。
「君は後悔するのか?」
佐伯は諦めなかった。
少なくとも、今、この場に立つ自分の役目は理解しているつもりだった。
「真代理得に遇った事を…」
ふいを突かれた言葉に、龍は出逢った時の理得の瞳を思い出した。
じっと自分を見つめる顔。
理得は僕の中にある遺伝子を見つけたんだ。
同じ遺伝子を持つ、あの男の事を想って…
―――弟か…、そうだな、ヤツは弟だったんだ…
龍は改めてそう思った。
弟を殺し、父親を殺し、理得を撃った。
どれも本意ではなく、血の涙をどれほど裏で流したかしれない弟。
「君は君の役目を果たせ。
小さな悠くんを肉親である君が見守ってやらないでどうするんだ。
親を亡くした気持は君だからこそ分かるだろう…」
―――僕たちは繋がってる、肉体的にも、もっと深い所でも、どうしてそれが分からないの。
僕はあなたの分身でもあるのに…
僕は全ての結晶、産まれて来るべくあった存在、全ての苦しみを解き放つ、それが僕の役目。
だからあなたの苦しみも僕が解き放つ…
そう、確かにまだお腹の中にいた悠はそう言った。
あの小さな命は、産まれる前から大きな役目を負っていたのだ。
「過去を振り返って憎しみの中に身を置くのか…、前を向いて未来を築くのか…、
君が選ぶんだ、君しか選べない、君の人生だ。
…ユーリ・マロエフが僕に言った言葉がある。
彼と言葉を交わしたのはこの時が最初で最後だった。
『人を思って悩み、道を選べ…未来の為に…』父親が死ぬ間際に残した言葉だそうだ…
それは君にも必要な言葉じゃないのか…」
龍の頭の中には、佐伯の言葉が反芻していた。
だが、もう思考する力は無かった。
龍は佐伯の視界から突然消えた。
雪の塊が、地に戻るように、龍は膝から崩れて、白の大地に包まれた。
佐伯は急いで駆け寄って、その顔の雪を払った。
半目の龍の頬を叩くと、やっと龍は目を開いた。
「どうしたんだ!?」
「もう、どうでもよかったんだ…」
「だから、どうしたんだ!」
「睡眠薬…、いくつも持っていた…、医者だったし…」
「飲んだのか!?」
龍は微かに頷いた。